top of page
​在宅看取りの記録

Ⅳ 予想していなかった方

○○衣子さん、享年86歳「息が停まっている」

 ○○衣子さんは、どたばたのうちに訪問開始となり、突然の看取りとなった、背景のはっきりしない、悔いの残る患者さんでした。
 初めて訪問に伺ったのは、寒さも厳しくなった11月13日でした。11月10日に、それまでかかっていた病院の医師より紹介状と電話での連絡があり、通院困難とのことで訪問診療の依頼がありました。11月17日に初回伺うこととして、その旨御家族にも電話で連絡を入れていましたが、11月13日の夕方に、御家族から、「体温が低く、食事も摂れなくて元気がないので、早く来てください」との電話が入り、急遽17時過ぎに伺うことになったのです。
 11月の夕方、既に暗くなりかかっていましたが、岡の上の新興の住宅地の一角、真新しい大きなお宅の門を入ると、色鮮やかに紅葉した植木が目を引きました。邸宅、と呼んでよいような立派なお家で、玄関を上がっても、無駄な荷物や棚などが全く見えるところになく、広々としていました。衣子さんは、一階の奥の和室に、ベッドをしつらえて寝ておられました。
 御家族は、息子さん夫婦とお孫さん一人、息子さんは既に仕事からは手を引かれている、ということで、いつも御自宅におられる、とのことでした。この日は息子さん御夫婦がおられました。
 衣子さんは、突然に現れた白衣の闖入者に、キョトンとした風な顔を向けましたが、御挨拶をすると、にこにことして挨拶を返してくれました。「お具合が悪い、と聞いてきたんだけれど・・・」とお尋ねすると、「どこも痛くないよ」と平然と答えられました。
 ひとまず、少なくとも、緊急の問題ではなさそうでした。急いで救急車を呼ぶ必要がなさそうであれば、御家族に状況をよくよく伺うことになります。お嫁さんにざっとお話を聞いたところでは・・・「約一ヶ月ほど前まで、腰の圧迫骨折ということで病院に入院していて退院してきたけれど、家に帰ってからも腰痛があって、ベッド上寝たきりになってしまった。そのあと徐々に食事量が落ちて、ここのところは吐気・嘔吐も度々ある。今日は特に元気なく、体温が34度だったので心配になって連絡をした・・・」ということでした。衣子さんの診察をざっとさせて頂いたところでは、何より御本人はけろっとしておられ苦痛の訴えはなく、体温もこのときには36度5分、舌は乾燥して脱水の徴候はありましたが、特に急な問題は見当たりませんでした。前医から、糖尿病、という紹介状の記載がありましたので、血糖値もチェックしましたが、夕食前の時点で123、と大きな問題はありません。
 私のように、高齢者医療、在宅医療を専門にやっていると非常に多く経験するケースですが、入院等の環境の変化や活動性の低下(歩けていたのが歩けなくなった、など)を契機にして、認知機能・精神機能も低下し、食事量も下がり、段々に衰弱していく。「段々に衰弱していく」ということだけを取り上げてしまえば、年齢や状況からは「老衰」という言葉を使うことになります。高齢者の場合、ごく簡単なことでも、老衰、を来たすきっかけになってしまう。今回の衣子さんのように、骨折、ということは最も恐れられています。若く健康な方であれば、骨折をしたとしても、例えば手術をして、しばらく安静にして、そのあと、ある程度の時間が経てば、格別の専門的なリハビリテーションがなくとも社会復帰できる。若い方の場合に、認知機能の低下、などが問題になることはあまりないわけですが、高齢者の場合、動けない、環境が変った、ということが、全身に隈なく影響を及ぼします。衣子さんの場合は、この典型のように思われました。息子さん、お嫁さんのお話しでは、入院前から「認知症」は認めていたとのことでしたが、今回退院してからは、息子さんの顔もわからないときがあるようだ、と。そうなってくると、確かに食事量が落ちたとしてもやむを得ないかもしれません。誰だかよくわからない人が食事を作って食べさせに来る、としたら、なかなか食べられるものではないですね。・・・いずれにしても、急に起こったことではなく、今日の今、何とかしなければいけない、という状態ではなさそうであること、高齢者の場合、こうして少しずつ起こってきている全身的な低下と、食欲不振は、老衰、と言わざるを得ないこと、をゆっくり御家族に御説明して、今後、やはり何か食べられない原因があるのかどうかを徹底的に検索したい、ということであれば、再度入院をして検査をする、という方向にするか、とりあえず自宅内で点滴等をして脱水を補いながら、少しずつ起こしていって、ゆっくりと「リハビリテーション」を考えてみる方向とするか、その日はもう遅くなっていましたので、一晩考えてもらうこととしました。
 翌日11月14日、午後一番に伺いました。衣子さんはベッドの上におられましたが、非常に機嫌よく、「あら、いらっしゃい、どこかで見たことある方だけど、誰だったかしら」と、昨日のことは覚えていないようでしたが、でもにこやかにおっしゃいました。やはり息子さんとお嫁さんお二人ともおられ、朝・昼とご飯をあれこれ工夫して食べさせてみたけれど、やはり数口ずつ程度で、十分ではなかった、とのことでした。お二人ともとても熱心で、お話もよく理解され、一晩考えてみて、やはりここ数ヶ月から数年の単位で、少しずつ弱ってきて、のことであって、ここ数日で起こったことではない、ということも了解されたようでした。前回入院をしてみても、結局安静にしていただけで、かえって「呆け」が進んでしまったような気がするし、これ以上胃カメラなどの苦しい検査をさせたくもないので、家でできる範囲のことをして上げたい、という御希望をはっきりおっしゃいましたので、訪問診療の開始、となりました。
 私は基本的に、在宅に訪問してベッドに寝付いている方は、まず起こしてみることにしています。衣子さんの場合は、腰痛、とのことで、御家族もどうして起こしていいかがわからないようでしたが、既に最初に「圧迫骨折」と言われてからは3ヶ月も経過していましたし、ベッドの上で寝返りをする分には平気な顔をしておられましたし、腰を触って診察をした限りでも、座らせていけないようなひどい痛みがあるとは思えませんでした。ゆっくりと、なるべく急な姿勢の変化をさせないように注意して、ベッドの横に足をたらして座らせます。少し顔をしかめる程度はありますが、そこは、どの程度まで大丈夫か、経験的にわかる部分もあります、大丈夫、大丈夫、足を畳につけて、少しお辞儀するように、・・・とすると、ちゃんと座れます。数ヶ月もベッド上寝たきりだと、自然と楽な姿勢をとろうと膝を丸めてしまって足が伸びなくなっていたり、あるいは座らせても腰が曲らなくて後ろに倒れてしまったり、という方も非常に多いのですが、衣子さんは幸い体は柔らかく、初回から自分でしっかり座ることができました。しかも、ベッドの柵につかまって自分で体を曲げたり伸ばしたりする。これは、私にとっては非常に非常に優秀な「生徒さん」です!
 起きる、ということはとても大切なことです。我々人間の世界というのは、基本的に起きた状態に合わせてしつらえてありますし、我々が活動をしようとするのも、起きてするのが都合がよいことがとても多い。食事もその典型の一つですが、大事にしようとするあまり、ベッドを寝かせたまま食事をさせよう、水分をとらせよう、としても、自分のタイミングで飲み込むことも難しく、むせてしまう、怖くなる、食べたくなくなる、という悪循環になってしまう。起きて、自分で顔をきょろきょろと動かして周辺を見る、周囲の状況を確認する、息子の顔もいつも見ていた角度で見る、箸を持って自分で食べたい物を選びながら食事をする、ちょっと立ち上がってみようとする・・・と、活動性は広がっていきます。衣子さんを座らせて、その状態でジュースを持ってきてもらって飲んでもらいました。それだけで、今までと違って、むせずに、自分でおいしそうに飲める、ということが、御家族にも納得してもらえました。こうして、御家族の方にも、今どのくらい動かしてもいいのか、動かしても問題がないのか、動かした方がいいことがどのくらいあるのか、を少しずつ理解してもらっていきます。脱水を補うために、とりあえず3日続けて点滴をしながら、少しずつ起こしていくこととし、その日、初回の点滴をして帰りました。
 さらに翌日11月15日、夕方に伺うと、その日も息子さん御夫婦ともおられましたが、午前、午後と5分くらいずつ座らせてみた、その方がジュースも上手に飲めて、今日は結構水分も食事もとれました、と嬉しそうにおっしゃいました。御家族さんも非常に優秀な「生徒さん」でした。私の方でも、衣子さんを起こして座らせて、(検査の意味も含めて)簡単な会話の中で質問をいくつかしましたが、息子さんの名前、御自分の年齢はきちんと正解でしたが、お嫁さんの名前や息子さんの年齢は出てきませんでした。お嫁さんからすれば面白くないことでしょうが、まあ仕方ありません。「息子さんもわからない、ということはないみたいですね。最近の記憶の方が混乱することが多いので、息子さんの名前、のように昔のことは覚えておられるのかもしれません。しかし、自分の年齢が正解、というのは珍しいくらいです!起こしていくうちに段々にはっきりしてくる部分もあると思いますよ」とお話ししました。確かに、通常は、自分の年齢を、30歳、とか、60歳、とか、若くいう方が非常に多く見られます。衣子さんは、私の顔はやはりわからないようでしたが、だからといって敵対する様子でもなく朗らかで、普通の会話は非常にスムーズに行えており、何よりも、「昨日よりも良い感じがする」と御家族が思ってくれた、ということが大切なことでした。
 さらにその翌日、11月16日に伺うと、前夜から朝にかけての食事は、出したものは皆食べられて、表情も穏やかで、と、お嫁さんはとても喜んでおられました。このまま家で、少しずつ起こしながらやっていってみます、ということでした。ここまでで、在宅診療を行っている医師としては、仕事の大半は済んだようなものです。
 入院をすることによって、入院の前と後では、高齢者の方の生活は激変することがしばしばです。若い方であれば、1ヶ月入院して治療しました、病気が治りました、退院して、自分でトイレにも行く、風呂にも入る、2-3日後から仕事にも出かける、となることが普通でしょう。しかし、高齢者の場合には1ヶ月も入院すれば、まず動けなくなり、従ってトイレに行けない、風呂にも入れない、食事量も少なくなる、・・・動けない、あるいは、動かしていいかどうかわからない、というのが諸問題の根源になることが多い。衣子さんの場合はその典型のような方で、もともと腰が痛いということで入院し、退院しても腰が痛いので、御家族としては起こしていいのかどうかわからず、そのまま寝かせきりになってしまう。一般的には、高齢者の腰痛、あるいは、腰の圧迫骨折、といっても、鎮痛剤はともかくとして、ぱっと治る治療法があるわけではなく、安静にしておくしかありません。圧迫骨折、というのは、尻もちをついたりすることが原因で、腰の骨がぐしゃっとつぶれたような状態ですので、手術をしたりして元の形に戻す、ということはできない。安静にして、つぶれた状態のままで固まるのを待つわけですが、いつ頃になれば動いていいのか、起き上がっていいのか、歩いていいのか、云々は、「様子を見ながら」という言い方しかできない。「完全に骨が固まる」ということを最優先として考えるのであれば、2ヶ月でも3ヶ月でも、6ヶ月でも安静にしている方が確実なわけです。しかし、6ヶ月も安静にしていれば、既に述べたように、その後の生活にきたす支障が大き過ぎる。3ヶ月でもかなり大きい、2ヶ月でも大きい、・・・すなわち、「その後の生活」を優先として考えるのであれば、安静にして衰える、というマイナスをできるだけ少なくしたいので、一日でも早く安静を解除したい。すなわち、患者さんの元々の動き具合(年齢も重要なファクターになります)とか、日々変る痛み具合、動かしたときの痛み具合、とか、或いは、安静を介助した後の動き具合の回復の程度を予見して、などの様々な要素を組み合わせて、できるだけ早い段階から少しずつ動かしていって、退院後の生活にスムーズに移行できるようにリハビリテーションを行う・・・というのが、病院での治療の理想型です。しかし、そんなことを行うためには、かなり大きな病院で、リハビリテーションのスタッフも揃っていて、医師や看護師にも、退院後の生活を慮るだけの経験が必要となりますが、残念ながらそうしたことは滅多に望めないのが現状です。
 ともあれ、衣子さんの場合には、家での介護体制もあり、家族の理解もあり、起きる、ということに関しての方向性はつけることができました。しかし、ここから直線的に、立てるようになり歩けるようになり、とはいかないのが常です。できないことができるようになる、というのはとてもとても大変なことです。それは若い方でも同じことで、極端な話をすれば、ピアノが弾けない方がベートーベンを弾けるようになろうと思ったら、それこそ「血のにじむような」練習をしても何年もかかる。或いは、何年もかかっても弾けない、ということもあるでしょう。いったん歩けない状態に陥った方が歩けるようになる、というのは、ピアノに比較をすれば、昔は歩いていた、という点では、学習する内容は少なくても済むかもしれませんが、やはり大変難しいことであることは間違いありません。「訓練」「練習」ということには、様々な要素が付随します。ピアノの練習にしても、弾くことが大好きで、楽しくて仕方がない、と思っている人と比べれば、ピアノが嫌いでいやいや弾いている、という人の方が当然練習量も少なくなるでしょうし、上達は遅くなるでしょう。ある曲を弾けるようになったら賞金を出す(お小遣いを上げる)といったような褒賞制度が有効になることもあるでしょう。確かに「才能」とか、「背景」といったものもあるでしょうが、陳腐な言い方ですが、こうした「やる気」とか「努力」とかいった部分が重要であることもまた確かなのです。衣子さんの場合にも、それは同様でした。介助をしてでも車椅子に移って、食事を自分で食べられるようになって、というあたりで、御家族も「もうこの辺で・・・」という気持ちになったようですし、何より御本人には、現在の自分の状況を判断して、「もっとよくなりたい」「そのためにはどういうことをしなければならない」というように、筋道を立てて了解することは難しかったのです。
 ここでは、衣子さんの「病気」のことについてはほとんど触れていません。糖尿病があったり、心不全の危険があったり、といったことは検査上はあり、検査や薬の調整は続けていましたが、86歳の方として格別に重症ということもないと思われました。しかし、このように「運動量」を増やしていく、という過程では、確かに不安なことも多い。寝ていた状態の方を起こす、という、ただそれだけのことであっても、高齢の方にとって、心臓にかかる負担はかなりのものです。純粋に、筋力、とか、バランス、とかいうことのみで、立てる、歩ける、ということを判断することも危険です。それだけに余計に、本人や家族の「強い」希望がない状態で、「訓練」を進めるということは、しかも、在宅という管理の不安定な場所では、医療者側としても積極的に勧める、ということはし難い状況でした。
 こうして、初めて伺ってから約1ヶ月後、12月の半ば過ぎ頃には、食事の時には家族が起こして、出したものが自力で皆食べられ、1日に20分程度は車椅子に移したりベッドサイドで座ったり、といったことをする、という生活が、何となく安定してしまい、ここからは膠着状態、というか、一進一退、というか、あまり介入の余地のない状況となります。本音を言えば、私自身が攻撃的な性格なのでしょうか、「変化がない」状態、というのは「落ちていく」「徐々に衰退していく」状態だと思ってしまいます。まあ、それでも皆が受け入れている安定した状態ではあるのですが。衣子さんの場合も、最初伺った頃には、腰痛のことを除けば、軽い介助で立ち上がることもできそうなくらいの力はありましたが、この頃には、ちょっと立つのは無理かな、という印象になっていました。そして、正月を挟んで1月5日に伺った際には、御家族も正月には忙しかったようで、ほとんど寝たきりの状態で、踵に褥創(床ずれ)ができかかっていました。
 その後の詳しい経過は省略します。特に何事もなく、と言えば何事もなく、淡々と経過し、2月4日の早朝、御家族から、「息が停まっている」との連絡が入りました。私が伺ったのは6時10分、呼吸停止、心停止、死亡を確認しました。御家族の話では、「前の晩は、食欲がない、と言ってほとんど食べなかった。(お嫁さんが)ベッド脇で寝ていたのだけれど、3時頃に少し咳き込んでいたようで声をかけたけれど、『大丈夫』と言っていた。5時半頃に起きて見てみたら、冷たくなっていた・・・」ということでした。
 息子さん御夫婦と、初めてお目にかかる孫娘さん、御家族が皆顔をそろえておられました。その時にはもう時間が経っていたこともあるでしょうが、皆さん落ち着いておられ、衣子さんが亡くなった、ということについては受け入れができているようでした。癌の末期である、というような場合には、亡くなることが充分予想もされ、医者もあらかじめ最期の時についての説明もしていますが、今回のように、特に予兆なく朝になって見てみたら息が停まっていた、という場合には、多かれ少なかれ動揺がつきものです。それは、我々医療者側にとっても同じことで、正直なところを言えば、御家族から責められたり、ということもある程度覚悟はしています。「なぜこんなことになったんだ」と。2日前、正確には1日半程前の2月2日午後に、最後の訪問診療に伺っています。そのときのカルテを見ると、「調子は悪くない、食事も普通に一人でとれている。車椅子に30-40分程度移っている。(私を見て)『おや、どなただったかしら?どこも何ともないよ』と。」とあります。その他、足のまき爪の治療をしたのみでした。
 こうした、突然、と言っていい亡くなり方の場合、しかも、在宅では死因もはっきりと断言できるような状況ではない場合、正式なことを言えば、警察沙汰、ということにもなりかねません。法律的には、「診療中の患者が、診療対象でなかった傷病で死亡した場合」には、死亡診断書は書けない、ということになります。形の上では、不審死、ということになるわけです。
 衣子さんのケースでは、胸を張って「死亡診断書」を書く、ということは難しい状況でした。確かに、この3ヶ月の経過の中で、むくみが出現したり、投薬によって解消したり、といったことがあり、亡くなる直前に少し咳き込んでいた、というような状況からは、「急性心不全」或いは、「痰が出し切れなかったことによる窒息」のようなことが考えられました。しかしこうした病名は、我々のような仕事をしていれば、86歳、退院直後、ほぼベッド上寝たきり、といった状況下では、常にありうる、という程度のことであり、今回、衣子さんについて特別にそのことが強く疑われる、という種類のものでもない。その意味では、退院直後の高齢者を、このように起こしたり座らせたり、といった風に動かしたことが、心臓に対する負担を増し、死期を早めたのでは、ということも思われる。杓子定規に「死因を確実に」しようと思えば、病院へ運んで、死後であってもCTなどの検査をしたり、或いは警察に入ってもらって最終的には解剖まで考える、ということになってしまいます。
 もともと、上に書いたような法律が必要となったことの意味を考えれば、死の直前に医師が診察していようとなかろうと、何らかの病気で、充分に亡くなることが予測されている状況であれば、医師としては死亡診断をしても構わない。しかし、直前に診察をしたばかりであっても、予測もしていないような死であれば、何らかの事故、或いは「事件」である可能性もあり、警察に通報すべき、ということなのでしょう。穿った見方をすれば、衣子さんのケースでも、ことによると私が知らなかっただけで、衣子さんの遺産を巡って、御家族が衣子さんの首を絞めたのであったかもしれない。・・・医師の裁量で、「そこまでのことはない(殺人事件ということはないだろう)」という判断を自信を持ってつけることが可能であるのか、或いは、ただ、病院へ運んで検査をしたり警察を呼ぶのが面倒臭かったからか呼ばなかっただけであるのか、・・・突き詰めてみれば、自分の心情としても怪しいことだらけになっていきます。
 結果としては、衣子さんのお看取りについては、御家族の方にお尋ねはしましたが、解剖の希望はない、ということで、私の方で「老衰」として死亡診断書を書きました。在宅での看取りには、医師の側からすると、多かれ少なかれこうした「境界領域」がつきまとうものです。

次のコンテンツ→

bottom of page