在宅看取りの記録
はじめに~自宅で死んでみませんか
ここに掲載するのは、私が過去二十数年程の間に出会った「死」を集めたものです。そのほとんどが、御自宅で、御自分の布団で、御家族に囲まれてお亡くなりになった方のことを書いています。
私は、今は「訪問診療」ということを専門にしているクリニックを開業している医者です。一般の方々にはまだあまり馴染みがない言葉かもしれませんが、読んで字の如く、患者さんの御自宅へ「訪問」して診療をする、ということをしています。往診、と言っていたのと何が違うのか、とよく尋ねられますが、まあ同じだ、と思ってもらって構いません。訪問診療、と言うのは制度上の用語のようなもので、患者さんの側から見れば、医者が家に訪ねてくる、という点では変わりはありません。
医者は、勿論一般の方々よりもたくさん人の死を見る職業でしょうが、私は今のところ訪問診療を専門にしていますので、御自宅で亡くなる方ばかり見ることになります。そして、それは今の日本では圧倒的に少数のことです。八割以上の方が病院で亡くなる、と言われます。
私も以前は病院に勤務していましたので、病院で亡くなる方もたくさん見てきましたが、訪問診療をするようになって患者さんの御自宅に入り込むようになると、病院以上に、いえ、病院では考えもしなかったような、様々な「死に際」が存在することを知るようになりました。病院での死、は、良かれ悪しかれ、やはり病院、医療者側の主導になります。患者さん側の意向を尊重する、とは言っても、今の私の立場からすると、「他人の家」で死ぬようなものです。御自宅での死、は、やはり(多くの場合は 「御家族」の、ということでもありますが)患者さん側の主導であり、我々医療者も所詮お客さんです。家に上がりこむ、ということで、患者さんやその御家族についてより深く知ることになるのは勿論、家の中の様子、経済状況、食べているもの、趣味、飼い犬や飼い猫、同居していない孫さんやひ孫さん、飾ってある写真、等々に触れ、そのそれぞれが独特の生活空間の中で、その主人公の方を見送る、ということになります。
比べるべきことではないのでしょうが、同じく死を迎えるのであれば、病院での死よりも御自宅での死の方が幸福であろう、と思います。勿論いくらも条件をつける必要はあります、一概に、全ての方にとって、御自宅で死ぬ方が幸せだ、とは言えないでしょう。しかし、様々な方の死に接する機会が増えるにつれ、自分だったら、病院でよりも、自分の家で死にたい、と、私は思うようになった、その思いを、少しでも一般の方々にも知って頂きたいと思い、こんなものを書き連ねて掲載することにしました。
現在の日本の医療情勢では、私のやっているような在宅訪問診療が大いに勧められています。諸先進国と比較して、日本では、医者の数が少ない割に、病院のベッド数は多く、入院期間が長い傾向にある。これは、高齢者が入院すると、退院しても家での介護が困難である、という理由でそのまま入院を続け、病院で亡くなることが多いこともその一因である、とされています。そして、こうした傾向が、医療費全体を大幅に押し上げ、健康保険がパンク状態である一因である、と。だから、国としては、必ずしも病院に入院しなくても、家に帰れる、あるいは、家にいられる状態の方であればなるべく家にいて、手の尽くしようのない状態である、と判断されれば、そのまま看取りまで家で行うべきである、と考えています。そのためには、亡くなったときに家で死亡診断をする、ということも含めて、御自宅まで訪問をする医者に増えてもらわないといけない、というわけです。現実には、今のところそうしたことを担う医者はそう多くはなく、家で死にたくても叶わない、という側面があるのも事実です。
医療費を削減しよう、という目的を前面に出して訪問診療を勧めよう、とすると、何だか国の思惑がいやらしいようなものに聞こえるかもしれませんが(国の思惑は実際いやらしいものなのかもしれませんが)、私個人は別に国の尻馬に乗ろう、とか、国に迎合しよう、いう気はありません。医療費削減、といった経済的な問題を抜きにしても、病院での死よりも御自宅での死の方が幸福であろう、と、素直にそう思うだけです。あえて上に書いたことを繰り返しますが、「家にいられる状態の方であればなるべく家にいて、手の尽くしようのない状態である、と判断されれば、そのまま看取りまで家で行うべきである」と、素直に思うのです。
再度、念のためにお断りしておきますが、病院に行った方が良い、という状況は勿論いくらもあると思います。病院で手を尽くしてお亡くなりになる、ということの方が幸福である状況はいくらもあると思います。状況はその都度判断することが必要ですし、より適切な方を選択すべきであることは言うまでもありません。しかし現状では、私のような訪問診療の専門の立場からすれば、「御自宅で亡くなっても良い方」がたくさん病院で亡くなっておられ、また、一般の方が、或いは、病院に勤務している多くの医療者が、御自宅で亡くなる、という選択肢についてまだあまり御存じないように思います。
以下、本文中では、仮名を使ってはありますが、一部を除いて、全て私が実際に診療をしてお看取りをした患者さんの経緯を記してあります。私の視点というフィルターを通してのことですので、若干のフィクションは混じっているかもしれません。本来患者さんのプライバシーに触れることでもありますので、「フィクションである」と思ってもらうべきかもしれません。基本的には、患者さんそれぞれの具体的な描写はなるべく避け、個々の状況や医者としての判断といった方に重きを置くようにしています。私自身、全ての方について完全に満足のいく判断をできたともとても思えませんし、技術的にも、もっとこんなこともしてあげられたのではないか、と勉強不足を後悔する例もあり、はっきり失敗であった、と自戒をしている例もあります。お読みになった方々の中には、逆に、御自宅で亡くなることに不安を覚えることになるような方もおられるかもしれません。
死は誰にでも訪れることです。そんなことは当たり前のことで今更言うまでもないことなのですが、多くの方の死に立ち会ってみると、御本人はともかく、御家族の方は、その誰にでも訪れる死が、今目の前にいる、自分の愛する家族に起こりつつある、ということは、やはりなかなか了解できないようです。でも、誰にでも訪れる死、は、私にとって、そんなに恐ろしいものではないようにも思えます。私が経験を積んだ、からでしょうか。
どの方も、御自宅での死を、安らかに、穏やかに迎えられたら、と思います。
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