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​在宅看取りの記録

Ⅴ 入院を選んだ方

○○辰則さん、享年86歳「亡くなるときは、あの病院で」

 ○○辰則さんは、肺癌の末期、という状態で、私達の訪問診療に紹介となった方でしたが、僅か1ヶ月程で入院をすることとなりました。
 初めて御自宅に伺ったのは、ある年の6月11日、町から少し外れて神社のある山沿いから道を入って、田んぼの中を突っ切って、バイパスの高架をくぐって行くと、周りをぐるりと田んぼに囲まれた中に一塊の古い家々が並ぶ、その中の一軒が辰則さんのお宅でした。おそらくその辺りのおうちは多くは農家だったのかと思いますが、辰則さんのお宅は、元は商店をやっていたようでした。今はもう店はやっておられないらしく、表玄関はシャッターを下ろしたまま、ぐるり回って裏側に住居の玄関があり、上がってすぐの6畳のお部屋、電動で昇降ができる座椅子に、辰則さんは座っていました。
 奥様と娘さんが一緒におられ、お二人が畳に座っていたこともあってか、辰則さんは一人椅子に座って背が高く、変な言い方ですが、王様のように見えたことを覚えています。勿論病気だから、ということもあったでしょうが、家の中で大切にされているのだろうな、という印象だったのでしょう。
 紹介状によれば、その年の1月に肺癌がわかりましたが、年齢や癌の広がりから手術とはならず、痛みを除く目的を主として放射線治療を行ったこと、癌は従って残っており、リンパ節にも転移をしていること、遠くの他の臓器への転移はないこと、また、御本人にも肺癌という告知をしていること、がはっきりと書かれていました。告知をしているかどうかは大きな問題となりますので、事前にも娘さんには確認をしておりましたが、間違いなく、御本人も了解している、ということでした。約1ヶ月前まで入院をしており、退院してからも1‐2度はそちらの病院の外来に受診したようですが、段々食事量が減ってきて、通院するのが大変になったため、という、訪問診療の依頼でした。
 とは言っても、初めての面談でいきなりあからさまに、癌のことを持ち出すわけではありません。訪問診療を依頼される場合というのは、まあ、最初は「一刻を争う緊急事態」というわけではありませんから、通常初対面の人間同士が行うように、ましてや、相手の御自宅に上がり込むわけですから、我々は(ある意味では不測の)客として、丁重に御挨拶から始めます。名刺を出し、自己紹介をし、「これからおうちの方に伺って診療させて頂きますが、お聞きになってますか?」と、御本人に確認します。通常は、外来に受診することが難しくなった、ということで、御家族が紹介状を持って事前に来られていることが多いので、場合によっては御本人は我々の来訪を知らない、ということもあるからです。
 辰則さんは、少し耳が遠いものの、こちらのお話しすることはすっかり了解し、我々が伺うことも承知していました。昼食が終わったばかりのところでしたが、吐気があってあまり食べられないことを話され、そのほか困ったことはないか問うと、特にない、痛いこともない、とのことでした。
 御家族のことや、おうちのことなどを少しずつ伺いながら、段々にそうした御本人の困ったことなどに話を移していきながら、なるほど、辰則さんは御自分の病状についてはよく承知されている、ということが伺えました。その時点で、入院していた先の病院から、既に痛み止めとして麻薬が処方されていましたので、そのために痛みが抑えられていた、ということであったのかどうか、それは初対面の我々には窺い知れません。お話の限りでは、入院していたときに、胸の痛みはあったけれど、それ程強いものではなかったようで、また、放射線治療を行う前は痛みが強かった、とのことで、紹介状の通り、放射線治療が痛みを抑える、ということに関してはかなり有効ではあったものと思われました。
 そのあと、少し部屋の中を歩いてみてもらいました。もともとは勿論生活は自立していたようで、今回も1ヶ月ほど前に退院したときにはまだ家の中は歩いていたそうでしたが、徐々に足が出なくなってきたらしく、それでも何とか杖で一人で歩くことはできていました。その続きの奥の部屋にベッドがあり、間の襖は開け放たれていました。居間の椅子からベッドまで、2-3メートル程は、何とか一人で行き来できてはいましたが、少し手を貸した方が安全か、というような状態でした。
 こうして初回に伺った際、ひとまず、早急な問題点はあまり見当たらないようでした。癌の方の場合我々がまず考えてしまう、「痛み」の問題は、どうやらコントロールがうまくいっているようでした。吐気があって食べられない、ということに関しては、吐気止めの処方を増やしていく、ということで考えるべきか、痛み止めの麻薬の副作用として麻薬の減量など調整も考えるべきか、伺った限りでは、朝に吐くこともあるが、食欲自体はあり、一定量食べられている、ということでしたので、しばらく経過を見ながら判断を、と考えました。我々の方の悪しき先入観ということになるかもしれませんが、86歳、肺癌で治療できない状態、とすれば、徐々に食事量が落ちていって終末期を迎えるとしてもやむをえないだろう、とは思われました。
 紹介状にもそのように書いてありましたが、辰則さんに行われた放射線治療のような治療を、医者は「姑息的治療(姑息照射)」と呼びます。隠語、というべきものでしょうか。何だか医者の側からすると自虐的な、というか、勿論患者さんの側からしてもあまりいいイメージの浮かびそうもない「用語」です。辰則さんの場合で言えば、はっきりと存在する肺癌に対して、その肺癌を征圧する、或いは排除するための治療ではなく、とりあえず目先の「痛み」をとるための治療、ということになります。癌自体を征圧することができない、ということについて、医療者側があえて自虐的な言葉を使いたくなった、ということなのでしょうか、「姑息」な治療、と呼んでいるわけですが、患者さんに直接その言い方を用いることはあまりありません。姑息的に放射線を当てる、ということは、裏を返せば、年齢や癌の広がり、転移等々を総合的に判断して、根治的な治療、癌を完全に征圧するような治療はこれ以上できない、ということを意味します。従って、我々医療従事者からすれば、癌についてはこれ以上は手の出しようがない、という観点からは、それ以降全ての治療は姑息的治療ということになります。私達のように、在宅訪問診療で癌の患者さんを診療する場合には、辰則さんのように、病院で検査や治療をするだけして、「癌についてはこれ以上何もできません」という状態で紹介されるわけなので、在宅訪問診療イコール姑息的治療、ということになってしまいます。中には、訪問診療で経口での抗癌剤を処方しながら、という方もおられますが、それにしても、「根治」を目指す、というよりは、騙し騙し、といった側面が強くなります。
 こうした「癌」の終末期の場合に、なかなか理解して頂けないことですが、最後の最後お亡くなりになる、というときには、必ずしも直接的に「癌」でお亡くなりになるわけではない。「癌死」と書いてみると、まるで、癌が大きくなって、パンと破裂でもして最後を迎えるかのように思えてしまうかもしれません。でも実際にはそんなことは(ごく少数には「破裂」ということは起こりえますが)まずありません。例えば、肝臓癌の場合、肝臓の大部分を癌が占拠していって、最終的に消化液(胆汁)の出口を塞いでしまって、体中がまっ黄色になって(黄疸)しまう、ということがあるかもしれません。肺癌の場合、大きくなって、気管を塞いでしまって呼吸ができない、ということがあるかもしれません。大腸癌の場合、便が刺激になって、癌の部分から大出血をして出血多量でお亡くなりになる、ということがあるかもしれません。死亡診断書、という観点からすれば、医者はこれらの状況の場合、背景に癌がある、ということが承知されていれば、死因としては「癌」と書きます(そういうルールになっています)し、御家族にもそう説明をします。しかし、医学的に厳密に見れば、それぞれ、「黄疸」「(閉塞性)呼吸不全」「出血多量」といったことが直接の死因であって、「癌で死ぬ」ということとの間にはワンクッションあるとも言えます。それでもこれらの例というのは、比較的理解のしやすい「癌」による最期、ということになるかもしれませんが、通常私達が立ち会う癌の方の終末期というのは、何度も他の箇所でも書いてきていますが、「食べられなくなって」或いは「食べる量が少なくなっていって」或いは「ある程度食べているけれど段々痩せ細っていって」、要は、漠然とした言い方ですが、徐々に全身が衰弱していってお亡くなりになる。絡んでくるのは、いつでも「食事」「栄養」といったことなのです。
 悪液質、という用語があります。医者は、横文字でカヘキシー、ということの方が多いかもしれません。必ずしも癌に限ったことではないのですが、栄養が低下して衰弱していく状態を言ったもので、実を言えば、「老衰」もそうなのですが、癌の方の多くは、カヘキシーの状態を経てお亡くなりになることが多い。手元の医学大辞典(南山堂)からカヘキシーの項目を引用してみます。―――『慢性疾患または情動障害の経過中に起こる主として栄養失調に基づく病的な全身の衰弱状態であり、全身衰弱、るいそう、眼瞼・下腿浮腫、貧血による特有の黄白色をおびた皮膚蒼白、皮膚の色素沈着などを呈する。・・・・・・たとえば癌性悪液質の場合、癌は宿主を無視して増殖するため生体中の一切の栄養素を奪い取り(癌による栄養奪取)、これに合わせて癌の増殖転移による各種臓器の破壊、機械的圧迫などが生じたり、癌組織から特殊な毒作用を有する物質(トキソホルモン)が遊離して生体に悪影響を及ぼす、等により宿主を死に至らしめる。』―――とあります。すなわち、繰り返しますが、多くの場合、癌の終末期というのは全身の衰弱状態、なのであって、必ずしも局所の症状として表れるわけではない、外に表れることとして認めやすいのが、「食べられない、痩せてきた」といったことなのです。
 ところが、こういった経過をたどる、ということは、一般の方にはあまり了解されていません。失礼な言い方かもしれませんが、病院で癌の治療をしている医者の方も、あまり了解していないのではないか、と思うことがままあります。例えば上に挙げた肝臓癌の場合であれば、患者さん御本人やその御家族の方に、「黄疸が起こるかもしれません」というように、肝臓に関して起こり得る症状の説明はしているようですが、「食べる量が減っていったり」「食欲が落ちていったり」「痩せてきたり」という説明は、しているとしても、患者さんが充分に了解する程には行われていないことが多そうです。
 特に、こうして在宅で癌の終末期を迎える場合、というのは、御家族が食事を作って食事の場面に立ち会っていますので、食事量が落ちてきたとか食欲がないとか、ということと、御家族はリアルに向き合うことになります。また、「黄疸」や「呼吸困難」「出血」であれば、ある時点で劇的に起こる、明らかに異常な状態、ということで、癌との関連もつきやすいでしょうが、食欲不振、といったことを癌と結びつけることは、心理的にもなかなか困難なことです。我々にしても、単発に起こる嘔吐や食欲不振であれば、吐気止めを処方すれば、とか、点滴をしてしのげば、と思うわけで、ある程度の時間経過の中で観察をしていって初めて、癌との関連を疑っていきます。それにしても、確実な自信を持って言えることではない、経験則の部分が大きいものです。そしてこのことは、どこまでの「治療」をするか、ということにも大きく関わってきます。大出血をしてしまえば、「ああ、これは癌のせいなのだし、これ以上大慌てをして救急車を呼んでも苦しい思いをするだけかな」、という納得の仕方ができやすいかもしれませんが、食事が摂れず日々痩せていく、という長い時間経過の状況の中では、「点滴をすればまだ立ち直るかもしれない、入院すればまた良くなるかもしれない」という期待を持つことは避けられないことでしょう。こうしたことは、御本人、御家族の、ポジティブに言えば「覚悟」の、ネガティブな言い方をすれば「あきらめ」の問題になっていきます。
 だいぶ話が遠回りしましたが、辰則さんの場合にも、こうしたことの了解はできておらず、ごく単純に、「食事がとれなくなってきたので入院して点滴をして欲しい」と言ってこられました。私の方は、6月中に2度訪問し、7月9日に3度目に伺った時にはもう娘さんから、入院の相談がありました。確かに辰則さんは、「徐々に」動けなく、「徐々に」食べられなくなっていたようです。7月9日の時点ではまだ、起こして手を貸して椅子まで連れて行って食事をしたりはできていましたが、それ以外はほとんどベッドの上、という状態でした。娘さんとしては、自宅で看取る、というようなことまで考えは及んでおらず、食べられなくなったら点滴をしてまた元気になる、というイメージをお持ちでした。私としても、こうした経過についてこれから少しずつお話をしていかなければならないところでしたが、それよりも展開が速く、このときに、「癌の終末期として、食べられなくなっていってお亡くなりになる」ということをお話しはしましたが、とても時間は充分ではなかったと思います。点滴をするだけであれば、在宅でも我々の方でもできますが、ともお話ししましたが、段々に動けなくなっていったときに、自宅で起こる様々な問題に対処できるかどうか、という不安も大きかったようです。ひとまずは、緊急性があるとは判断しませんでしたので、他の子供さん達や親戚の方とも相談してみる、とのことでこの日は引き上げました。
 次回、7月18日に伺った際、あらためて、娘さんは入院を希望されました。ほとんどベッドから起きられなくなった、痰もからんで出しにくくなっている、食事も数口ずつ位しか食べない・・・そして、御本人自らも入院を希望され、親戚が働いているので、近くのA病院に頼んで欲しい、とまで言われました。
 娘さんや奥さんの話では、「この辺の人は皆、亡くなるときにはA病院に頼むんだ」と。なるほどそういうものかな、と、腑に落ちました。亡くなる、ということについてもある程度の覚悟はある、御自宅で看取るということについての認識がないのだ、とも思われました。
 日本では病院で亡くなる方が80%を占めています。一昔前には自宅で亡くなることが当たり前だったようにも思いますが、もうそんなことは一般的ではない。私は個人的には、在宅で亡くなる、という選択肢を大事にしたいのでこの仕事を好んでやっていますが、とにかく一般的なことでないのは事実ですし、患者さんの希望を曲げてまで押し付けるものでもない。
 しかも、私は地元出身というわけではなかったので、「ここらの人は皆A病院で・・・」と言われると、ああ、そういう役割を負っている病院も、地域の中にはあるのだなあ、と、何だか深い感慨を覚えました。
 辰則さんの場合には、癌の診断・治療をして、私に紹介状を下さった総合病院がありますので、また入院が必要となった場合にはそちらの病院に相談をするのが普通のやり方でした。しかしこれは、医者としての義理・道義に属するようなことで、患者さん側から希望があれば、勿論よその病院にお願いすることはできないことではありません。しかし、今日どこの病院もいっぱいで、救急車もたらい回しになるような御時世で、辰則さんのように、他の病院で診断も治療も済んで、終末期の状態だけ入院をお願いする、ということを、病院の側が受けてくれるものかどうかは、私の一存ではどうにもならないことで、実際に問い合わせてみないとわかりません。私はそれまでA病院とはほとんど患者さんの紹介などの付き合いがありませんでした。ところが、クリニックに戻ってすぐにA病院に電話をして、紹介状を書いて御家族にその日のうちに持っていってもらったところ、とんとんと話は進み、準備を整えて、翌週の7月24日に入院をさせてもらえる運びとなりました。
 結果としては、その2日後、7月20日に、娘さんより連絡で、夜に痰が詰まりそうで怖いので入院を早めてもらえないか、との依頼があり、再度A病院に問い合わせたところ、即日の入院に変更をして頂け、私の方で往診の上、すぐに救急車を手配して入院となりました。その10日後、7月30日、A病院入院のまま、辰則さんはお亡くなりになりました。


 最期については、詳しい事情はわかりません。A病院からは、脳にも癌の転移が見つかった、という連絡は一度頂きましたが、点滴をしたのか、どのような治療をしたのか、細かいことはわかりません。しかし、やはり、最終末期であったことは確かなのでした。
 終末期、について、我々は、最期のときを、なるべく「幸福」な状態で迎えられるように、と考えます。医療的に言えば、「痛みをとる」ための鎮痛剤であったり、「よく眠れるように」という睡眠剤であったり、薬や注射のことで考えることが多くなりますが、勿論、気持ちのいい音楽を聴く、とか、おいしい、好きな食事を食べる、とか、さらには、最期の場所としてどこを選ぶか、といったこと、要は、全面的に患者さん御本人の意向を叶えられるようバックアップをする、ということになるのでしょう。
 本当のところ、辰則さんの現在の状態や、在宅でできる医療看護体制・介護サービス体制などを充分にお話しできれば、辰則さんは御自宅で亡くなる、ということも「できた」かもしれません。しかしそんなことは無理にごり押しするようなことでもない。どちらの方が「幸福」であったか、など、1度きりの人生で比較のできることでもないでしょうし、誰にもわからない。他人である我々が、ましてや3-4度の訪問しかしていない患者さんの「幸福」を斟酌することなど、そもそもできるわけがない。・・・こうして、関わりの少なかった方ほど、思い悩むことも多くなります。

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