​在宅看取りの記録

Ⅱ 癌の方

○○美佐子さん、享年81歳 2007.1.28「正月みたいだよ!」

 ○○美佐子さんは、私共のクリニックからすぐ近くの開業医の先生からの紹介状を持って、娘さんに付き添われて10月19日に来院されました。紹介状には、「直腸癌、肝臓に転移あり、3月に血便があり病院に入院して診断された。高齢のため、手術は不可能で、癌に対する治療困難。」とありました。退院した後は、歩くことも可能だったので、昔からかかりつけだったそちらの開業医の先生の所に通院していたのですが、段々通院も難しくなってきた、という紹介でした。
 娘さんのお話では、「今のところ、少し手を貸すくらいで歩けているので、できれば今までどおりの先生の所で、もうしばらくは診察をお願いしたい。でも、近いうちに歩けなくなってしまうかもしれないので・・・」と、この日は御挨拶だけ、という形でした。御本人には癌については告知していないし、今後も知らせたくはないので、というのが娘さんの御希望でした。
 以前からかかっていた、近くの開業医の先生は、私自身はお目にかかったことはありませんでしたが、かなり年配の先生で、美佐子さんももう何10年のお付き合いだ、ということでした。私達にしても、初めて患者さんとの関係が始まるときには緊張します。人間どうし、いくら仕事だとは言っても、やはり相性というものはあります。初対面の際に、どんなに丁寧に、冷静に、お話ししようと思ってみても、お互いの体調や精神状況によってだって、うまく関係が結べない、ということだってあります。何十年もかかっていたベテランの医者に、もし、最期まで看取ってもらえるのであればそれに越したことはない、「商売っ気がない」ということになるのかもしれませんが、できる限りそちらの先生にお世話になることには何の異存もなく、「通院できない状態になればいつでもお伺いしますので、患者さんの御希望通り、ぎりぎりまでそちらでお願いします」旨、お返事を書きました。
 ところが、僅かその6日後、10月25日に、娘さんだけが来院され、「2-3日前に熱が出て、それから食事もほとんどとれず、動けなくなってしまった」と。即日、御自宅に往診で伺いました。お家は、町なかから外れて山に向かうあたりの古い住宅街の一角でした。御家族は、美佐子さん御本人と御主人、娘さんの三人。美佐子さんは奥まった6畳の和室に布団を敷いて横になっており、ご主人も娘さんも同じ部屋におられました。二階建てのお家でしたし、一階にも他にも広い部屋がありそうでしたが、どうやらこの美佐子さんが横になっておられる部屋が居間となっているのか、すぐ横は台所で、家族の生活の大半はこの部屋で充足しているような印象でした。
 美佐子さんは、その前の週にクリニックでお目にかかったときから、とても笑顔の柔らかい、穏やかそうな人柄を感じさせる、ふっくらした方でした。御主人にはこのとき初めてお目にかかりましたが、やはり表情の柔らかい、少しも棘のないにこやかな方で、娘さんもまた同様でした。美佐子さんの癌、と、そのことをご本人には伏せている、という微妙な状況ではありましたが、この小さな居間の中の御家族の雰囲気はとても和やかなものでした。私と看護師が入ってしまうと、計5人、一人は布団で横になっている、というかなり密集した環境でしたが、不思議と狭さを感じさせない、ゆったりとしたお部屋でした。
 しかし反面、美佐子さんは81歳、白髪の目立つ娘さんもおそらくは50歳代、家全体が、古びた、薄暗い印象で、勿論そのために落ち着いた雰囲気を醸し出している、ということもあったのでしょうが、失礼を承知で言えば、「朽ちていく」、という趣きの家でした。こうした書き方は偏見のように受け止められるかもしれませんが、子供や若者のいない家というのはやはり独特の臭いがあります。私達は、さらに、その家の中の高齢の方が、病気で動けない状態になっている所に伺うわけですから、いっそうそうした思いを強くもつのかもしれませんが。和やかな雰囲気ではありながら、沈んだ雰囲気。外へ広がっていく、継がれていくもののない、淀んだ空気。
 「美佐子さん、どうしちゃったの、病院に来れなくなっちゃいましたか。」思い切りテンションを上げて話しかけました。
 本人に告知をしていない癌の方の場合、しかも、他の御家族も同席しておられる場合は余計に、自分が芝居をしている、ということの意識が強くなります。こうして「末期になってきて、癌に対する治療はもうできない状態で、訪問診療を行う」ということは、医者としては、はっきり近いうちに訪れるであろう、死のことをまず念頭に置くことになります。しかし、本人はまったくそのことを意識していない。いや、正確には、「医者が訪ねて来るほどまでになった、もうそろそろ危ないのか」など、徐々に、薄々と感じている場合もあるでしょう。御家族の方は、癌については承知しているとはしても、我々医療者とは違い、経験があるわけでもないですし、勿論家族としては、死ぬ、ということを遠ざけた感じ方、接し方になります。つまり、その場にいる面々が、それぞれに異なった思惑をもって同席していることになります。
 美佐子さんは、布団の左側を壁につけて、右側、すなわち部屋の中央を向いて横になっていました。どこも痛くはない、じっとしていれば気持ちも悪くないんだけど、食欲はない、何にも食べたくない、とはっきりおっしゃいました。顔を見ただけで、むくみは明らかで、聴診をすると、下になっている右側の肺に雑音が入り、呼吸も荒い状態でした。尿もほとんど出ていない、というお話で、心臓がかなり弱っていることが疑われました。
 クリニックでは一度お目にかかってはいましたが、事実上初めての診察で、しかし背景の癌についての情報が入っているだけに、対応をどうするか悩ましい状況でした。すなわち、癌の末期で、徐々に進行してきて、「いよいよ」という状態であるのか、ここを何とかすればまだいくらかの余命が期待できるのか、の判断が、すぐにはつきかねました。直腸癌からの出血も、排便時にはいつも見られており、検査上も貧血はかなり重度のもので、このようなむくみ、心機能の低下は、いつ起こっても仕方ない状況ではあったのです。
 しかし、ほぼ初対面の状態で、「もうどうしようもありません、このまま看取ってあげましょう」ということは、事実上、できません。医師として、医学的にも、状態の把握がはっきりとはできていないこともありますが、それよりも、我々の間の関係性が、まだ「そのような」ものにはなっていない。いわゆる「虫の息」のような状態であればともかく、御本人は会話もしっかりでき、調子の悪さを訴えています。ここは、救急外来に来た初診の患者さんと同じように、症状に対してすべき処置をする、ということを考え、心臓の負担を軽くして、むくみを軽減させるために、尿の出を良くする利尿剤を注射して戻りました。
 翌日10月26日にも訪問すると、その後尿がだいぶ出て楽になり、その日の朝は桃やお粥を食べた、とのこと、表情も見違えるようによくなっていました。その日も利尿剤の注射をもう一度し、そのあとのために、5日分だけ飲み薬でも利尿剤を追加していきました。連日訪問看護や電話等で状態を聞いていましたが、むくみは徐々にとれ、食欲も日々改善している様子でしたので、しばらく訪問には伺わず、その次に11月2日に伺った際には、「どこも悪いところなくなったよ」、11月9日には、「なんで来たの?私どこか悪いのかい?」と笑って言われてしまいました。もともと非常に明るく、ユーモアもある方でしたので、「何ともないようならもう来ないよ」とこちらも笑って応対しました。
 これくらいのこと(注射1・2本)ですっとよくなる方を見ると、ああ、お医者さんって有難い、と、我ながら思います。いやらしいでしょうか?別に、感謝しろ、というつもりではないのですが、自分ながらほっともしますし、自分のことを誉めてやりたくもなる。逆に言うと、特に在宅訪問の仕事をしていると、こんなにあっさりと効果が出るような治療を施すことは滅多にないのです。とにかく、一定回復をしてしまえば、美佐子さんは、にこやかな人のいいお婆ちゃんで、御家族も皆ほのぼのと暖かい方々でした。美佐子さんはまた少しずつ起きて、トイレになど行くようにもなり、そうしていく内に、我々の関係も築かれ、あらためて、「癌のことは本人には内緒のまま、知らん振りをして、明るく過ごす」という雰囲気が作られていきました。

 美佐子さんの「治療」について、印象に残っていることが二つあります。一つは、輸血のため短期入院の手筈としたこと。もう一つは、歯科の先生に往診をお願いしたことです。
 一見良くなった、とは言え、美佐子さんのもともとの病気は、直腸癌、肝臓に転移あり、でした。私達が直接確認はしなかったものの、娘さんのお話では、排便の後を見るとかなり血が出ているようだ、とのことでした。常のことですが、在宅訪問診療では、直腸癌を直接確認するまでのことはできません。直腸癌、ということは報告されているわけですから、この状態になってから、例えば肛門に指を入れて触診を試みる、などのことも、する必要がないし、そんなことをすれば逆に刺激になって大出血をしたりする恐れもあります。間接的に、しかし、状態の把握として重要なのはむしろ血液検査で、だらだらと出血が続いていることにより起こっているであろう貧血の進行を見ることでした。
 11月の末に行った血液検査では、貧血は、予想していたよりさらに進んでおり、元の病気はともかく、「貧血」そのものによって危険な状態になりかかっていると思われました。このときの私は、やはり「欲」が出ていたように思います。11月上旬、いったん「良く」なった状態を見てしまっていたので、とりあえず、今回の貧血を「輸血」して補えば、今しばらくこのままの状態で(元気な状態で)過ごせるのではないか、と。
 実際、「癌」と一口に言ってはみても、「癌」そのもので死ぬ、ということは、実際にはそう多くはありません。医者の目から突き詰めてみると、「癌」を背景にしてそこから波及する色々な原因で人は死にます。この場合の美佐子さんのように、「癌」からだらだらと出血をしているために、貧血が進行して、「出血多量」のようになって死ぬ、ということもその一つです。こうした場合、「癌」そのものには手出し(癌を取り除くとか)ができないとしても、その結果起こっている貧血の方は、輸血をして補うことができ、それによって、死ぬことは少し先送りできるかもしれない。しかし、広い意味で考えれば、それも「延命」ということになるのかもしれない。一般的にはこの状況で、貧血が進んで死に至ったとしてもそれはやはり「直腸癌」による死、と説明されます。いずれにしても、死期が近いことには変りはないだろう、しかも、仮に輸血をしたとしても、おそらくまた一ヶ月後、二ヶ月後には貧血は進行し、またまた輸血を考えなければならないだろう・・・
 私自身は、「延命」という言葉で一般に表現されるような事柄は基本的にはすべきでない、と考えてはいますが、実際にはこうして、「延命」と呼んでいいのかどうか、という時点から悩むケースもたくさんありますし、また、私自身の意見はともかく、御本人や御家族それぞれがお持ちの意見を尊重する必要もあります。輸血については、その可能性については初期の段階から御家族には説明していたのですが、結論は出ておらず、今回、検査結果が明らかに「瀬戸際」になってきた、ということであらためてお話ししました。娘さんとしては、前回、癌の診断となった3月に入院をしていたときにも、短い期間だったが、美佐子さんの精神状態も不安定となり、あまりいい思い出がない、ということがあって、入院させたくないようでしたが、このまま出血が続くとするともう本当に長くはない、ということになるとやはり迷いがある。輸血の期間のみ、3日程度に限定しての入院、ということでの設定として、御本人にも、「便のときに出血しているので貧血が進んでしまっています。輸血をする期間、3日間だけ入院しては」とお話しすると、意外とあっさり御本人は了承し、即、11月29日から12月2日まで、3泊4日の入院、となりました。
 12月5日、退院後初回に訪問した際、「血入れたら元気になったよ!」と美佐子さん自ら私に言ってくれました。でも、娘さんの話では、やはり入院中は夜もほとんど眠れず起き上がってしまったり、と不安定になり、「もう入院は嫌だ」と言っていたそうでした。私に気を使って、「元気になった」と言ってくれたのでしょうか・・・「また輸血しなくちゃいけなくなるかもしれないよ」と言うと、美佐子さんも娘さんも、「もういいです」とおっしゃいましたので、これ以降、もう貧血のことも気にしないことにしました。
 もう一つ、印象に残っているのは、歯科の先生に往診を頼んで歯の治療をしてもらったことです。輸血の甲斐もあってか、退院してからは、排便時の出血は続いていたようですが、美佐子さんの食欲はすこぶる旺盛になりました。もともと甘いものが大好きだったそうで、実は糖尿病も結構重症でそちらの管理も続けてはいましたが、基本的には「好きなものを食べてもらう」ことにしていました。12月にはかなりケーキも食べられたようです。正月明け、1月5日に伺った際には、「おせちも食べたんだよ!何年かぶりで餅も少し食べられた!正月みたいだよ!快調だ!」と本当に嬉しそうにおっしゃっていました。「だって本当に正月なんだよ。良かったねえ。」この頃にはもうほとんど起きられなくなっていましたが、でもやっぱり、お餅の力はすごいな、と、思いました。この時にはじめて、上の歯がぐらぐらになっていることに気づいたのですが、次の訪問の際1月16日にはそれがいっそうひどくなっていました。もともと下の歯はほとんどなく、上の歯も前の方が2‐3本残っているだけで、しかも義歯混じりのようでしたが、詳しいことはわかりません。聞いてみると、年末にトイレに行こうとしたときに転んでぶつけたのだ、ということでした。食欲はあるのだけれど、歯のせいで食べられない、今までかかっていた歯医者さんは、糖尿病だから抜歯が難しいと言っていたし、往診はしてくれない、ということでした。予後がどのくらいなのか、もうおそらくそんなに長くはない、と思われる状態ではありましたが、逆に言えば、「この期に及んで」旨いものが食べられないこと程つらいことはなかろう、と。勉強会で知り合いの歯医者さんに、電話で事情を説明して往診を頼んだところ、即座に了解して下さいました。
 一週間後、1月23日に伺うと、ぐらぐらだった前歯二本が「切断」してあって、平らになっていました。やはり「抜歯」は、特に在宅往診ではしにくかったと見えますが、美佐子さんは、よく食べられるようになった、とニコニコしておられ、さすがに餅は餅屋・・・と感謝しきりでした。しかし、この時点でもう全身に黄疸が見られ、癌の肝転移による肝機能障害も、貧血も、かなり進んでいる状態で、娘さんや御主人にも、「そろそろ・・・」というお話をして帰りました。こうして時系列で書き進めてくると、今自分で読み返してみても、何だか美佐子さんはずーっと元気でもりもり食べていたように見えてしまいますが、実際には「徐々に」起きられなくなりほぼ寝たきりになり日中も眠っていることが多くなり・・・衰弱は傍目にも明らかだったのです。食事量もかなり落ちてきていました。しかし美佐子さんはいつ伺っても笑顔で、冗談と言うか、軽口と言うか、こちらの話をはぐらかすような機転の利いた受け答えをされ、苦痛のある様子は見られなかったのです。
 1月26日、金曜日、その前の晩に熱が出た、という連絡もあり、訪問したときには、黄疸もさらに進んで、呼吸も荒くなっており、もうほとんど何も食べられない状態でしたが、美佐子さんはそれでもやはり、「どこも何ともないよ」とにこにこおっしゃいました。
 気を使ってそう言っている、というよりは、本当に「何ともなかった」のだ、と思います。ここまでの状態になってしまった方を見ると、いつも、ああ、告知って何なのかなあ、と思います。美佐子さんには、癌の病名の告知はしていないことになっていましたが、排便時の出血が続いており、貧血のために入院もさせ、こうして少しずつ食べられなく、動けなくなっていき・・・御本人も色々と言いたいこと、聞きたいことはあったでしょうが、自分なりに考え、出した結論もあったろうと思います。一方で、堅苦しい議論をすれば、衰弱も進んでいって認知機能も低下して、「どーーーでもいいや」ということになっていったのかもしれません。
 「終末医療」の大家キュブラー・ロスの提唱した、「死にゆく5段階」は日本でもよく知られています。これは、死が近いことを告知された場合の我々人間の心の動きを現したもので、詳細は避けますが、項目だけ挙げると、「否認」「怒り」「延命への取引」「抑鬱」「受容」とされています。このことを否定する気はさらさらありませんが、私のように、告知を受けていない方のお看取りに多く立ち会う立場の者からすると、ほとんどの方が、いきなり、というか、一直線に、「受容」への坂を少しずつ上っているように見えます。美佐子さんもその典型のような方で、告知をされていない状況で、否認も怒りも抑鬱も、私には感じ取れませんでした。
 この1月26日金曜日の段階でも、私はそんな美佐子さんの態度に騙されてしまったのかもしれません。この翌日、27日の土曜日から28日日曜日の午前にかけて、私は東京に出かけることになっていました。別にそのため、というわけでは誓ってないのですが、十分危ないだろう、ということを、医師としての理性的な私は感じていましたが、一方で、週が明けるまでは大丈夫だろう、と、何だか変な確信がありました。それは、美佐子さんが、「せっかく歯を切ってもらって良くなったから、今度はちゃんとした入れ歯を作ってもらいたい」と言ったからでもありました。「じゃあ、週が明けたらまたこの前の先生に来てもらうように頼むからね」と、そう言って辞しました。
 1月28日日曜日、10時半、東京から戻ってくる高速バスの中で、訪問看護師から、美佐子さんの呼吸が停まった旨連絡を受けました。バスが到着して、美佐子さんの所に直行したのが12時、もうお体を拭いて、着替えて、死後の処置はすっかり済んでしまったあとでした。苦しんだ様子の少しもない、いつものように穏やかなお顔でした。
 通常、医者としては、こんな風に、予測される危ない患者さんがいる際には遠出をしないことが暗黙の了解となっています。一瞬、間に合わなかった、ということの後悔がやはり胸をよぎり、御家族には「申し訳ありませんでした、間に合わなくて・・・」とお話ししましたが、御家族は全く気にされた風もなく、安らかだった、入れ歯を作ってやれなかった、などのお話に終始しました。確かに一日でもいい、新しい入れ歯で食べさせてあげたかったな、と思いました。
 利尿剤の注射をしてから3ヶ月、輸血をしてから2ヶ月、どこからが「延命」だったのか・・・問い直すことに、あまり意味はなさそうに思われました。
 

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