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​在宅看取りの記録

Ⅱ 癌の方

○○直道さん、享年87歳「ひ孫まで集めて遺言」

 ○○直道さんも、何とも診断のつききらない状態のまま、しかしもう「末期状態(だろう)」という見込みで、在宅訪問診療の紹介となった方です。紹介状の印象と、御本人に直接お会いしての印象が大きく食い違う方でしたが、これもまあ珍しいことではありません。
 直道さんは、もともと重症の狭心症や心筋梗塞があり、総合病院の循環器内科の医師(仮にS先生とします)が主治医、かかりつけだった方ですが、7月31日に真っ黒な便(血便)が出た、ということで翌8月1日にS先生のところに受診、その場で消化器内科に紹介されたようです。最終的には、S先生から私への紹介状により、9月5日から御自宅へ訪問診療の開始となったのですが、なかなかこの間の状況はつかみにくいものです。
 血便が出た、ということが問題だったわけで、今回の問題に関しては、消化器科にて診断をしている話のはずではありますが、大きな病院というのはこの辺の連携がなかなか難しく、我々のところには長く診ていた循環器科の先生から紹介状が届きます。それに、消化器内科の「退院時記録」という、入院の間の経過のまとめのような文書が添付となっています。それによると、狭心症も重症で心臓の機能も悪いため、あまり過激な検査はできなかったり、また、本人も希望しなったようで、8月1日には結局消化器内科では検査をせずに帰ったようです。その後、8月7日に救急車で循環器内科受診、8月9日循環器内科受診して輸血?!、8月19日気分不快で救急車で循環器内科受診。8月21日上腹部痛と吐血にて救急車で受診し、ここで初めて、緊急的に胃カメラを施行となっています。やはり胃の中には大きな黒色の腫瘤と、大きな潰瘍を認めた、とのことですが、血の塊りもかなりあってはっきりとは見えず、しっかりとした確認はせずに終了。その後は結局、心臓も重症ということで、最終確認の再度の胃カメラは行わずに、輸血のみ行って、8月25日に退院、となっています。従って、8月21日救急受診して25日まで消化器内科に入院はしたものの、確定はできないがおそらく胃癌であろう、もう何もできない、末期状態であろう、という紹介状でした。
 S先生からの紹介状は9月5日の日付となっており、「本日ご家族の方より嘔吐がひどく食事ができないとの相談を受けました。(入院をすると不穏あり、四肢抑制が必須と考えられることもあり)在宅での加療を希望されております。輸液等が中心となると思われます。よろしくお願いします。」とありました。8月25日に自宅に退院した後、家にいたが、食事がとれないので、9月5日になってS先生に相談に行った、というわけなのでしょう。
 御家族が紹介状を当院に持ってこられ、その日の夕方、私と訪問看護師で、御自宅に伺いました。御自宅は、国道から入っていくとどんどん道が細かくなっていくその果て、いよいよ車が入りきれないか、という所で、ぱっと視界が開けて川に面した大きな家の離れで、逆に川の土手から来れば土手を降りてすぐのおうちなのでした。ほんのすぐ隣の母屋からお嫁さんが出てこられ、直道さんのおられる離れに案内されました。
 離れは平屋建て、三間ありましたが、玄関を入るとふすまや障子を開け放ってあって奥まで三間とも見渡せる日本家屋で、一番奥の部屋のベッドに、直道さんは横になっておられました。
 「わざわざどうも、有難うございます。」と起き上がられて丁寧に挨拶をされ、少々面食らいました。紹介状では、「入院すると不穏」、「四肢抑制」、などと書かれておりましたので、認知症の進んだ、コミュニケーションの難しい方なのか、とも予想しておりましたので。
 こうした先入観も我々の職業の悪い癖、と言えば言い訳になるでしょうか。不穏、四肢抑制、というのもまあ業界用語のようなところがあります。「不穏」というのは読んで字の如くですが、「穏やかならざる」というだけのことで、本来病名でも何でもありません。「四肢抑制」もそのとおり、手足を縛ってしまう、ということを意味しますが、要は、手足を縛らなければいけないような「危険な」行為が予想される、ということです。一般に、昨今の老人施設等では、人権に配慮して四肢抑制はしてはいけない、ということになっていますが、これに関しては様々な議論がなされています。まあ常識的に考えて、誰だって、手足を縛られるのはいやでしょうし、自由を束縛することになるわけですから、しないに越したことはない。従って、特に、「生活の場」としての要素が強い老人ホームなどでは厳禁されており、その流れで、病院でも禁止の方向になってきてはいます。しかし、病院では、よく引き合いに出されるのは、点滴とか、酸素マスクとか、といったような場合ですが、治療上必要であり、それを自分ではずしてしまうようなことが危険な状態を招く場合には、十分吟味をして、四肢抑制もやむなし、という考え方が、今のところ最も穏やかな意見でしょうか。このところ、医療がらみの裁判も多く、四肢抑制をする場合には、その理由や期間などを明記して、家族等に承諾書を頂く、などということをすることも一般的になりましたし、逆に、病院を挙げて一切四肢抑制はしない、と宣言しているところもあり、と、まあ様々です。すなわち、「不穏」「四肢抑制」という言葉は、医療関係者が聞くと、こうした様々な背景を想像してしまうような言葉だ、ということです。
 この場合のS先生からの紹介状で、「入院をすると不穏あり、四肢抑制が必須と考えられることもあり」というのはまたあらためて読み直すと微妙な言い回しです。「四肢抑制が必須と考えられるので、うちの病院としては四肢抑制はしたくないので、入院はさせない」ということなのか、前回消化器内科に入院したときに大変な不穏になって大暴れということでもあったのか、それも、S先生がそう解釈しているのか、御家族がそう考えているのか、・・・・・・いずれにしても、おとなしく入院をするような方ではないのだな、という先入観を持ってしまうわけです。
 さて、ところが○○直道さんは、大変丁寧な、きちんとした方でした。食事がほとんどとれなくなってきていて、確かに「だるそうに」は見えましたが、会話もきちんとしていて、御自分の今の状態もきちんと了解しておられました。とても、四肢抑制が必要な方とも思えませんでしたが、しかし、こればかりは、実際に入院するとどうなるものかは確かにわからないものです。要するに、入院がとてもいやだ、という気持ちが根っこにあれば、特に夜中に寝ぼけているときに、点滴を引っこ抜いたり大声を出したり、ということは、これは、健康な成人でも起こりうることで、理解できないことではありません。直道さんが、実際に入院中に「大暴れ」をしたのかどうかは不明でしたが、もう病院に行きたくはない、ということははっきりおっしゃっていました。
 これだけはっきりした方でしたので、そうすると次には、果たして御本人は病気のことについて(癌「かもしれない」ということについて)どう理解しているのか、ということが重要になります。別室で御家族に伺ったところでは、S先生からは、「胃潰瘍があるみたいだ」としか言われていないけれど、本人は薄々承知しているようだ・・・・・・と、何と言うか、非常に日本的な状況のようでした。実際、既に書きましたように、医者の方もはっきりと癌である、と確認をしきっていない状況で、特に主治医のS先生も、専門ではないので御自分で胃カメラを見たわけでもなく、確信をもって告知をする立場ではなかったのかもしれません。それ以上に、私の立場では癌についての「病状」は勿論わからず、こうして御家族や御本人から少しずつ聞き集めるしかない、というところ、誰もが曖昧なまま、何となく何となく覚悟を深めていく、ということにしかならない。
 もし、御本人が「勘付いていた」としても、その御本人がまた気を使って、御家族には強いて尋ねたり問い詰めたりはしない、ということも、我々のよく経験するところです。実に、日本というのは気配りの社会なのです。と言っても、御本人が「勘付いている」ということについての確信もこちらにはないわけですが、すべからく、お付き合いが深まるに連れて、雰囲気で察せるような事が増えていく。直道さんは、こちらからは勿論、癌について何もお話しはしませんでしたが、初対面の初回訪問の際にも、御自分から、「いよいよになったら入院させてもらう」とおっしゃっていて、なるほど「薄々」承知はしておられるのか、と思われました。
 こうして、9月5日を初回に、当面1週間に1度訪問診療に伺うこととしました。
 しばらくは、何事もなく経過しました。と言いますか、御本人はしっかりしており、食事があまりとれない、ということのみの問題だったのですが、医者として対処するべきことになりにくい状況が続きました。「あまり食べられない」といったときに、残念ながら、医者として対処する方法は限られます。食べられない分を補給するために、点滴をするとか、流動食を処方するとか、あるいは、吐き気があるのであれば吐き気止めを処方するとか、といった、実際的なことが、とりあえずは医者として求められる部分ですが、どうも直道さん御自身にはそうした希望はあまりない。確かに吐き気はあって食が進まないのだけれど、流動食や点滴は、「水飲んでいるからいいんだ」とおっしゃって拒否。吐き気止めも、最初から処方してはいましたが、使っている形跡はないようでした。とは言え、別に「頑固爺い」というわけでもなく、やはり、全てを了解して、泰然としているように伺えました。こうした状況では、医者もただ、御様子を見て、御本人の訴えや希望をただゆっくりと拝聴する、ということに仕事を限るべきで、毎日毎食の食事を、御本人の調子に合わせてうまく整えてあげる調理人の方が遥かに重要となります。
 主に直道さんの日常のお世話をしていたのは、お嫁さんでした。我々の訪問の際にも母屋からやってきて応対をして下さいましたが、あれこれと、のど越しの良さそうなものを工夫して下さっていました。まだ残暑の厳しい折で、出来合いの市販のゼリーやらプリンなども勿論ですが、果物をすったりミキサーにかけたり、といったものやら、粥もあれこれ固さを調節したり、おかずも御本人の希望を聴きながら様々に整えてくれました。その甲斐あってか、9月中は、食事を食べても、食後に嘔吐をする、ということが度々でしたが、10月に入ると嘔吐もめっきり回数が減り、食欲自体もかなり上がって、おかわりを要求するくらいだったと言います。私のカルテも、9月10月はほとんど、「特に困ったことはない」「トイレ歩行、屋内歩行している」「痛みなし、食欲旺盛」といった記載ばかりでした。おなかの診察をすると、胃部に圧痛はあり、全体としては食事量も十分とは言えず、徐々に衰えていっている様子は明らかでしたが、この間一貫して痛みの訴えはなく、一つも投薬をしていませんでした。
 10月24日、突然みぞおちの辺りに激痛が走った、と電話が入りました。急いで駆けつけましたが、約15分はかかり、伺った際には痛みは治まっていました。みぞおちの辺り・・・やはり胃だろうか?いつものように診察をしておなかを押さえるとしかめ顔はしますが、激痛、といった様子はなく、お嫁さんの話でも、明らかに、先程までの激痛の状態は治まっているようだ、とのことでした。胃であるとすると、癌、ないし潰瘍のため、胃に穴が開いてしまう、ということも予想されるべき事態でした。あるいは、もともと心臓の問題も多い方で、今回のことがあってから、S先生からもらっていた薬も全て止めていましたので、心筋梗塞のように、心臓に新たな問題が起こった、ということも考えられました。しかしいずれにしても、訪問時には激痛は治まっており、血圧等のバイタルサインも安定していましたので、心筋梗塞や胃に穴が開く、と言った、最重症のイベントが起こったとは考えにくい状態でした。とは言っても、御本人の不安の表情は強く、また弱いながらも持続する痛みも訴え始めていましたので、この時点で、麻薬の座薬を処方し、お嫁さんにもよくよく使い方を説明しました。一般論として、ですが、やはり薬は効き目がでるまでに一定の時間がかかる、ということもあり、痛みが起こってしまってから服用しても思うような効果が得られないことも多く、今度のようなケースでは、これからもまた同じような痛みが突発的に起こる可能性もありまた、それに対する不安も大きいであろうことから、一日二回、朝夕、に、決まった時間に使い始めてもらうようお話ししました。
 その2日後、10月26日の晩に、直道さんは孫さんやひ孫さんまで含めて、家族の方を皆集めさせ、遺言を語ったそうです。その時には、家族の方も、それが「異常」な状態かどうかの判断がつかず、ひとまず訪問看護師に連絡が入り、訪問に伺いましたが、看護師の話でも、興奮状態のようには見えるが、話の内容は(一応)筋が通っており、例えば鎮静させる必要があるとまでは言えないだろう、ということで、その晩はそのまま、翌日10月27日に私が伺いました。午前中に伺いましたが、やや興奮は持続しているように見え、ほとんど睡眠もしておられないようでしたが、意思疎通には特におかしなところはなく、意味不明なことを言うというわけではない。確かに、「異常」か、と問われると何とも言いにくい。こうしたことの客観的な判断と言うのは、真に難しいものがあります。我々医者の場合には、「薬を使って抑え込むまでの必要があるか」という観点で見てしまうので、ある意味では余計甘くなってしまうのかもしれません。いやしかし、上に述べたとおり、入院して夜中に点滴を抜いてしまったりするような場合には、入院、という、自分達の管理下のことでもあり、治療上点滴を抜かれたりしては困る、という言い訳もあり、早目早目に薬を使って鎮静させることもあります。今回の場合、直道さんは御自宅におられ、御家族を集めて遺言を語る、という、考えようによっては非常にまっとうなことをされているわけであり、鎮静をかけてしまって遺言が語れない、ということもこれは困ったことになるわけです。私は遺言の内容まではお聞きしませんでしたが、いずれにしても、先日の激痛発作以降、御本人としては御自分の死期が近いことについても新たな感慨を持たれたものと思われますし、それが、とても不安の大きい日々につながっていることも想像できました。また、お嫁さんに伺ってみると、先日お出しした麻薬の座薬は結局使っていない、ということでした。麻薬を使い始めると、やや過量であったりすると尚のことですが、痛みが抑えられる、ということによって、少しトロンとしたり、だるさが強く出たり、といったこともありえるため、本人も御家族もそれを嫌ったようです。私としては、もう起こりうる苦痛を避けられるだけ避ける、という時期だ、と判断してのことだったのですが、結果としては、御本人達にとっては、まだ「そこまでの(麻薬を使うまでの)」苦痛ではなかった、ということなのでしょう。その結果、今回の遺言、ということになったのだとすれば、これはこれでよい。我々専門の立場では、麻薬を使うことにそれ程のハードルは設けないようにしてきているのですが、そうは言っても、現実に新しい薬を使うときには、どんな反応が出るかはわからない。我々は薬を処方はするとして、在宅医療の現場では、やはりそれを使うかどうかは、御本人・御家族の決定に委ねられる部分が大きい、ということになります。この日、私は御本人とお嫁さんにあらためてお話しを伺い、抗不安剤を処方することとしました。
 また一週間後、11月2日に伺った際には、「体がこわい、だるい、食事はほとんど採れなくなっちまった。また吐くようになった。水分は結構飲んでいる。」との訴えでした。痛みはない、だるいだけだ、と。表情は穏やかでしたが、決して不安がないわけではない、目を閉じたまま淡々と語られました。
 11月9日、午前11時、「だるい、水も飲めない、腹も背中も痛いなあ・・・」、と、視線の定まらない状態で話されました。もう四肢末梢、手足の指先の色も悪く、本当にほとんど水分もとれていないことが窺われ、数日、ないし数時間、いつ逝かれてもおかしくない様子でしたが、言葉ははっきりしておられました。それまでほとんど訴えることのなかった、腹~背中の痛み、ということをおっしゃったので、その様子としては、激痛、というものではありませんでしたが、最期のときまで痛みを残したまま、ということは切なく、息子さん、お嫁さんをお呼びして、あらためて、もういよいよ長くはない、麻薬の座薬を使ってはどうか、とお話ししました。息子さんは、もし座薬を使って、眠ってしまうようなことになるのであれば、その前に孫にももう一度会わせておきたい、と、やはり麻薬を使うことへの抵抗がおありのようでしたが、息子さんと一緒に、御本人に、麻薬を使うことについて御説明をすると、「使って欲しい」というお返事でした。「痛み止めだけど、これで眠ってしまうかもしれないよ」とお話ししましたが、「かまわねえ」と。
 その場で、既にお出ししていた麻薬の座薬をお入れしました。十分ほどすると、安らかな寝息を立てて眠りにつかれました。
 その晩、21時5分、呼吸が停まったようだ、と、息子さんから電話が入りました。皆が母屋で夕食をとってそのあと覗きにいってみると、もう息をしていなかった、とのことでした。

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