在宅看取りの記録
Ⅳ 予想していなかった方
これまで書いてきた方々は、癌であるにせよ、老衰であるにせよ、ある程度死期が近いことが了解できており、在宅で「看取り」をする、ということが(御本人はともかくとしても)御家族にとってある程度でも納得されている場合が主でした。
この章では、逆に、お亡くなりになる、ということの予想をしていなかったにもかかわらず、在宅でお亡くなりになったケースを御紹介します。
予想をしていなかった、とは言っても、何度も触れていますが、訪問診療、ということの性格上、患者さんは、高齢・超高齢で、色々な疾患を抱えており、しかも、通院することが困難なほど動けない状態の方がほとんどですので、はっきりと医者の側から「そろそろ危ないと思います」云々といった説明はしていないとしても、漠然とは、関係者一同の中に、「まあもういつ何かあってもおかしくない状態だ」ということが共通認識としてあることが多い。そういう意味では、「予想していない」とは言っても、どこまで「していない」といえるか、は微妙であるかもしれません。ほとんどの場合、「予想していない」というのは、医者の立場から、病名や死因、といったことについて具体的にしていた予想とは外れている、という意味で言っていることで、御家族としては、「そろそろ危ない」「いつ何があってもおかしくない」という範囲内では予想をしているので、死因なんてどうでもいいことなのかもしれません。
しかし、やはりどうしても医者の立場としての問題、は出てきてしまいます。個々のケースの中でもその都度触れていますが、「予想をしていない」「原因のわからない」死については、警察の介入を要請しなければならない、という場合も出てくるためです。
我々医師は、死亡に立ち会った場合には、一般的には「死亡診断書」かあるいは「死体検案書」を書かねばなりません。この2つは、実際に記載する立場からすれば、全く同じ書式です。用紙も同一で、表題として「死亡診断書(死体検案書)」と書いてあり、どちらか一方を二重線で消して使用します。では何が違うのか。医師法の第20条と21条で、この両者について触れてあるのですが、法律の条文だけでは実はなかなか理解が困難で、法解釈として様々な説明がされています。
一般の方々にとってあまり面白くもない話でしょうから、非常に大雑把な所だけ記しますと、「普通に問題なく死んだ場合には死亡診断書、それ以外、『異常』な死については死体検案書」ということなわけです。
「普通」、「異常」についてもう少し補足をします。
日本法医学会が、1994年に「『異常死』ガイドライン」というのを出しています。我々医師が、どんな場合に「異常」と判断しなければならないか(どんな場合に死体検案書を書かねばならないか)、ということまでは医師法に書いていないために作られたガイドラインなわけですが、この中では、「基本的には、病気になり診療をうけつつ、診断されているその病気で死亡することが『ふつうの死』であり、これ以外は異状死と考えられる。」としています。さらに具体的には、5つの項目に分け、①外因による死亡(診療の有無、診療の期間を問わない)、②外因による傷害の続発症、あるいは後遺障害による死亡、③上記1または2の疑いがあるもの、④診療行為に関連した予期しない死亡、およびその疑いがあるもの、⑤死因が明らかでない死亡、としています。
①の外因、というのは、読んで字の如く、「外部からの原因によるもの」で、交通事故や転落、溺水、火災、感電、落雷、自殺、他殺、などの項目が挙げられており、「病気ではないもの」として考えられています。②、③もこれに準じた、続発したもの、としての想定です。④は、よくいわゆる医療訴訟として問題になるところですが、医療行為と何らかの関連があっての予期しない死亡について、⑤は「死因不明」なわけですから異常、と見られてもやむを得ない。
こうして項目だけを見れば、もっとも、とうなずけそうなところなのですが、実際の在宅訪問診療の現場では、迷ってしまうケースが多々あります。このガイドラインに載っている項目に即していくつか挙げてみます。
①外因による死亡中、窒息、の項目には、「気道閉塞」ということがあります。老衰、の章でも少し触れましたが、高齢者の方で衰弱が進んでいくと、なかなか自分では痰が出し切れなくて、痰によって気道閉塞→窒息死、と思われるケースがあります。これは入院中であっても見られることで、特に例えば肺炎の治療中であったりすれば、余計に痰の量が多く窒息の危険は多くなります。入院中であれば、細い吸引チューブを鼻や口から入れて、看護師が痰を吸い取る、ということもするわけですが、それにしたって、夜間など、「完全に」吸い取る、ということは不可能です。ましてや、在宅医療の場合には、余程必要がある場合には携帯の吸引器を購入してもらって御家族に吸引の方法を指導することもありはしますが、同様に、完全に吸い取ることはできません。いずれにしても、確定診断をしようと思えば、やはりのどの奥に痰が詰まっていることを確認したり、最終的には解剖まで考えることになってしまいますが、現実には、死因として老衰とされている方の中には、かなりこの窒息がおられると思います。「痰を自力で出すことができない」程に弱ってきている、ということで、私は、特に在宅の現場では、「老衰」という死因にすることにさして問題はないと思ってはいますが、厳密な法律的議論としてはどうでしょうか。
②③では、「外因による傷害の続発症、あるいは後遺障害による死亡、あるいはその疑い」ということで、例として、「頭部外傷や眠剤中毒などに続発した気管支肺炎」が挙げられています。交通事故などで、外傷性くも膜下出血を起こして、後遺症として半身あるいは四肢麻痺や嚥下障害を残したまま在宅に戻ってくる方もおられます。嚥下障害がある方ですと、自分の唾液も上手に飲み込むことができずに肺に入ってしまい、頻繁に肺炎を起こすこともあります。まだ若い方ですと、交通事故がなければ頻繁に肺炎を起こすなどということはまずありえず、明らかに交通事故との因果関係はありそうですが、何度も肺炎を繰り返しながら、5年後、10年後に亡くなった、とすると、やはり異常死、と考えるべきなのでしょうか。これは主に、事故の後どのくらいの期間が開いたのか、が問題になりそうには思えます。事故後1ヶ月以内に肺炎を起こしたのであればやはり「事故のせい」とすっきり言えそうですが、事故後5年、というとちょっと疑問が残る。しかしその間も頻繁に肺炎を起こしては入院治療を繰り返していた、とすると、心情的にはやはり「事故のせい」とは思いたくなります。
⑤死因が明らかでない死亡、は、一番問題となるところです。項目として、「一見健康に生活していた人の予期しない急死」、や、「医療機関への受診歴があっても、その疾病により死亡したとは診断できない場合」などが挙げられており、これはどちらも、在宅訪問診療の現場では微妙なケースが多いと思われます。老衰、というのは病気とは言えないので、健康でなかったか、と言われれば返答に詰まるところもあります。
今回、この章で採り上げた方々のケースは、主に最後の、⑤死因が明らかでない死亡、ということに関わるものですが、それぞれにその状況は異なります。法律家の方に読んでもらったらやはり問題になるケースもあるのかもしれません。今振り返ってみても、自分でも悩ましい点はありますが、医師として「間違った」ことをしたとは思っていません。こうした悩ましいケースが多くある、ということもまた、在宅医療をやっている上で避けられないことかとも思いますが、そのために在宅医療が、なかなか浸透しない、という側面もあるのではないかと思っています。
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