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​在宅看取りの記録

Ⅱ 癌の方

○○裕樹さん、享年71歳「息子さんがひげを剃る」

 ○○裕樹さんは、紹介された時点で、癌の末期で、ターミナルケアのための訪問、ということがはっきりしていた方でした。小腸悪性リンパ腫、という病名、その年の3月に診断がつき、東京の国立がんセンターや警察病院などでも診察を受け、癌の症状としての「腸閉塞」(癌のために腸が詰まってしまい、食べ物・消化物が通らなくなってしまう)に対してのみ、詰まっている部分の腸を切除する手術を受けています。化学療法も勧められた、とのことですが、副作用もあり、やってみても寿命を「倍」にするところまで(1年が2年になる)、ということを聞き、化学療法はやらないこととした、とのことでした。
 そうしたお話を、私は、7月6日に当院に来た息子さんからお聞きしました。「もう通院できる状態ではなくなってきたので、往診してもらえないか」という御希望で、息子さんが来院されたのでした。
 翌7月7日、早速御自宅へ伺いました。御自宅は、裕樹さんが奥様と2人で営んでこられた洋裁店で、その2階のベッドに、裕樹さんは横になっておられました。もう既に夏、かなり暑くなっており、開け放した窓にすだれがかかり、裕樹さんも薄いタオルケット一枚の涼しげな様子でした。息子さんは美容師をされており、結婚されて近くに別に住んでおられましたが、ここのところは仕事も休み休みで、ほとんど付き添っておられるようでした。裕樹さんと息子さんはとてもよく似ておられ、がっちりとした鍛えられた体つきで、顔つきも意志の強さをうかがわせるいわゆる「濃い」顔でした。一方、奥様は「何だか食べられなくなっちゃったんだよねえ」などと、にこにことふわふわと語られました。
 裕樹さん御自身は、意識もはっきりしておられ、癌についてのことも全て承知しておられました。もう手術もしたし、化学療法も、と言われたけど、治るわけじゃないんなら、延命にしかならないなら、やらないことにしたんだ、と。今は吐気が強くなってきて、この1週間くらい、食べられなくなってきた。水物は飲めるんだけど、固形物がだめみたいだ。手術をしたところや、そのほかの体のあちこちが、時折刺すようにびくーーと痛むんだけど、普通のときはなんともない・・・思い出してみると、本当に息子さんとお父さんは何だか印象がごちゃごちゃで、どちらとお話していたのかがはっきりしませんが、いずれにしろ、家族の中では、終末期、ということが深く理解はされていたようです。壁には、息子さんがインターネットで調べた、という、癌に効く様々な療法の一覧が貼ってありました。
 以前から飲んでいた心臓の薬など数種類をまだ処方されていましたが、吐気も強く、強いて飲む希望もないので、それらは中止とし、麻薬の痛み止めを少し処方し、「十全大補湯」という漢方薬を試してみますか、と問いかけてみました。癌に対する免疫作用を増強させる、という報告があると同時に、吐気などの具体的症状にも良いと思われたからです。御本人も、漢方薬は抵抗がないらしく、飲んでみたい、とのことで、この二剤だけ処方としました。また、水物は飲める、とのことでしたので、製品となっている流動食を少し紹介してみました。それからは、頻回に訪問看護にも入ってもらいながら、週に一回訪問診療に伺うこととしました。
 次回一週間後、7月14日に伺うと、裕樹さんはもうほとんど動けない状態になっていました。先週はまだ、少し手を貸して、階段を降りて下の部屋まで行ったりしていた、とのことでしたが、もうほとんど一日中ベッドの上に横になって、時々起き上がるくらい、ということでした。
 漢方薬は、飲むと吐き気が治まるので有難い、と。麻薬の痛み止めは、三度程飲んでみたけれど、よくわからないのでもういい、とおっしゃいます。ずーっと痛みがあるわけではなく、時折刺すように痛むけど、すぐに治まる、ということなので、なかなか麻薬を常時飲む、というつもりにはならないようでした。痛いときにだけ飲みたい、ということなので、麻薬ではない痛み止めの座薬を処方しました。よくよく伺ってみると、フコイダンなどの「癌に効く」と言われるものは数種類飲んでいたようです。吐気はありながらも、どうやらある程度の食事もとれていて、息子さんによれば、500~600キロカロリーくらいはとれてるかな、ということでした。この日には、前回の訪問時には感じられなかったのですが、おなかを触ると中央部あたりにはっきりと塊りを触れ、腫瘍が大きくなっていることが伺われました。
 もし食事も水分もとれなくなってきて、どうにかして欲しい、というときには、点滴や、鼻から管を入れて流動食を入れる方法は、おうちでもできますよ、ということは、初回の訪問のときからお話ししていました。私は、個人的には、決してそうしたことを「強く勧める」という立場ではありません。癌の末期、ということがはっきりしてきていて、あるいは、超高齢で「老衰」という場合でもそうですが、徐々に食事量・水分量が落ちてくるのは自然の流れです。体がもう栄養を欲しがっていない、水分を吸収することも要求していない。その状態で、点滴にせよ鼻からの管にせよ入れるというのは、言葉としては、「延命」ということになってしまいます。延命、という言葉にわざわざかぎ括弧をつけるのは、これがいいことであるとか、悪いことであるとか、という価値判断をつけようがないことを強調するためです。一般に、「延命治療」と言えば、今日的には、「やらない方がいい治療」とイコールに受け止められかねない。一般論としての「延命治療」は、私も賛成はできませんが、結局のところ、個々の患者さんや御家族の考え、その状況に応じて、一概に言えることではない。私が賛成でない、ということ、好みでない、ということ、とは別に、こうした方法がある、おうちでも可能である、ということはお話ししています。
 しかし、実際にこうしたお話が、全く私の価値判断抜きにできているか、と言うとやっぱりそうはいかないでしょう。私自身の経験上、ということを言えば、私は似たようなケースで点滴を入れて、いい思い出が余りありません。自分の体が水分を欲していない、という状態になって、点滴を入れていると、体としては、その水分をうまく巡らすことができなくて、むくみになったり、呼吸が苦しくなったりすることもあります。おしっこもあまり出ないため、別に尿を出す薬を追加したり、ということもしていくこともあります。朦朧としていた意識がやや良くなって、逆に、そのために本人が余計に苦痛を感じる、ということもあります。そうしたことも、御本人や御家族にはお話しします。・・・しかしこうしたことを「経験」と言ってはみても、ここにもう既に私の価値判断が入ってしまっている、・・・と堂々巡りになる。確かに私は「延命」は嫌いなのです。
 病院に入院していれば、こうしたケースで点滴をすることはまあ当たり前です。入院しているのに、「何もせずに」ただじっと見ている、死ぬのをとにかく待っている、というのは、家族にとっては非常なストレスであろうし、そのことを感じてしまう医療者にとっても同じようにストレスなのです。100歳に近いような方で、話しかけても目をつぶったままで、何も食べられない、水も飲まない、口を開いてもくれない、という状況で、御家族の希望で点滴を毎日少しずつ入れる、ということもありました。毎日250~500ml程度だけ点滴をしていると、何も口から食べなくても飲まなくても永らえることができる。今日点滴をしても、翌日に元気になって口から食べられるわけではない、明日もまた点滴をする、明後日口から食べられるわけではない、・・・・・・そうして、毎日毎日機械的に点滴をしていって、2週間くらいでお亡くなりになる。こう書いていても、私個人としては苦い思い出となっているのですが、しかし、家族がそれをどう感じていたのか、は、私にはわかりません。・・・
 また一週間後、7月21日に伺ったときには、裕樹さんはもう朦朧状態でした。呼びかけると少し目は開くのですがすぐに閉じてしまい、唸り声で返事をする程度、御家族とも会話はもうしていない、ということでしたが、表情は苦痛な様子はまったく見られず、夢うつつ、といった趣でした。痛み止めも使っていないようでしたし、水分・食事は、ちょっと起きているようなときに2-3口ずつ口に入れる、というくらい。おなかの塊りはいっそう大きくなったように思われましたが、まだ便も出ていて、詰まっている様子ではないようでした。
 「どのくらいでしょうか」と息子さんが聞かれました。あと何日くらい生きていられるか、という意味です。この質問が一番医者にとっても堪えます。家族の方ももう覚悟はしている。覚悟はしているけれど、そうすぐには来て欲しくないし、かと言って、ずーっとこの状態、というわけにもいかない。できれば、正確に「どのくらい」かを知って、心も体も準備をしたい、きちんと見送ってあげたい。
 「一般論しか言えません。もしまったく口から水分が入らないとすれば、2-3日くらいしかもたないでしょう。でも、数口ずつでも水分がとれるとすると、その分最期のときは延びると思います。」
 そう答えました。
 7月24日、その前日から水分がとれなくなったので、点滴をして欲しい、本人も希望している、と、連絡が入り、伺いました。もうそこであれこれお話をせずに、すぐに点滴の準備をして、250mlだけゆっくり点滴を落としました。
 その翌日には、少し水分もとれて、便も出た、と、息子さんから電話がありました。真っ黒な便だった、と。おなかの塊り(癌)から出血しているのでしょう、とお話ししました。もう点滴はしなくていいです、と息子さんがおっしゃいました。
 8月1日の午前中に訪問した際には、裕樹さんはもう目を閉じたままであけてはくれませんでした。呼吸は速く荒かったですが、苦しそうな様子はなく、穏やかな表情でした。もう水分はほとんど摂っておらず、血便も続いており、血圧は60ほどしかありませんでした。
もう、いよいよ今日明日だと思います、とお話ししましたが、息子さんも奥さんも、むしろさっぱりした表情で、「そうですね」とお答えでした。「全然苦しそうじゃないから、良かった」と奥さんが言われました。その日の午後3時過ぎに、「呼吸が停まりました」と連絡が入り、すぐに伺って、お看取りとなりました。
 息子さんも奥さんもすっかり落ち着いておられ、看護師と私を交え、皆で一緒に裕樹さんの体を拭いて、浴衣に着替えてもらい、それから、息子さんが、きれいな剃刀で丁寧に、裕樹さんの髭を剃りました。美容師の方が、自宅でこうして「仕事」をしている風景は初めて見ましたが、何だか、さすがにプロだなあ、と、惚れ惚れとしてしまいました。変な感想ですが。
 そのあと、一階の和室に布団を整えて、これも息子さんが自ら、お父さんをおぶって、狭い階段を一階まで下ろし、横たえました。

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