• 皆川夏樹

ご挨拶 (2019年3月更新)

最終更新: 2019年10月2日

 2013年から登別の地に居を移し、2014年2月から「みながわ往診クリニック」を開業しております。 この春、開業から5年が経ちました。後段では、2014年の開業時に書いた「在宅医療への思い」の一文を残しておりますが、ここでは、この5年間の、登別での経験を踏まえて、あらためて、ご挨拶を記したいと思います。  極めてプライベートな事柄をここに記すことをお許し下さい。  おそらく、私が当地に引っ越してきて6年間、おそらく最も大きな出来事は、昨年1月の、父親の死去でした。そして、私が6年前に、東日本大震災後の福島県から当地に越してきた大きな理由の一つが、この父と母が高齢になったこと、でした。

 30年ほど前、私の両親は、内地から伊達の地を選んで移り住み、当時20歳台だった私と、少し年上の兄に対して、「お前らの負担にならんように、自由にやるから。お前たちも好きに暮らせよ」と、息子たちにある意味、引導を渡したのでした。

 しかし、それから時は過ぎ、両親は年老い、父が入院を繰り返すたびに私は福島から呼び出されることとなりました。また、父の育てていた畑のブルーベリーは、父の入院の度に、収穫されぬまま実を落とすこともありました。

 私は、(それがすべての理由ではないにしろ)両親が作り愛した伊達の自宅で、両親が望んだように、そこで父母を看取るために、この地へやってきたのです。

 この国の同時代の方々の多くが、同じ問題に突き当たっているのではないかと思います。核家族化、少子化、そして超高齢化。私たちは自分の親を、高齢者を、どうやって看取ることができるのか。・・・私は幸いにして、在宅医療をなりわいとしている医者であり、事実、父が亡くなる前の数年間は車椅子生活だったこともあり、登別から伊達の家に足繁く「往診」「訪問診療」に通うことができました。ベッドから落ちたまま動けなくなっているのを発見したことも何度かありました。登別で私どもと一緒に暮らすことも何度も提案していました。それでも父は、伊達の自分の家で生活し続けることを選んだのでした。

 しかし、父は結局のところ、最後の2ヶ月を病院で過ごし、そのまま病院で息を引き取りました。私は、父の希望も、私の職分も、全うすることはできませんでした。

 厚生労働省は、「在宅医療」を、まあ、推進、しているようです。テレビ番組や雑誌などでも取り上げられる機会は増えています。私自身、室蘭民報さんで、在宅での看取りの経験を不定期に掲載させて頂いています。しかし、30年近くも在宅医療に取り組んできた私が、結局自分の父親すら、在宅で看取ることはできなかったのです。

 私は、現在在宅訪問診療を専門に行っていますが、この1年、その自分自身の仕事も見つめ直し、また、在宅医療、というもの全体についても様々思いを巡らせました。在宅医療、は、何も、看取りだけに限ったもの、というわけではないのですが、やっぱり、そう簡単なものではない、ということも今さらながら実感しています。

 一方、私がずっと取り組んできた「在宅医療」と、昨今実際に行われている「在宅医療」が、必ずしも「同じ(同質の)」ものでもないようにも思えてきています。私自身どんどん年老い、時代はどんどん変化しているのです。在宅医療は、もしかすると、とても「特殊」なものになっているのかもしれません。

・・・・・・


といった、私個人の感傷はいったん横に置くとして、・・・・・・

・家から出かけて行くのは大変だ、と言う方。

・病院入院中で「家に帰りたい」と思う方。

・「病院に入院するのはいやだな」と思う方。

・・・・・・要は、自分のおうちが大好きな方。


私も、自分の家が大好きです。


 もしかしたら、幾分かお力になることもできるかもしれません。あるいは、私では力不足のことも大いにあるかもしれません。

 私に何ができるのか。どんなところが足りないのか。一度、ご相談させてください。


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