在宅看取りの記録
Ⅲ 大変だった方
○○ウメ子さん、享年97歳「まあまあお茶も入れないで・・・」
○○ウメ子さんは、私が臨終、死亡確認に立ち会えなかった数少ない患者さんの1人です。経験上、老衰でいつともいえず亡くなる方は、主に親身に介護をしてくれていた方がちょっと眼を離した隙に亡くなることが多いようです。えらそうなのですが、そう思って自分を慰めています。
ウメ子さんとの思い出は、散歩に歩いたりドライブに出かけたり、といったことばかりです。医者としては不謹慎といえば不謹慎、でもそうせざるを得なかったのだ、と思っています。
前任者からの引継ぎで、私がウメ子さんのお宅に初めて伺ったのは、ある年の1月のことでした。古い狭い、大型トラックがびゅんびゅん通る街道にすぐ面した、街道と同じくらいに古い、傾いた小さな木造のおうちでした。門もなく、路肩の白線からほんの1メートル足らずの所にいきなり玄関の引き戸があり、それこそトラックが玄関の庇をかすめて通るような。引き戸を開けるとすぐそこ、目の前のコタツに、ちいちゃな細っこいお婆ちゃんがちょこんと座っていました。
初めての訪問の時のウメ子さんの言葉は、カルテにこんな風に残っています。
「・・・・・・(難聴)・・・1人暮らしだ。子供は亡くなって・・・孫が近くにいるんだけど・・・寒いから綿入れ着たんだ・・・もう寂しいのも慣れた・・・運動に、川原の方まで歩いて行ってるよ、冬は寒いからやめてる・・・今のところ特に困ったことはないよ、ご飯も自分で食べてる・・・」
実は、実際には娘さんが2人、市内におられたのですが、振り返って考えてみれば、ウメ子さんはとぼけていたのか忘れていたのか・・・
こんな風に、ウメ子さんは、大声で話さないと聞こえない、という以外は、お話しもしっかりしていましたし、すぐ裏の川原に1人で散歩に出かけたり庭で草むしりをしたり、と、歩行もしっかりしていましたし、私が入った時点では血圧の薬を飲んでいましたが程なくそれも不要と判断して止めてしまいましたし・・・、と、あまり訪問診療の必要のない方、というか、医師の診察自体も必要のない方のように思えました。ただ一つの問題は、1人暮らしだ、ということでした。しかしそれも、「医療」の必要性、というよりは、「介護」の必要性、ということが主でした。その当時で95歳。連日ヘルパーさんがかなり長い時間入るようになっており、買出しや食事、洗濯などの介助を行っていました。段々にわかってきたことですが、別に住んでいた市内の2人の娘さんも「嫁に行った」身でしたし、そもそも既にかなり高齢だったこともあり、金銭的な援助はともかくとして頻繁な行き来があるようでもなく、私はずーっとお会いできずのままでした。むしろ、ご本人が言ったように、近くに住んでいる孫さんが、ほぼ毎日ちょっとずつでも立ち寄ってくれていたようでウメ子さんにとってはこの孫さんの方が心理的には近しい存在だったようです。
それでも、医療的には、独居の方というのは独特の問題があります。薬もない、特に病気もない、という状態でも、高齢者の場合、少し具合が悪くなった時に、どうすることもできなくなってしまう。自分で病院へ行くことも大変、薬を買いに出ることも難しい、となると、いくら毎日ヘルパーさんが入っていたとしても、そこまで手を貸してあげることはなかなか難しい、医者が往診に来てくれれば・・・となります。その時のために、「訪問診療」の登録をしておく、というのは、まあ言えば保険をかけておくようなものでしょうか。
一昔前であれば、こういう方が具合の悪い時には、近所の医者が、ちょっと夕方に「往診」に出向いてくれた。しかし今はそうした習慣が廃れて、代わりに制度としての「訪問診療」が主流になりつつあります。具合の悪くない時でも定期的に診察をして管理をしておく、という契約のもとに、具合の悪い時には呼び出し往診に応ずる、という。正直に言うと、私はこうしたやり方には些か疑問があるのですが、現状自分の仕事としては、ウメ子さんに対してはそういう体制を続けておくに如くはなかった。
事実、ウメ子さんは時折、気持ちが悪い、と言ってご飯を食べなかったり、ということがありました。そのたびに、食事を作っているヘルパーさんは、夕方そのまま帰ってしまうには心配なので、私の方に連絡を寄越す。往診してはみても、特別な異常はない。・・・おそらくは、「淋しい病」とでも言いましょうか、きちんとした病名では「うつ病」とするべきなのかもしれませんがそこまでもいかない、寒い夜に、子供らも亡くなってしまって(本当は生きているのだけれど)、100歳近くなって1人取り残される。ヘルパーさんも、ご飯を作ってはくれるけれど、作り終わってしまえば自分の家に帰っていく。「ご飯なんて食べたくない」、そう思うこともあるでしょう。・・・いつでも結局、1‐2日もすれば、あるいは翌日になればけろりとして元通り散歩に出かけたりもしているのでした。
これは私の頑なさによるものですが、私は、基本的には「医療」というのは手控えるべきものだ、という考え方です。これは何も、自分の訪問が面倒だから、というようなことで言っているのではなく、「適正な」医療を行いたい、と思っているだけのことです。本当に医者が必要な人の所には惜しみなく医者が行けば良い、本当に治療が必要な方には金額を惜しまず治療をすべきである(この「本当に」必要かどうかの判断が難しいわけですが)。しかし日本の現状では、医者が必要でないようなケースでも医者が呼ばれてしまう、あるいは、飲まなくてもいい薬を漫然と飲み続けている、といったことがあまりにも多い。それは体制としてやむを得ない場合もあるとは理解していますが、ウメ子さんのようなケースで言えば、例えば、ヘルパーさんにしろ、あるいは勿論理想的には「家族」にしろ、がそばにいてあげれば、医者がわざわざ訪ねる必要のない問題が大半であった。家族がいない状況では、具合が悪いのかどうか、ヘルパーさんが判断せざるを得ず、ヘルパーさんだってほったらかしにして帰るのがどうにも切ないので、医者の方に責任を預けるように連絡をしてしまう。結局のところ、医者が行ったとしても、根本的な解決にはならないので、何もせずに帰ってきては、同じことの繰り返しとなる。
臨時に往診に呼ばれるとすると、これはもちろんお金の絡む話になります。実際には高齢者の方の場合、お金を「自分で」払うということは少ないのでしょうが、ウメ子さんの場合で言えば、別に住んでいた娘さんがお金を払う、あるいは、ひいては国民全体の医療保険から支払われるわけです。別にお金の払い主の要請がないと、往診ができない、とまで言う気はありませんが、第3者であるヘルパーさんの要請で往診をして、ご本人は医者が来たかどうかという認識もほとんどなくただ、誰か来てくれて嬉しい、という風で、それで機嫌を直して何事もなかったとして帰る、ということで医療費を請求する、というのは、どうにもすわりが悪い。・・・何より、これを続けていても「根本的な」解決にはならないままだろうな、ということがつらく思われました。
こうしたことがほぼ半年間続き、たまたま機会があり、ケアマネージャーとの面談の際にこれらの不都合をお話ししました。振り返ればこんな相談をするのではなかった、と思うばかりなのですが。
ヘルパーさんからの要請で往診を行う、ということの不都合。手順として、ヘルパーさんから別居の娘さんに連絡を入れてから往診を要請することにしたとしても、これは本当に手順の問題だけで、娘さんの方も実際にウメ子さんの様子を見ているわけでもないので、ヘルパーさんが「具合が悪そうだ」と言えば、往診を要請する以外の選択肢はとりようがなく、問題のすり替えに過ぎないこと。また、往診して例えば薬を出したとしても、その薬を誰がとりに行くのか、また、それをきちんと飲めるかどうか、を誰が確認をするのか。あるいは、2時間程度在宅で点滴をすることになったとして、(通常であれば家族にみてもらっていて、点滴終了後も家族に点滴を抜いてもらうことが多いのですが)ウメ子さんの場合には点滴の間誰かそばにいてあげることができるのか。・・・こうしたことは、独居の方の場合にはある程度共通の問題でした。私はこの時まで、別居の娘さんにも、連日立ち寄ってくれているという孫さんにもまだお会いしたことはなかったのですが、このときの自分の腹づもりとしては、「具合が悪い、というウメ子さんのSOSのときだけでも、ご家族の方誰かそばにいてやってはもらえないか」という要請として、ケアマネージャーに相談したつもりだったのです。同居する、ということはそれは無理だったのかもしれません。しかし、ウメ子さんが淋しがっている、ということをご家族の方々にも共有してもらう必要はあると思った(そんなことは承知の上であったでしょうが)。
ところが、ケアマネージャーの出した解決は意外なものでした。介護付き老人住宅への引っ越し、ということになったのです。しかも、そのこと自体はどうこう言うことではないのかもしれませんが、ケアマネージャーの勤務先の法人で経営している老人住宅に空きがあり、直ぐにも入居できる、ということでした。
私も訪問看護師も、こうした解決方法は全く予想していませんでした。私たちが訪問の仕事を、まあ言えば「好んで」しているのは、その方その方の住み慣れた我が家、住み慣れた地域での生活が少しでも長く続けられるように、という趣旨に沿ってのことです。まあ私たちの方の趣味のレベルで、それぞれのお宅を訪問する、ということが楽しい、ということはあるかも知れません。基本的には、ご本人の望む生活パターンを援助する、ということですが、そうした場合、高齢者であればある程、長く住んでいた我が家に住み続けることを選ぶ、ということが、私たちにとっての前提になっていました。ウメ子さんの場合にも、それまでの訪問の中で、お付き合いの中で、必ず私たちが伺うと、「まあまあお茶も入れないで・・・」と言いながらお茶の支度をしてくれたり、桜の盛りには河原までぷらぷら歩いて行って花見をしてきたり、道の向かいに新しい定食屋ができたと言っては出かけて行ってみたり、・・・確かに失礼ながら「あばら家」というような家ではありましたが、ウメ子さんとそのお宅とは、切り離せないものとして私たちは考えていたのです。
医者が口を出せること、ということは、どこまでなのかはよくわかりませんね。こうした住居のことにまで何やかや言うことは妥当なのかどうか。
医者としては、特にこうした訪問診療の場合には、本人のことばかりではなく、家族を含めた環境のことも最大限考慮しなければならない。とはいってもしかし、医療費を負担していることはともかく同居もしておらず、お会いしたこともないご家族のことを、考慮のしようもない状況でした。とりあえずは、ケアマネージャーには、「医療的な」意見、として、しかしかなり強く、ウメ子さんの引越しには反対である旨はお話ししました。高齢者の場合には馴染んだ環境から引き離すことが認知症の進行や鬱を引き起こしやすい、等々の、医療的な意見、です。
しかし、ケアマネージャーとしては、ウメ子さんの娘さんともお話ししたところ、介護スタッフ(ヘルパー)が対応してくれる所への引越しを希望している、ということ、また、ご本人もそれを「承諾」した、ということで、引越しは動かせないものとなってしまったのです。ただ、私が気になったのは、ケアマネージャーさんのお話として、「あのお宅は老朽化もひどく、トイレなども板張りでがたがたで汲み取り式ですから危ないんです。私は、自分の親がウメ子さんのような状況だったら、介護つき住宅に入ってもらいたいです。」と言ったことです。ケアマネージャーさんは、ご本人の立場になっているわけではなく、娘の立場になっていた。先に書きましたが、もちろんそうした家族含めた環境を考慮することも大切でしょうが、それでもしかし、優先すべきはご本人の立場ではないのか。「自分の親がウメ子さんのような状況だったら、そんな家に住ませたいか」ではなく、「自分だったらその家に住みたいか」をまず考えるべきではないのか・・・このお話を聞いて、これは根本的な考え方の相違であろうから、私たちとケアマネージャーに関しては、これはもう埋まらない溝だろうな、と思われました。
こうした引越しの話が出ている間は、私たちは(診療の必要があったわけではないので)ウメ子さんと直接話をする機会もありませんでしたし、ご本人が引越しを承諾した、ということについても確認のしようもありませんでした。「承諾」ですから、もちろん、ご本人が「希望」をしたわけではないのだろうな、露骨に言えば、「うんと言わせた」のだろうな、くらいに思っていました。
7月の初旬、ウメ子さんは介護つき老人住宅に引越しました。その翌日、「ほとんど食事をとらない、熱もある」とヘルパーさんから連絡が入り、往診。ご本人の反応は著しく悪く、肺炎も疑われ、そのまま即入院。約5週間後に退院してきて、また訪問診療を再開しましたが、これから先は、私たちが訪問してもウメ子さんはほとんど表情を動かすこともなく、いつでもベッドに横になってテレビをつけたままうとうとしていることが多くなっていきました。
私がこうした書き方をしてしまうこと自体、そこに、私自身の価値観が入ってしまっていることを隠しようがありません。訪問看護師も基本的には同意見でしたが、要は、私たちは、ウメ子さんがこの新しい介護つき住宅で幸せを感じていたかどうかを疑っている立場です。引越し翌日に入院することになったことも、先に書いたように、環境の変化に対応し切れなかったため、とも言いたかった。しかし結局のところ、「正解」など言えることではない。引越しをさせない方が・・・というのも所詮は「私」の趣味の問題、と言われればそれまでで、ケアマネージャーが、「娘としては介護つき住宅に入居した方が親は幸せ」ということと、さして変わりはない。ウメ子さんの幸せなど、誰にも推し量りようはないことです。しかも、こうした事態になってしまったのは、自分がケアマネージャーにつまらぬ愚痴を言ってしまったことが呼び水になったのだと思えば、これ以上私に何も言うことはできませんでした。
その住宅は、1階がデイサービスセンターになっている建物の2階にあり、エレベーターで2階に上がるとまず管理人室があり、5室の独立した住居が連続して並んでいました。もちろん小ぎれいで、バリアフリーで、日中はヘルパーが完全対応、夜間も管理人がおり必要があれば定期的に巡回をする形になっていました。1階のデイサービスセンターも同じ法人でしたから、ほとんどの方は日中はそちらのデイサービスを利用もしていましたし、また利用していないときでも、少なくとも日中はデイサービスセンターには看護師がいましたから、別に契約条件ではないとしても、緊急管理、ということでは看護師の対応も期待できる環境でした。
つまり、とてもよくできた介護つき老人住宅ではあったのです。
事実上、こうした住宅に入ってしまえば、訪問診療も終了してもよさそうではありました。もともとウメ子さんは投薬もなく内科的には安定しており、問題としては、高齢者の独居で通院も困難、独居としての管理、ということだったわけですから。また、デイサービスに通うことになれば、その医療法人の外来には送迎つきで受診もできましたので、ますます訪問診療の必要はなくてもよい。こうした「訪問診療の必要度」ということを、私はいつでも頭に置いてはいました。
しかし、ウメ子さんの場合には、どうしても訪問診療終了とはし難かった。このままこの住居に沈没していってしまうのは、できれば避けたい、という思いが私の中にどうしてもありました。
もっとも、私が月1回訪問したところで、何がどう変わる、とも思い難かった。今の制度の中でできること、と言えば、結局はケアマネージャーの主導で、ほぼ連日1階のデイサービスセンターに下ろすこと、それ以外はヘルパーさんが親身になって関わって、トイレまでの歩行を介助したり、ということはしてくれていた。それで十分と言えば十分、なのです。
自分が何に不満を感じていたのか、うまく説明することができないのですが・・・。例えば、私は、「優しくし過ぎる」ということを好みません。デイサービスに連日降ろす、とは言っても、車椅子とエレベーターで風のように運んでいって、デイサービスの中でも、上げ膳据え膳、ほとんどはソファで横になっている、・・・自分で庭の草引きをしていたことと比べれば雲泥の差、です。ただし、雲泥の差、と言って、どちらの方が「良い」、ということは、所詮好みの問題、なのです。
私は結局、訪問診療だけではなく、訪問看護も継続するようお願いしました。毎月の指示書には、「もともとは1人で自宅周辺にも出ていた方です。引きこもりに十分注意して、精一杯ADLを確保して生活を維持してあげるよう・・・なるべく外に連れ出して、階段も利用して下さい」など記していました。
そんなわけで、私の月1回の訪問診療は、天気が良ければもっぱら近所の散歩、でした。誘い出してみれば、ウメ子さんはまだ軽く手すりに手を乗せはするものの、階段の昇り降りも自分でできたのです。自宅の時とはだいぶ趣の違う、川もない庭もない、住宅街のど真ん中の、舗装した車道をひと巡りするだけのことでしたが、それでもウメ子さんの表情はみるみる蘇り、家々の庭の花やら草やらに眼を輝かせて説明をして下さる様子が忘れられません。私の方が、花の名前など全く知らないばかりか、そんな風にゆったりと道を歩くことなどないので、夏などは、普通の住宅の庭に小さなイチゴがなっていたり、ショウガやらシソやらも生えていたり、いちいちウメ子さんに説明してもらうと、頭を下げるばかりでした。
あるいは、車に乗っけて、近所のスーパーに買い物に行ったことも何度かありました。お金は娘さんが管理人さんに「お小遣い」としていくらか預けてくれていたので、少し頂いて、「たまには自分で食べたいものを買いに行こうよ」と連れ出したのです。どうやら刺身や寿司がお好きなようで、じっくりと売り場を見て歩いて、しかし、「あんたらは何が食べたいの!」と。私と看護師が丁重にお断りしたところ、結局、おそらくはウメ子さんの大好物であったねぎトロ寿司や刺身、お菓子を買い込んで帰ったのですが、部屋に戻っても、私たちが寿司を1個つままないと、決して自分も食べようとしない。3人そろって、おいしく昼食を頂きました。
最初は行こうかどうしようかだいぶ悩んだのですが、もと住んでいた自宅にも、車で出かけてみました。玄関先から庭まで草ぼうぼうで、車を降りるなりウメ子さんは草引きを始めました。裏の窓の鍵がかかっていなかったので、私がそちらから入って玄関を開けました。もう何ヶ月も誰も立ち入っていないようで、暑い時期、畳にはうっすらカビが生えていて、靴下が緑色になってしまいましたが、ウメ子さんは平然と上がりこみ、やはり、「まあお茶も入れないで・・・」と。仏壇に線香を上げてしまうと、以前のままのコタツに座り込んで、もう動こうとしなくなりかかったのですが、何とか帰ってきました。自宅には4-5回程も行ったでしょうか。
こうしたことばかりしている訪問診療、訪問看護が、「許される」ものかどうか、いつも自問自答していました。もし誰かと議論になるようなことがあれば、これも引きこもりの予防として立派な医療行為に属する、とでも反論はするつもりでしたが、しかしまあ、自分自身の中では葛藤がありました。特に、以前の自宅へ行くことについては、それこそ、ケアマネージャーや娘さんなどの立場からすれば、「里心(?)がつくからやめて欲しい」などと言われても然るべき、かな、と。・・・自分のやっていることに、確信はあったのですが、しかし危うい確信、とでも言いましょうか。
引っ越して1年ちょっと経った頃、居室内で仰向けにひっくり返っている、と、ヘルパーさんから連絡がありました。どうやら自分で動こうとして尻もちをついて転んだようです。病院には連れて行かず、シップや痛み止めなど使いながら様子を見ていきましたが、腰痛はしばらく続き、それでも1ヶ月もすると痛みもなくなったのですが、動きのレベルは目に見えて落ち、この頃からはもう散歩にも連れ出しにくくなりました。
その後はお決まりのコース、動けなくなっていき、食べる量が減っていき、ウトウトする時間が増えていき・・・・・・もう、それ以前から、老衰、と言って然るべき状態ではあったのですが。
それでも最後の最後、ようやく冬も越え、天気の良い暖かい4月にのある日に訪問をする機会に恵まれました。「今日は暖かいけど、久しぶりに昔のおうちの方に行ってみますか?」と問うと、この頃にはもうほとんど会話らしい会話にならなかったのですが、はっきりとうなずかれましたので、また車に乗っけて、看護師さんと3人、出かけました。勝手知ったもので、いつものように私が裏の窓から入って玄関を開け、20分ほど過ごして帰りました。行き帰りの車中、ウメ子さんは、じっと窓から外を眺めていました。
その翌月、私が学会で他県に出かけているとき、何の予兆もなく、ウメ子さんは息を引き取りました。カルテには、「17時55分、急に意識消失し、ヘルパーから救急車要請・・・」とありました。
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