​在宅看取りの記録

Ⅰ 老衰

○○俊さん、享年100歳  「100歳になったね」

 俊さんは、私がある診療所に勤めるようになって、初めての「急患呼び出し」となった方でした。ある年の11月から、非常勤でその診療所にお手伝いに入るようになっていましたが、11月28日に、「ゼーゼーが取れない」と連絡が入り、往診しました。
 俊さんは、この時点で99歳、小さなお婆ちゃんで、ベッド上で縮こまっていて、身動きなどもう何年もしていない、という風情でした。食事も口からはとれず、経鼻経管栄養(鼻から胃へチューブを通して流動食を入れる)となっていました。
 往診時、聴診器を当てるまでもなく「ヒューヒュー、ゼーゼー」という喘息のような呼吸音が響いて、目をつぶったままでした。お嫁さんが主に介護をしておられ、この方ももう70歳くらい、こういう呼吸音はしょっちゅうのことで、慣れてはおられるようでしたが、もう3日くらい続いているので心配になって、という連絡のようでした。
 こうした方を、初めて診察するのは、とても難しいことでした。既往歴を見ると、近くの総合病院呼吸器科の先生に診察を受けていて、度々入院をお願いしていたようです。傷病名、としては、「喘息」となっており、喘息の薬は既にあれこれ使用し、吸入も行っている。聴診上は、左下肺の呼吸音が弱いように思われるものの、これも、99歳の方で、初めての診察で、確信のもてる所見とは言い難い。熱もない。おなかも張っていて、排便も数日ない、と言う。
 結局のところ、御家族がどうしたいのか、もう家では大変なので入院したい、というSOSなのか、このまま家でできるだけのことをしましょう、ということなのか、本人の意向はまったく確認しようがないので、慎重に言葉を選んで、御家族の希望をお聞きすることになります。当面、抗生剤を処方して経過を見ることとなりましたが、その日の晩、23時になって、「状態が変わらないので」と連絡が入り、再度往診、いつもお世話になっている総合病院呼吸器科の先生に入院をお願いすることになりました。

 

 1ヶ月経って、12月22日に退院してきました。入院での診察は、「肺炎よりは、便秘(イレウス)」という程度のもので、そのくらい、この年齢の方になると、確かな診断名をつけるのが難しい、ということなのです。おなかが張ってしまって、呼吸も苦しげになる。しかし、肺炎・気管支炎の要素も「ないとは言えない」。退院して来たからと言って、決して呼吸が「楽」になっているわけでもなく、危なっかしい呼吸をしている。
 こうして、その後も年が明けて2月22日~3月15日に入院(便秘?)、退院後3月22日には、いよいよ100歳のお祝い、となりました。われわれが訪問に伺っているところで、お祝いのための衣装へ着替えさせたり、と大騒ぎとなっており、早々に退散したことを覚えています。
 正直なところを言うと、もう、誰のためのお祝いなのだろう、と思ってしまいました。本人は恐らく何もわかっていないまま、ヒューヒューと荒い呼吸をしている。決して、「いい状態」とは言えない。それでも、100年生き続けてきたことに、周囲では、「何か」をしてあげたい、と思う。行政もやってきて、表彰状を下さる。
 その翌日、3月23日、喘鳴が強くなった、とのことで、この頃私はまだ非常勤でしたので、クリニックの院長から呼吸器科の先生に、再々度の紹介となり入院。4月6日に退院してきました。
 私が常勤となったのが4月からで、この退院からは、主治医としての責任を持って、診療をする、ということになりました。結局、こうした責任の所在、ということは、我々の診療においては大きなことです。複数の医師が関与していれば、相手の診療について、なかなか訂正をしにくくなります。4月10日に訪問した際に、経管栄養の量を、1000Calから、750Calに減らし、それまでも少しずつご家族にはお話して来ましたが、もう、はっきりと、「終末期」である旨お話をしました。お嫁さんも、あらためて言うまでもなく、そろそろ、ということは理解をしているわけですが、具体的にどう対応していいかわからないので、困ったら、言うままに「入院」となってしまう。しかし、今回は、非常勤ながら約5ヶ月のお付き合いの中でもまた一回り小さくなり、衰弱も進んでいること、そして、やはり、100歳を何とか迎えることができた、ということが、お嫁さんの中でも、少し、肩の荷を降ろした、という感じになっていたのだろうと思います、お嫁さんも、これ以上の入院は、もう苦しいだけかな、ということを受け入れるようになってきていました。
 最期のときは、本当に、すぐでした。その翌週、4月17日に伺うと、やはり、ここ数日ずーっとゼーゼーしたままなんです、と。その時点で、呼気は延長しており、呼吸状態として既に危険な徴候でした。
 もういよいよ危ないと思います、入院をしてもまた乗り切れるかもしれませんが、すぐに同じことの繰り返しになる可能性が高いですよ、入院中に繰り返していた、ステロイド剤の注射などは、おうちでもできますよ、とお話しすると、そのまま入院をせずにおうちでみることを納得されました。
 いったんクリニックに戻り、ステロイド剤等の準備を整え、17時過ぎに再度伺うと、既に下顎呼吸となっており、血圧は90程度、咳反射や睫毛反射、痛み刺激に対する反応もほぼなくなっていました。医者の目からは、もう数時間持つかどうか、というところで、なるべく楽にさせてあげましょう、ということで、経鼻胃管も抜き、(形ばかり)点滴を行うよう試みましたが、血管も見えず、一度失敗した時点で、御家族の方から、もういいです、と言われました。
 みるみるうちにも呼吸状態が落ちていく様子で、家族を残して立ち去ることが難しく、一緒に畳に座ってお話をしている間に、18時、いよいよ呼吸も間遠になってきて、血圧も測定不能、近傍の身内の方が皆、次々と集まられ、俊さんの体を入れ替わりにさすってあげました。
 呼吸が一見止まったように見えてからも、しばらくは思い出したようにまだ呼吸をしたりもし、その度に、お嫁さんは泣きながら、「婆ちゃん、頑張れ、頑張れ」とほっぺたをはたき、一喜一憂の時間がしばらく続きました。そのうち、18時20分、俊さんの呼吸が最終的に止まり、死亡診断としました。
 在宅の訪問診療の仕事をしていても、なかなか亡くなる瞬間に立ち会うことはありません。既に呼吸が止まったあとに呼ばれるケースがほとんどで、こうした形で、1時間以上、ずーっと付き添うケースは滅多にありませんでしたが、御家族にとっては、自分で言うのは何ですが、安心して最期を迎えられたのではないかと思います。お嫁さんもつくづく、「私も良くここまでできたと思う」とおっしゃっており、御家族内のことはわからないながら、嫁と姑として色々なことを振り返っておられたのだろうと思います。
 これが、私がその職場に転勤してからの、最初の「看取り」となりました。皮肉な言い方ですが、やはり、高齢者の看取りは、本人よりも、周囲にとっての儀式であるのだなあ、という思いが強く残りました。
 

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