​在宅看取りの記録

Ⅲ 大変だった方

○○洋子さん、享年61歳「先生、嘘ついた」

 ○○洋子さんは、甲状腺癌が骨に転移していた患者さんでした。約1年半、御自宅に訪問を繰り返しましたが、最期は入院を希望されて病院で亡くなりました。
 それが本当に彼女の希望だったのか。訪問看護師を通しての言葉ですが、入院後、私に対して、「先生は嘘ついた」と言っておられたそうです。それを聞いて私は入院先に見舞いに行くことができなくなってしまった。逃げた、と受け取られても仕方ありません。強く悔いの残る患者さんです。

 私が洋子さんの所へ訪問に行くようになる以前の経過を簡単に記しておきます。
 5年前ごろから背中の痛みがありましたが放置。その後病院へ行って、3年前の2月に、胸椎の転移性腫瘍、そのもとは甲状腺の癌だ、ということが診断されました。
 甲状腺の癌は、手術で摘出したのですが、胸椎、背骨の胸の辺りに転移があって、そちらの方は手術だけではとりきれず、その後の約2年半は、手術と放射線療法の繰り返しでした。
 背骨は、脳と両手両足・全身をつなぐ神経の通り道です。癌に限ったことではありませんが、背骨に障害があると、その部位より下の神経が麻痺してしまう。洋子さんの場合、胸椎、胸の辺りの高さにできた癌でしたので、それが大きくなるにつれて、それより下の神経が次第に麻痺していきました。つまり、両手は使えるし、喋ったり食べたりすることは問題ないけれども、おなかから下の部分は動かず、触っても鈍い感じしかわからず、便をする感覚や尿をする感覚もなくなってしまう。去年の暮れから、何度目かの入院をして、治療の方向を探っていましたが、その最中に両足が完全に動かなくなってしまったので、癌に対するそれ以上の治療は難しいだろう、という結論となり、明けてこの年の正月、まだ松の内に退院することとなりました。私共の訪問診療に紹介されるのは、そんな風に、癌に対して打つべき手は全て打ったあと、ということになることが多いわけです。

 年が明けたらすぐに退院をしたい、というご希望がそれでも延び延びになって、1月12日に私の方に紹介状が届き、即日病院の方に伺って担当医などからもお話しを聞き、翌1月13日に退院、1月15日に初回訪問をしました。事前訪問に伺ってはいるのですが、そうは言ってもお互い知らぬ身どうしですから、初対面のご挨拶に始まり、それぞれ相手の見定めのようなことになります。お見合い、ですね。病院の外来でも、初めて来られる患者さんの場合にはもちろん「手探り」という感じで緊張はありますが、その時点で抱えている、どこか具合が悪い、という問題点に集中することができますし、何より医者の立場からすると、自分の診察室、自分の土俵で、「医療」のことを考えればよい。しかし、在宅訪問診療の場合には、必ずしも「今」具合が悪くなった、具合が悪いことがある、というわけではないので、例えば外来であれば使える紋切り型のセリフ、「今日はどうされました」などは使えません。ましてや、相手の御自宅に上がりこみ、多くの場合には横たわっている寝室にいきなり入り込むわけですから、おずおずと、といった風になってしまいます。初めて伺う場合には特に、時間も余裕を持って伺うことが普通ですので、本当に、世間話から始めて、徐々に御自分の体調のこと、過去のこと、御家族のこと、等々をお聞きすることになります。お見合い、なのです。
 洋子さんは、一言で言えば、お喋り好きな元気なおばちゃん。でも、もちろん癌を抱えている、ということもあってのことですが、実はとても孤独で、淋しがり屋で、神経の細い方でした。もっともこれはおいおいにわかってきたことで、初回の訪問の時にはほぼ一方的に喋りまくられた、というように覚えています。もう病院はいくつも回って色々な医者にも会い、何の遠慮もない、という感じでしょうか、初めから自分の体の状態について、思いつくままに、しかしいずれもきちんと整理された形で、滔々と述べられました。しかもそれが、無愛想に抑揚もなく、ということではなく、愛想よくにこにこと、猛烈に、話されました。勿論、癌のことは告知をされ十分に承知をしており、そのために胸部より下が動かず、感覚もほとんどない、この先良くなることがあるわけではない、ということもすっかり了解しておられた。カルテにも、洋子さんが整理してお話しされたとおりに残っていますが、「便秘のこと」、「痛みのこと」、「褥創のこと」、「血糖が高いこと」、「車椅子などへの乗り移りのこと」、一つ一つ気になることを話され、それまで出されていた薬についても様々に質問をしてきました。百戦錬磨、と言いましょうか、主導権を握られっ放し、という印象でした。特に「車椅子などへの乗り移りのこと」、すなわち、胸から下がまったく動かない状態ですから、どうやって介助を受けて車椅子へ移ったらいいのか、背部には痛みもあるのだがどういう介助なら痛みが少ないのか、といったことを細かく聞かれ、実際に看護師と一緒に、二人がかりで洋子さんを持ち上げて動かしてみたり、リクライニングの車椅子をフラットにして試してみたり、あるいは、ケアマネージャーに相談して移乗用のリフトのデモンストレーションをする手筈を整えたり、また、スライダーという移乗器具について検討したり、といったことを初回から時間をかけて行いました。
 振り返って考えてみれば当たり前のことのように思えるのですが、これだけ「自分」の状態、「自分」の周りの環境、に細かく拘る、ということは、それだけ「生」に対する執着も強い、ということでしょうし、また、細かい症状の変化などに対しても非常にデリケートな、不安に転び易い方でもある、そうしたことは、その後次第次第に顕わになってきたのです。
 発端は、やはり「痛み」の問題でした。

 痛み、というのは本当に解釈の難しい問題です。当人でなければわからない。周囲の人間が理解してあげることは、本当の意味ではどうしたってできない。体温であれば、38度5分であったものが、解熱剤を使って36度台に下がった、となれば、周囲の人間も安心するし、またことによると本人も、数値が下がったことによって安心が得られるかもしれない。現代医学が扱っている多くの問題が、例えば血糖値であったり、肝機能であったり、血液検査の数字で表されたり、画像検査で目に見える形にされたり、となっていく中で、痛み、の問題はどうしても客観評価ができないものとして残されています。一方で、痛みについての科学的な研究は進んでいるのであり、「痛みを起こしている物質」であったり、「痛みを感じている神経の回路」であったり、といったことについては、どんどん新しい知見が出てきています。しかし、もしかしたら血糖値のように、血液検査で、「あなたの痛み度は85ですから、痛くないはずですね」などということが数値化される時代が来るのかもしれませんが、「それでも痛いんだ!」という患者さんを前にすれば、そんな数字は何の意味もなさないでしょう。「痛み度が400もあります!大変です。強い痛み止めを使いましょう!」といったところで、本人がけろっとしていれば薬の使いようもないでしょう。85、という同じ数字が示されたとしても、それを痛いと思う人もいれば痛くないと思う人もいるかもしれない。あるいは、同じ人であったとしても、昼間おしゃべりでもしていれば何ともなく、夜になればひどい痛みを訴える、ということもあるでしょう。痛い、苦しい、という、まさに「苦痛」を何とかする、ということがもともと医療の原点と言ってもいいかもしれませんが、現代医学にとって、いや、現代の医療者にとって、実は結局このことが一番困難なまま残されているのです。
 近年では、痛みの訴えに対して、抗うつ剤が有効である、ということもあちこちの分野で言われるようになってきています。「痛い」という訴えが嘘である、ということではない、むしろ、「痛み」ということの中には、本質的に精神的な要素も関与しているであろう、ということなのでしょう。痛みの治療については、いわゆる鎮痛薬を基本的に考えはするものの、それに加えて、抗うつ剤や抗不安剤、あるいは睡眠薬、さらには漢方薬や鍼灸、リハビリテーション、といった諸分野を総合して対処することが望まれるようになってきていますが、これは一人の医者にとっては甚だ難しいことです。

 洋子さんは、1月15日の初回訪問のときから痛みのことについては話して下さっていましたが、入院先の病院から既に、癌などの強い痛みの際に用いる麻薬も処方されており、そのためであったのかどうか、「激烈な痛み」、ということではないようではありました。経緯を細かく書いているときりがないのでごく簡単に、ひとまず、麻薬の使用についての推移を記しておきます。1月22日の2回目訪問の際には、ご本人から「麻薬の痛み止めは飲み忘れたんだけれど、特に痛みはないので休んでみたい」とお話があり、その次、3回目の訪問の際にも、「その後麻薬は飲んでいないけど痛みは強くないのでこのまま」と。2月19日の6回目の訪問の際、「背中が痛かったので(残っていた)麻薬を飲んでみたら治まった。やっぱりあの薬はいいみたい。」・・・と、ここまでが退院後約1ヶ月までの様子です。麻薬は、痛み止め、としては医者の方としても、癌の際の激痛に対して使う切り札のようなもので、その調整には気を使うものです。しかし洋子さんの場合は、それまでにも十分説明をされていた、ということはあるでしょうが、御自分の感覚に合わせて自由に調整をする。勿論先述のように、痛み、というのが本人にしかわからないものである以上、こうして本人が薬のことを熟知した上で自分の状態に応じて調整をすることがある意味ではベストの使い方ではあるのかもしれませんが・・・本当に適切な使い方であったのかどうか、医者として判断をする間もなく、くるくると自在に操ってしまわれた。
 同時に、この1ヶ月の間には、訴えに応じて他の薬も色々と使っていました。
 洋子さんの痛みの表現は実に多彩でした。癌があると思われるのはちょうど胸の辺り。そこから下の腹部や下半身は、ほとんど感覚はなく、逆に顔や手、肩の辺りまでは全く問題はなかったわけですが、その境目の胸の辺りが、痛いのやらむずむずするのやら、非常に豊かな言い回しで不快感を表現されるのです。けろりとした顔で、「胸の辺り、痛いけど我慢できないほどではない」と言ってみたり、「体動かすとみぞおちの辺りがキューッと締め付けられるように痛い」とか、「時々ズキーンと背中の真ん中が痛い」とか、あるいは「左手を上げ下げすると肩から胸にかけて痛いのは、肩が凝ってるからかしら」とか。「そこ」には癌がある、ということを十分承知しているので、「そこ」の周辺に起こることに過剰に敏感になってしまい、肩凝り、筋肉痛、寝違え、といったことだったとしても癌の痛みにひきつけて考えてしまうことになる。しかし、かといって、こちらとしても、肩凝り・筋肉痛、と言い切ってしまうことはできない。
 漢方、中国医学の分野では、「胸脇苦満(きょうきょうくまん)」という言葉があります。症状を指していう言葉なのですが、読んで字の如く、「胸や脇の辺りが苦しく満ちるような感じ」ということでしょうか。胸や脇の辺り、ということで、現代西洋医学的にその対応する場所を言えば、肝臓であったり、肺であったり、心臓であったり、女性の場合乳房であったり、あるいは肋間神経痛のようなことであったり、といった、様々な疾患に対応しうる概念です。一方で、「胸が塞がるような」、いわゆる精神的な背景によっても起こりうる症状をも、かなりの部分含んでいるようです。漢方、中国医学の概念は西洋医学とは必ずしも重ならないものですから、対応する具体的な病名がないとしてもこれは仕方のないことですが、洋子さんの訴えには、こうした漢方、中国医学的に大昔から言われてきた概念にも当てはまるようにも思われました。
 といったことも背景として、この最初の1ヶ月の間に、麻薬以外にも、抗うつ剤を始めましたが、副作用疑いあり中止、麻薬以外の鎮痛剤、漢方薬、等を開始、調整、といったことを慌しく行っていました。こうした薬の調整は、原則的には1度に1剤ずつの調整をすることにしています。同時に2剤の薬を出した場合、効果があったにしろなかったにしろどちらの薬のせいであるかがわかりませんし、また同時にある薬を出してある薬を中止した場合にも、もしいい徴候があったとしても、それは新しく出した薬のせいであるのか、あるいは前の薬をやめたせいであるのかもしれません。しかも、抗うつ剤のような薬は2‐4週間程度、長い期間をかけて判断しないと、飲んで3日で効果が出るものでもない。しかし洋子さんの場合には、ご自分の判断でやめたり減らしたり、といったことも入ってきましたし、訪問する度に何かの対応を迫られる、という側面もあり、どうしても私の方も洋子さんの勢いに引きずられる、という形で1ヶ月が過ぎてしまった感があります。
 しかし、この辺りまでのところで、頻回に訪問してくれていた訪問看護師とのカンファレンスも繰り返す中で、どうも「痛み」そのものよりも、やはり精神的な不安感が主たる問題ではないか、という印象を、我々の方も持つようになっていました。決定的になったのは、退院後約6週間、2月27日に、SOSの電話が入ったときでした。
 その日は、午前中に訪問看護師が伺っていたのですが、既にそのときにも、一人でしゃべりまくって泣き出してしまった、という様子だったようです。夕方になって訪問診療の携帯電話に、「イライラして落ち着かない、何とかして!」という電話が入り、慌てて伺いました。そのときのカルテには、次のように残っています。
 「イライラして・・・足が痺れてふわふわ浮かんでいるみたい、いてもたってもいられない・・・足がカーッと熱いと思ったら触ってもらったら冷たい。便が出なくて、夫にとってもらったりするのが申し訳ない・・・等々、訴え泣く。」
 このときは、「痛み」の訴えというのは一つもありませんでした。体の訴えについては、感覚のなくなった下半身の違和感に始まって、便の訴え、しかし実際にはご主人との関係のことや、思い通りにならないイライラ、といったことに収束していく。30分以上、相槌を打ちながら黙って聞くばかりでした。
 堂々としているように見えても、やはり癌を抱えて、治療は不能と言われて、いつやってくるかわからない状態の悪化・死に向き合って、大きな不安と闘っていたのでしょう。我々訪問診療・訪問看護のスタッフとも、初対面から打ち解けて喋っているように見えてしかし、当たり前に考えて、本当の意味で打ち解けるのには時間がかかっていたのです。たくさん喋っているように見えて、本当に言いたいことを吐き出していたわけではなかったのでしょう。
 我々の訪問看護のスタッフは、パートの方も入れて10人、全てのスタッフが全ての患者さんを回る、というわけでは必ずしもありませんが、洋子さんの場合のように週に何度も訪問している方の場合は、やはり少なくとも5‐6人のスタッフが入れ替わり伺うことになります。若いスタッフもいれば年配のスタッフもいる。洋子さんにとって相性の合う者もあればそうでもない者もあったでしょう。それに加えて診療担当の医者!何だか若いんだか年寄りなんだか、切れるんだか切れないんだか、・・・1ヶ月半、やはりじっくりと品定めをしていたのかもしれません。
 このときには、最終的に、「安定剤」の注射をし、いったんストップしていた抗うつ剤や漢方薬をあらためて再開・増量することにしました。薬についても詳しく知りたがる方でしたし、一つ一つの薬の薬効や副作用、どういう方針で投薬をするのか、これから同じような「イライラ」が起こったときにはどう対応するのか、・・・そうしたことを丁寧にゆっくりお話ししながら、深呼吸をしていただきながら、ゆっくり注射をしていき、・・・段々に落ち着いて、イライラがなくなっていきました。
 おそらくは、注射した薬の効き目、ということばかりではなかったでしょう。言いたいことをある程度吐き出して、こちらも冷静にゆっくりと対応をして、そして、実際に「注射をする」という行為を見てもらって、と、そうした一連の関わりの中で、どうやらイライラは治まっていったのでしょう。訪問診療の場合、薬を出す、と言ってもその場ですぐに薬を飲んでもらうわけではなく、ご家族に薬局に取りに行ってもらったり、あるいは薬局から配達してもらったり、ですから、実際に飲んでもらうまでには時間がかかってしまいます。その場で、何かの処置をする、ということ自体が「安心」につながることは非常に多いので、注射をする、ということは、その薬が何であれ(食塩水であれ)効果が期待できることもあります。ともあれ、この日を境に、洋子さんと我々訪問診療・看護のスタッフの距離は近くなったのだと思います。しばらくは「イライラ」を口にすることはありましたが、この日のような「発作」は2度とありませんでした。

 ご家族、ご主人のことについても触れておかないといけません。
 洋子さんのように、患者さん本人が女性で、まだ若く、お喋りそのものが大好きで、といった方の場合、訪問看護師の力というのは、本当に有難い限りです。いえいえ、どんな患者さんについても訪問看護師さんはこの上なく有難いのですが。
 いつも思うことですが、私は男としてはおそらくお喋りの好きな方であると思いますが、それでもやはり、訪問診療の現場では、基本的には病状や薬、検査のことなど、「必要な」ことをお話ししてしまえばそれ以上話の接ぎ穂というのはなかなか出てこないものです。洋子さんのような方といつまででも喋り続けていられる看護師さんを見ていると、お喋り、というのは男と女の、ある意味、本質的な違いであろう、とさえ思ってしまいます。私は洋子さんと会話をしていても、おそらくそれは「会話」ではない、ほとんど口を挟むことはできていなかったと思います。洋子さんが満足して喋り終えることがあり、そのときに必要な事柄を話す、というだけだったかな。
 でも、看護師さんは「会話」をしている。ご家族、ご主人のこと、なども、訪問看護の最中のお喋りの中から得られた情報でした。
 洋子さんは、ご主人と2人暮らしでした。あとは室内犬のスピッツが一匹。スピッツの方は、われわれが伺うといつでも玄関先に飛んで出てきて吠えまくり、洋子さんの診察中もベッドの上で、「洋子さんをいじめたら、ただじゃおかんぜよ」という感じでこちらをにらんでいました。
 一方、ご主人はにこにことした愛想のいい方でしたが、訪問診療の際には、玄関に挨拶にだけ出てくるとあとはずっと別室にこもって、また最後帰る時だけ挨拶に出てくる、といった風でした。訪問看護の際にもほぼ状況は同じとのこと。
 でも私は、男としては、まあこうした対応というのはわからないでもない気がしてはいました。よその人間が、洋子さんの方に用事があってきているときに同席していても、何を喋っていいのかわからないし気詰まりになってしまう。だから任せるべきことは任せてしまって自分は別室にいる。・・・お二人暮しでしたから、実際に普段の生活の中での洋子さんの介護は、御主人が一所懸命やって下さっていたのです。これが逆に、男性が寝付いてしまっていて、女性の方が介護をしている場合だと、女性の介護者はまあほぼ確実にわれわれの訪問の際には同席して、介護上気がついた問題などをお話しし、一方患者さんである男性はなかなか自分のことを色々と話はしない、ということになりがちです。洋子さんのご主人の対応は、まあ、男の介護者はこんなものかな、と、そのくらいに私は考えていたのです。
 しかし、段々に訪問看護師さんからの情報が入ってきました。看護師さんたちは、30分、あるいは60分、という枠の中で仕事をします。お体の清拭をしながら、であったり、摘便をしながら、であったり、尿の管の交換をしながらであったり、お喋りをしている。あるいはそうした処置が終わったとしても、時間が余っていれば何事かをするか、あるいはお喋りをする、ということになる。
 訪問診療の方は、必要があれば長い時間いることも勿論ありますが、基本的には状態が落ち着いていれば10分くらいで退散することも多くあり、基本的には「時間が余る」ということもなく、診療として必要なことを喋って帰る。それではわからないこともたくさんある、ということです。
 看護師さんが洋子さんと段々に打ち解けて聞いてきたことによれば、ご夫婦はそれぞれ再婚同士、かなり年配になってからの再婚であるとのことでした。洋子さんの方には子供さんがいない、ご主人の方には娘さんがいて、時々訪ねて来はするものの、やはり自分の子供として、今後のことの相談をする、ということとはだいぶ違うのだ、ということ。ご主人に対しても、やはり若いときからの長い付き合いではなく、こんな状態になって世話をしてもらうのにはやはりどこか遠慮があること。・・・そうした背景から、明るくお喋りに振舞っていても、洋子さんは実際には強い孤独を感じており、先に記したように、2月27日に「イライラ」が高じた際にもひとつの大きな訴えとして、「夫に便を取ってもらうのが申し訳ない」といったことがあったのです。こうした訴えは、確かに女性の患者さんの場合に聞かれることではありますが、洋子さんの場合には、普通の夫婦関係以上に遠慮があったことを、さも何もないように振舞って押し隠していた、ということだったようなのです。
 看護師の中にも、特に洋子さんと年代の近い方になればなる程(失礼)、洋子さんの思いに引き込まれていったようでした。その2月のSOSの後は、私たちの関係は穏やかなものとなり、洋子さんの訴えも激しいものはなくなっていきました。基本的に、痛みを抑え、不安を抑えるために使える薬はすべて提示し、洋子さんの手元にも少し余裕がある量があるようにしておき、かなり洋子さんの自由に調整を任せていた、というのが実際のところでした。その後1年近くは、私の診たところでは、痛み自体の訴えは常に何かしらありましたが、それほど強いものではなく、(誤解を招くかもしれませんが)精神的な安定によってカバーされる種類の痛みのように思われました。それでも麻薬の痛み止めも服用を続け、ご本人に調整を任せていました。そうすることの方が、洋子さんにとってはいいのだ、と思えました。
 こうした穏やかな日々がいつまでも続けばいい、と、皆がそう思っていました。私たち訪問診療・訪問看護に紹介になる癌の患者さんは、ほとんどが、手の打ちようのない状態になってからの方ですから、ごく短期間の間にお亡くなりになる方がほとんどです。洋子さんのように、年単位に渡って何人もの看護師がそれぞれに「仲良く」なれることはそうはありません。癌、といっても他の病気となんら変わることはない。穏やかに過ごせている間は、癌であることなど忘れてしまっている方がいい。事実、われわれはこの間ほとんど洋子さんの癌のことは忘れて過ごしていたと言っていい。しかし、それでもやはり、癌は進行するものなのです。
 背部の隆起に気がついたのは、1年後の2月の初めのことでした。洋子さんの状態は、落ち着いている、とは言っても、少しずつ少しずつは動きが制限されるようになり、やせてきたことが目立つようになり、といった具合でしたが、この頃、臀部に軽度の褥創ができた、ということで、体を横に向けて褥創の診察をした際に、背骨のずっと上の方、首のすぐ下あたりに、すぐに見てとれる出っ張りがあることに気がつきました。・・・癌の骨転移が進行している、ということが、外見的にも明らかになってきたものと思われました。
 その前のカルテを見返してみると、その約2ヶ月前に、背中が張る、という訴えがあって、背骨に沿って鍼をした事が記録に残っています。その時には隆起には気がつきませんでしたので、この2ヶ月の間に急速に癌が大きく進展したのでしょう。
 いよいよ来るべきものが来た、と思いました。一般に、癌の骨への転移は非常に痛みを伴うと言われます。これまでのところはそれほどの進展がなかったということだったのでしょうか、1年もの間、激しい痛みを出さなかったことは幸いでしたが、こうして目に見えて隆起が出てきた以上は、癌が骨を壊し、動いた際などに骨がさらに壊れ、激痛を来たすことが予想されました。洋子さんに黙っているわけにもいかず、骨への転移が進行していること、今後は、ベッドを起こしたり横を向いたり、といった動作でも骨に強い痛みを感じる可能性が高いこと、などを、努めて穏やかにお話しし、骨の痛みに対しての点滴の薬も開始することにしました。
 いつかは、と了解はされていたことではあったでしょうが、しかしこうしたお話は、結局のところ、いつでも「突然」です。深刻にお話した方がいいのか、あっけらかんとお話しした方がいいのか、それも、今現実に痛みが強くなっているわけではなく、近いうちにそうしたことが起こる危険が高い、というだけの、何だか不確実な話です。洋子さんもおそらくは、努めて冷静を保って聞いていたのだろうと思います。
 訪問看護師とのカンファレンスでも、洋子さんの入院についてが議論されました。私たちの訪問の現場では、もちろん在宅で看取りまで考えることは普通に行っていましたが、これまで看護師が洋子さんの口から聞いていた印象をまとめると、洋子さんは、「いよいよ自宅での生活が大変になったら、これ以上夫に迷惑をかけることはできないので入院したい」という希望だ、とのことでした。しかし、それはあくまでご主人への迷惑を考えて、の言い方であって、彼女自身が本当に入院を望んでいるのかどうかは疑問でした。洋子さんは家にいたいのではないか、いやしかし、ご主人に迷惑をかけたくない、という気持ちも本音であって、そんな気持ちのままで家にいても結局安らげないのではないか、等々、様々に意見が交わされました。われわれも皆、同じ立場になったら、本当に家にいた方が幸せであるのかどうか、それぞれに思いを巡らせていました。
 それから約1ヶ月半、3月の下旬になって、「朝起きて突然」の背中の激痛が洋子さんを襲いました。早朝に呼び出されて訪問をすると、洋子さんはベッドの上で、「こんなに痛かったことは今までにない、背中に板が入ったみたい・・・」と、それでも比較的冷静に話してくれました。やはり、痛みの判断は難しい。客観的に見ると、「七転八倒」というような痛みではないようで、比較的平然としてはいる、しかし、今までよりは痛い、とご本人が言う感覚はそのとおりなのでしょう。用意してあった、麻薬の頓服を2回飲んでもらいましたが、洋子さんによれば、痛みは変わらない、ということでしたので、いったん眠ってもらうことも覚悟して、鎮静剤の注射をしたところ、少しうとうと、とした様子で痛みは少し和らいだようでした。このときにはさすがにご主人も同席していましたので、ご主人と洋子さんご本人に、「こうして痛みが出た以上、入院を考えてもいいと思いますが・・・」と水を向けると、ご本人がまず、「自分としてはこのまま入院するのでは納得がいかない、痛みは少し和らいだようなので、もう1日様子を見たい」とおっしゃいました。ご主人の方は、自分では何もしてやれないし、また痛みが出たときにどうするんだ、と、入院をしてほしいようでしたが、ご本人の意見を優先することとなり、あらためて、用意してある痛み止めはいくら使っても構わないことをお話ししてその場はいったんお宅を後にしました。しかし、同じ日の午後になってまた電話が入り、ご本人から、「今ひどく痛いわけではないけれど、このまま夜になってまたあの痛みが来たら、と思うと、どうしていいかわからない・・・入院させてほしい」と言ってきました。再度訪問をして直接お話しをすると、「病院できちんと痛みを抑えてもらったらまた帰ってくるから」、とおっしゃいました。最終的には、痛みそのものではなく、不安に耐え切れなくなった、ということであったのかもしれません。それは私の力のなさによるものでもありました。私は、もともと紹介された近くの総合病院に連絡して、そのまま入院をお願いしました。
 結局、洋子さん本人としては、できれば入院はしたくない、自宅で最期まで過ごしたい、と思っているのだ、と、あらためて思われました。また帰ってくる、という言葉が実現できるかどうかも、残念ながら私にはもう疑わしく思われましたが、そうできることを皆が祈っていました。
 結果として、約1ヶ月の入院で、洋子さんはもう一度自宅へ戻ってきました。この1ヶ月の間、訪問看護師達も私も、入れ替わり入院先へ伺いました。患者さんの差別をするわけではないのですが、こんなに何回も入院先に出向いたことはなかったでしょう。もはや「仕事」としてではありませんでした。入院先に出向いても、私たちにできることがあるわけではありません。これはただの「お見舞い」で、かろうじて私としては、もし退院をするとしたら、入院中の投薬や処置を知っておきたい、ということはありましたが、気持ちの中では半分以上、退院はできないだろう、と思っていたのが正直なところだったでしょう。
 実際、この1ヶ月の入院の間には、麻薬の痛み止めの量をどんどん増やして痛みは一定抑えられたようですが、その分いつお訪ねしてもうとうととした様子で、さらに、胸水がたまって、熱が出て、・・・全身状態の悪化は著しく、もはや痛みのことのみではない、癌の末期としての様々な症状が並んできており、もう最期のときは近い、と思われたのです。
 それでもやはりご自宅へ退院されたのは、もう私としてはほとんど奇跡のようなことでした。どうにか小康状態となった5月7日、いったんご主人が返してしまったレンタルの介護用ベッドを再度自宅に入れてもらってあわてて退院が決まりました。連絡もぎりぎりになって入り、退院の寸前に私は病院に伺い、最終的な投薬などの確認をさせてもらいました。
 このときの入院は、痛みを抑えるという目的であった、とはいえ、究極的には、洋子さん自身が、もう自分の体がぎりぎりのところに来ている、ということを納得するためのものだったように、私には思えました。いくら、癌であり、進行している、と告げられたところで、患者さんは皆、希望を持つことをやめられません。癌に対する治療はもうできない、と言われても、ぎりぎりまで、もしかしたらもう少し何か打つ手が、対症的にでも何かもっといい方法が、と期待を持つ。実際今度の場合でも、たまった胸水は入院していれば抜くことができ、発熱に対しても解熱剤を協力に使う、ということをして表面上抑え込むことはできた。しかし、やはり全身的な衰弱は隠しようがないし、ご本人が一番そのことを了解したに違いない。この退院は、最期を自宅で迎えるための退院となる、と、私はそう思っていました。
 退院後は、入院中の投薬を継続しながら再び、洋子さんの痛みの感じ方に合わせて、麻薬を増量したり、いったん止められていた抗うつ剤なども再開するなど、また慌しく日が過ぎました。しかしわずか1週間ほどで、洋子さんはほとんど食事が摂れなくなっていき、やがて水分もほとんど飲めず、うつらうつらとすることばかりになっていきました。
 食事・水分が摂れない。原因が癌であっても、最期には皆、そうしてお亡くなりになります。私はこのときには、もう自分で頻繁に訪問することはせずに、週に1回を定期の訪問として、それ以外は訪問看護に連日入ってもらい、看護師からの連絡で必要があれば私の方で訪問をするようにして、静かに過ごしてもらうつもりになっていました。
 しかし、5月19日、退院して10日ほど経った定期の訪問診療の際、そのときにももう半睡状態で、看護師によれば排便も多量にあり、いよいよ最終末期と思われる状態でしたが、洋子さんは、入院したい、と言い出したのです。診たところ、呼吸も表情も穏やかで、痛みがあるようには見えませんでした。しかし、うとうととした状態の中で洋子さんは、「痛くはないけど、苦しいの」、と胸の辺りに手をやりました。最初からずーっと言っていた症状。これはやはり、癌の症状ではなかったのか・・・
 「今度入院したら、もう戻っては来れないですよ、このまま家にいた方がよくはないですか?」と、私ははっきりと問いかけましたが、「もう戻って来なくていいです・・・入院させて下さい」と、重ねて洋子さんは言いました。このときもご主人は同席していましたが、「私ではこのまま見ていられませんから、入院させて下さい」と言われました。ご自宅で看取る、ということについて、型通りにはお話はしてきたつもりでしたが、われわれとご主人とのこれまでの関係はやはり希薄なものに過ぎず、この期に及んで、ご主人を説得する、ということは難しいことでした。洋子さんは、「この人に、これ以上は面倒かけられませんから、入院させて下さい・・・」と。
 決して、痛みや苦しみといった意味で切迫した状況とは言えませんでした。それでも、洋子さんは、定期で私が来ることになっていた日をただ待っていたのでしょう。私が訪問をしたら、入院を頼もう、と思っていたのでしょう。彼女にとっては、もう一度家に帰りたい、もう一度帰れば、もうそれで十分、と思っていたのかもしれません。・・・そのまま、再度先の総合病院へ入院をお願いし、救急車を手配しました。
 数日後、私と訪問看護師で入院先に洋子さんを見舞いました。
南向きの明るい個室。洋子さんは点滴をされ、苦しそうな表情でいました。もうほとんど声も出ない状態でしたが、しかしまだ、元気だった頃と同じような早口で口をあけ、必死に私に訴えかけました。「せんせい、もう点滴はいいんだから・・・やらなくていいんだから・・・」と、そう言っていました。もう洋子さんは十分覚悟もしてここに来ている。どうしても家で死ぬわけにはいかなかったので最期の瞬間のための場所を借りにここへ来ている、そういうことだったのでしょう。
 私も、自分だったらもう点滴は抜いてあげて、静かに最期を迎えさせてあげたい、と思っていましたので、越権であることは承知でしたが、ナースステーションにいた担当の看護師さんにお願いしてきてもらい、洋子さんの希望をじかに聞いてもらい、点滴は終わりにできないでしょうかね、と尋ねました。看護師さんは、「昨日までは1日1000mlの点滴だったんですが、今日からは500mlに減らすよう、主治医からの指示が出ていますから」と答えました。
 「でも、ご本人はもうすっかり承知して、点滴をしないでほしい、と言ってるんですから・・・看護師さんから主治医の先生にもそう言ってもらえませんか」と重ねてお願いしました。
 私はこのときまで、この担当医の先生にお会いしたことはありませんでした。病院の医師はいつでも忙しいもので、約束でもしていなければ普通会えるものではないのでしょう。このときも担当医は手術中とのことで直接は会えませんでした。廊下に出て看護師さんは、「内科の先生は点滴をしないで下さることも多いんですけど、外科の先生は・・・」と言葉を濁していました。看護師の立場としても、患者さんの希望は十分に伝わっていたものと思います。私にしても、こうして入院をお願いして預けてしまえば、治療に口を出せる立場にはありません。本当は、在宅でずーっと診療をしていた立場からの意見を言えるような環境にあればいいのですが、こうしたことはすこぶる病院の方針や、医師同士の個人的な関係に左右されてしまうところが大きく、原則的にはやはり入院している以上はその担当医の指示が絶対になります。看護師さんにしても、理想的には看護師側からの意見、ということを、医師の側にもカンファレンスなどで伝えて、治療方針に採り入れてもらえることが望ましいのでしょうが、なかなかそうはいかないのが現実のようです。
 さらにその数日後、訪問看護師のチーフが洋子さんの見舞いに訪ね、戻ってきて私に言いました。
 「先生、洋子さん、まだ点滴してたわ。点滴、終わりにしてもらう、って言ってたのに、先生嘘ついた、って言ってた。」・・・私は自分が情けなくて恥ずかしくて、「何でわざわざそんなことを言うんだ。そんなことを聞きにわざわざ見舞いになんか行くなよ!」と、チーフに当たってしまいました・・・それから私は、最期までお見舞いには行けなくなりました。
 私は逃げ出したのだ、と、そう思います。「入院を頼んだのに、治療方針について口は出せない」というのは、ただの医者の論理に過ぎません。波風を立てたくない、ただそう思っていただけです。点滴を抜いてやってほしい、と、直接担当医にぶつかってもよかったのだろう。しかし、一方では、本当に本当にそれが洋子さんの希望であるのかどうか、あるいは、それが洋子さんにとって最善の方法であるのかどうか、確信が持てなかったことも本当です。私は、洋子さんをご自宅で看取ってあげたかった。

 6月2日、再入院してから2週間、そのまま病室で洋子さんはお亡くなりになりました。
 後日、担当医から私のもとに届いた報告にはこんな風にありました。
 「・・・・・・今回入院時は気力の低下が著明であり、自宅で過ごせた期間が短いことに不満であったのか、検査・点滴・投薬などを一切拒否するような状態でしたが、その後検査や点滴など受け入れてくれました・・・・・・」
 残された者にとって、真実、というのは、いつでも曖昧なままです。洋子さん本人でなければわからない。いや、本人であってもわからなかったのかもしれません。
 

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