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​在宅看取りの記録

Ⅱ 癌の方

○○政信さん 享年71歳「妻が現れたりしている」

 ○○政信さんは、7月11日に初回訪問に伺い、僅かに4回の訪問をしただけでお亡くなりになってしまった方です。
 7月10日付けの、病院からの紹介状はこのようなものでした。
 「・・・・・・6月頃より食欲低下、倦怠感あり、6月中旬より黄疸を自覚。嘔吐し食事もできないため、7月9日に近医を受診し、超音波検査、CTにて膵臓癌と考えられ、本日紹介となっています。・・・・・・当科でも超音波検査を行い、膵頭部に5~6cmの巨大な腫瘤を認め、肝臓はほぼ転移により占められています。・・・現在痛みはほとんどなく、肝転移自体による黄疸が主体と考えられるため・・・・・・しかし食事はできなく、点滴は必要かと考えます。当科満床の状態であり、勝手なお願いで申し訳ありませんが、在宅の点滴を含め、加療をお願いできないでしょうか。・・・なお、家族には以上をそのまま、(予後は2週間前後か?)本人にも、“積極的に治療できる状態ではない末期の癌”と告知しています。」
 すぐに翌日7月11日、御自宅へ伺いました。あまりにも急速に進行し、特に今まで状況のわかっている医者がいるわけでもなく、ただ、とにかく末期の癌である、という情報のみで、何事かを始めないといけないのです。
 国道から一本裏へ入ったすぐの住宅地の一角、とは言っても、何だか明るく開けた角の平屋のお宅、玄関先に小さな子供が出迎えてくれ、上がってすぐ右のお部屋に、政信さんはごろりと横になっていました。息子さん夫婦は別に住んでおられるとのことでしたが、病気がわかって、しばらく仕事を休んで一緒にいます、ということで、小さな男の孫さんも、ここから幼稚園に通うのだそうです。
 政信さんは、なるほど全身まっ黄色でした。私も同行の看護師も、黄疸はいくらもみていても、こんなにまで黄色い状態は見たことがありませんでした。「よほどの状態」になるまで、医者に行かなかったんだろうなあ、と、まずそう思ったことを覚えています。医者の悲しい習性でしょうか、「なぜこんなになるまで・・・・・・」と、患者さんを叱りたくなってしまう。しかし、できれば医者になんてかかりたくないのも当然ですし、もう少し早く受診していたからといって、それで治療ができたかどうかだって責任のあることが言えるわけでもない。通常医者が政信さんのような状態を見るとするとやはりある程度大きな病院で見ることが多い、そうすると、何らかの処置を施して、例えば政信さんのような黄疸であれば、もう少し黄色さが薄れていくのも見ることになります。最初は重症の状態に出会うことはあっても、治療の結果「ある程度」のところに落ち着いていくのが、病院での経験、としての記憶です。しかし、在宅訪問診療の現場では、こうした最重症の状態がぽんと飛んでくる。最重症であっても、その症状自体に対しては何も打つ手がない。それ以前に、診断(この場合には、膵臓癌であり、肝臓に転移している)の情報についても、自分で確認がとれたものではなく、「本当に」そうなのか、「本当に」打つ手はないのか、ということについて、得心がいった状態で患者さんとの関係が始まるわけではないことが多い。・・・・・・以上は、職業的な「愚痴」です。医者として何ができるのか(一般的には、診断・治療)、何を望まれているのか(一般的には、「治して欲しい」)、が、甚だ不確かな状態です。
 政信さんは、急速に病状が進行している分だけ、逆に、まだすっかり寝付いてしまっている、というわけでもなく、体の動きやお話しなどはしっかりしておられ、家の中は何とか自分で動いて、トイレなどにも行けている状態でした。もっとも、そろそろ一人では歩くのがやっとになってきていて、息子さん一家が泊り込んで色々とお世話をしてくれていました。
 政信さんと初めてお会いしたときに聞いたお話は、こんな風にカルテに残っています。「・・・一週間くらい前までは食べられていたが、食べられなくなってきた。食べるとすぐに吐いてしまう。元気なんだけど。・・・病名、状態はよく承知している。水も飲めないのでは仕方ないので、何もできないのなら、せめて点滴だけでもしてもらえれば、気持ちが違うかな。痛みはない。夜は(亡くなった)妻が現れたりしている。眠れてないみたいなんだけど、夢見たり起きたり、で、特に苦痛はないよ。・・・」一緒に暮らしていた奥様は、1年程前に亡くなったそうで、その奥様が迎えに来ているのだそうです。別に不思議な風でもなく、そんなものだよ、という風にあっさりとおっしゃる。聞いている我々も、息子さん御夫婦も、ごく自然に、そんなものなんだろうな、と受け止めている。部屋には仏壇があり、奥さんの写真が立てられ、綺麗にしてあります。我々医者は、癌の末期の方、というと、「痛みのコントロール」「精神状態の安定」といったことをまず考えてしまうのですが、政信さんは、確かに食べると嘔吐をする、ということの苦痛はあっただろうと思いますが、奥様のお力でしょうか、とても穏やかで、痛みは本当に感じていないようでしたし、睡眠剤や安定剤のようなものが必要とも思えませんでした。むしろ、焼酎がお好きだった、とのこと、少しなめて寝るくらいがいいですかね、とお話ししました。
 他のところでも書いていますが、私は基本的には、癌の末期や老衰の状態での点滴は、強く勧める立場にはありません。しかし、政信さんの淡々としたお話はそのまま腑に落ち、訪問看護と協力しながら、御希望通り、連日500mlの点滴をしに通うこととしました。おなかを診察すると、肝臓の部位もパンパンに腫れており、腸も圧迫して、食べ物が通らないのだろうな、と思わせました。その日は、点滴を刺して、3-4時間かけてゆっくり落として、あとは御家族に抜いてもらうようにお教えして帰りました。
 翌日、7月12日に伺いました。「昨日は点滴してもらったけど、最中にも吐いちゃった。終わってからも一口お茶を飲んでまた吐いた。覚悟はしているからいいんだ・・・」と。やはり痛みはなく、トイレにも2-3度は行って、夜も眠れている、特に問題はないよ、ということでした。それでもその日も点滴を、ということで、また500mlの点滴を刺しました。
 玄関から外へ出たところで、息子さんが見送りに出てきて、少し立ち話をしました。やはり「どのくらいもちますかね」ということが気になるようでした。これだけ書いてしまうと何だか冷たいように見えるかもしれませんが、御家族としてはどうしたって一番気にかかるところです。覚悟はしているので、いずれ父親が死ぬことはわかっている。しかし、三日後に死ぬのと三ヵ月後に死ぬのではやはり家族としての心の持ちようは大きく違う。医師としては、ある意味無責任に聞こえるのかもしれませんが、少しでも動ける内に、行きたい所に車に乗せてでも連れて行ってあげてもいいですよ、などと言う。癌の末期で、「いずれにしても」そう永くはないのだから、したいことをさせてあげてよいですよ、と。それはやはり他人事であるのか、家族にとってみれば、それでもやはり、本当に車に乗せて連れて歩いているときに息が停まってしまえば、「しなければ良かった」と思うことになるかもしれない。焼酎を飲ませてみても、などと医者はこれまた無責任に言う。好きだったものを飲ませてあげるのは、確かにいいことのようにも思えるけれど、しかし、飲み干して息が停まるのでは切ない・・・・・・ましてや、この時の状態ではまだ政信さんは表面的にはお話もし、何とか歩いてもいる。御家族としてみれば、数日後に亡くなる、というような切迫した感覚がもてなくても仕方がないと思います。
 実際、医者の立場としても、いつ亡くなるか、ということはわからない。意識も亡くなってきて、呼吸の仕方が変わってくれば、ああ、もう今日明日かな、というくらいのことは見当がつくし、まったく水分がとれないとすれば、2-3日ももつか、というくらいのことは言えるけれど、こうして連日点滴をしてしまっていたり、また本人の意識もしっかりしている状態では、何とも言いにくい。
 その後は、土曜日曜も含めて毎日訪問看護師が訪ねて、本人の希望を聞きながら、連日500mlずつの点滴を続けました。点滴をしている最中にもほぼ毎日嘔吐があり、口からは次第にまったく水分もとれなくなっていきました。
 次に私が訪問したのが7月16日でした。その前日の点滴も、3分の1くらい入ったところで、どうにも気分が悪く、抜いてしまったとのこと。全身は相変わらずまっ黄色で、身のおきどころがないようにごろごろと姿勢を動かしていました。脈をとってみてももうほとんど触れず、話しかけても、目をあけたり口をあけることも大儀なのでしょう、目をつぶったままでうなづくくらいでした。
 「今日も点滴をしましょうか」と声をかけると、少し間があって、首を横に振りました。もう点滴をしても辛いばかりなのでしょう。息子さんも、もういいです、とおっしゃいました。でもやはり、政信さんは安らかな様子に見えました。
 その日の夜、11時を過ぎた頃、息子さんから、息が停まった、と電話が入りました。

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