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「窒息の対応について」 報告と雑感

更新日:2023年10月13日

(室蘭登別食介護研究会 第6回研修会 (2014.12.3))

 2014年12月3日(水)、第6回研修会では、「窒息の対応」について、皆川からの発表を行いました。

 以下、発表の内容をまとめると共に、このテーマについての「雑感」です。


まえおき

 私自身は医者ですが、「窒息」は、医者が立ち会うことの少ない「事件」です。

BLS(Basic Life Support)―― 一次救命処置、という言葉があります。多くの方がお聞きになったことがあるのではないかと思いますが、心臓マッサージや人工呼吸、最近ではAED(自動体外除細動器)の使い方、まで合わせて、日本全国各地で、一般市民や学校などで、広く講習会が行われるようになっています。

 道で倒れている人を見たらどうするか。・・・誰でもそうしたことに巡り合う可能性があります。その際に、意識の確認をし、必要なら心臓マッサージ、人工呼吸を行い、近くにAEDがあればそれも使用する。・・・その一連の定式化した対応方法をBLSと呼び、一般市民の方も広く対応できるようにしていく、というのが現在の流れです。

 医者としては、この「心臓マッサージ」は、少なくとも大きな病院で勤務していれば、何度となく経験します。しかし、人工呼吸は、病院の現場であれば、のどに管を入れ(挿管)人工呼吸器につなぐことが多く、「マウストゥマウス」の人工呼吸はやったことがない医者がほとんどでしょう。AEDも、病院であれば正式な「除細動器」があるので、AEDの使い方自体は、やや甘いところがあるかもしれません。とは言っても、「心臓(循環)」、「呼吸」に関わるこれらの問題、というのは、少なくとも救急の現場であれば日常茶飯のことで、医者であれば馴染みのものではあります。

 ところが、「窒息」は、同じ呼吸の問題であっても、あまり医者としては立ち会うことがありません。

 なぜか。

 それは、もし病院外で「窒息」が起こってしまった場合には、病院に運ばれてくる段階で、もう完全に絶命していることが多い、ということがあります。完全な「窒息」であれば、呼吸が完全に途絶してしまい、数分でお亡くなりになると思われ、救急車を呼んだとしても救急車が到着する前に死んでいることが大半です。逆に、病院まで生命が保たれている、ということは、完全な窒息ではなかったか、既にのどに詰まったものが取り除かれて、窒息ではなくなっている=ほぼ問題なし、の状態になっているか、です。従って、多くの医者は「窒息」に巡り合うことがないのです。

 私自身は、病院勤務の際に1度だけ、「窒息」に立ち会ったことがあります。その時は、まだ医者になって数年程度のところでした。夜、患者さんの夕食時間に、病棟に残って仕事をしていた時に、食事の介助をしていた看護師さんの大声で病室に駆け付けた、という経緯だったため、窒息発生からおそらくは10秒~15秒程度だったと思います。その時には、病院内でしたので、喉頭鏡、という、気管内挿管をする時の専門用具を使って、大きなピンセットで喉から詰まったものを取り出したのでした。それは、肉団子丸々、でした。丁度気管に「すっぽり」収まってしまったのだろうと思います。

 その時の唯一の経験を踏まえて、その後、特に高齢者の「摂食嚥下障害」の問題に深く関わるようになり、この窒息の問題は大変なことだ、といっそう思うようになりました。


 実は、窒息に対する対応、というのも、先に挙げたBLSの流れの中に入っています。様々な講習会では、この窒息に対する対応も組み込んでいることもあるのですが、組み込まれていない場合も多いようです。

 その理由も、いくつか考えられます。

 1つは、AEDの普及の方がポピュラーになっているため、そちらを優先して、窒息対応を省いてしまう、ということ。講習会の限られた時間の中ではやむを得ない面もあります。

 2つ目には、一般市民の方としては、「道で倒れている」場面には出会うとしても、それが「窒息」である、という可能性は、著しく低い、と思われているためではないでしょうか。道を歩いていて窒息、というのは、確かに考えにくいですかね。


 では、窒息、に一番巡り合う可能性が高いのは誰でしょうか?

 当然ですが、食事場面に立ち会っている人たちです。

 ・・・ということで、我々の「食介護研究会」との絡みが出てくるわけです。

 私どもの研究会では、「高齢者・障害者等、上手に食事が摂り難くなってきた方が、人生の最期までできるだけおいしく楽しく口から食事が摂れるようサポートすること」を目的としています。当然、ここに参加する様々な職種の面々は、こうした「危なっかしい」食事場面に立ち会うことがその日常なのです。


具体的には、

  • 在宅で、要介護者に食事を作ったり食べさせたりしているヘルパーさん

  • 入所施設やデイサービス施設、病院などで、食事の介助をしているヘルパーさんや看護師さん

  • 病院や施設で食事を作る側に関わっている栄養士さん・調理師さん

  • 摂食訓練に関わっている言語聴覚士(ST)さんや、看護師さん

 そしてもちろん、要介護者に食事の介助をしている、ご家族の方々・・・といった方々が、「窒息」に巡り合う可能性の特に高い人々です。

 そして、その「いざ」という際には、救急車を呼んでも間に合わない可能性が高いのです。あなた自身で、何とかしなければ、目の前で人が死んでいく。・・・これは、BLSに共通する状況ではありますが、誰にでもある程度均等に訪れるかもしれない、「道で倒れている人」、に比べて、窒息に巡り合う可能性の高い職種は、ある程度決まっているのです。


 私は、ここ数年、いわゆる高齢者施設であったり、栄養士さんや看護師さんなど、職種内での研修会などで、度々この「窒息対応」の講習会を繰り返してきています。今回は、当地で新しく始めた「室蘭登別食介護研究会」で、あらためてこの「窒息対応」についてお話ししました。「窒息について」と、新しく調べ直した内容も含めて、現在の、望むべき「窒息対応」について以下にまとめてみました。



1. 窒息あれこれ

★窒息しやすい食べ物とは

 まずはじめに、新聞記事からの引用です。

  マンナンライフを提訴=死亡1歳児の遺族-こんにゃくゼリー問題・神戸地裁支部

            (2009年3月3日 時事通信)

 兵庫県に住む1歳の男児がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせ、2008年9月に死亡した事故で、男児が死亡したのは製造会社「マンナンライフ」(群馬県富岡市)の対応に問題があったためだとして、両親が3日、同社に計約6200万円の損害賠償を求める訴訟を、神戸地裁姫路支部に起こした。・・・・・・


 いわゆる「こんにゃくゼリー窒息事件」で、この記事の事故の際には、1歳の子供さんが亡くなったことと、損害賠償訴訟にまで至ったことで、大きな問題として取り上げられたのですが、実は、こんにゃくゼリーによる窒息事故は、その以前からかなりの数が報告されていました(下表)。


 しかし、窒息事故は、こんにゃくゼリーに限ったことではなく、容易に推測可能でしょうが、「餅」によるものが圧倒的に最多です。

 餅による窒息、というのは、日本独特のものです。おそらく餅が、窒息を起こしやすい食べ物だ、ということは、ほとんどの方が知っていることでしょう。

 類似の食べ物は他の国にもあるでしょうが、日本では正月などハレの日、祝いの日と結びついた食べ物として、危険だとわかりながらも、高齢者や子供も皆食べる。お祭りで死者が出る、ということに対してどこか寛容にならざるを得ない、ということに似て、餅による窒息事故に対して、餅の製造会社を訴える、などといった事例にはならないようです。

 結局のところ、そうした背景を踏まえて、この「こんにゃくゼリー」訴訟においては、高裁判決では、「事故の発生件数と、一口による発生頻度を追加考慮し、地裁判決と同じく(製造会社には)責任はない」とされました。要は、こんにゃくゼリーが、「殊更に」危険な食品ではないのだ、ということです。

 下の表は、この裁判の際に採用されたとされる、それぞれの食品の、窒息に関する「危険度」を示したものです。

 これをみると、実際には、いわゆる「こんにゃくゼリー」よりも、こんにゃくの入っていないミニカップゼリーの方が実は危険度が高いことや、パンはご飯よりもはるかに危険度が高いことなど、色々興味深いです。


★「窒息」と「誤嚥」

 ここで、ひとまず言葉の整理をしておきましょう。窒息、と、誤嚥、について、です。

 誤嚥、という言葉は、だいぶ一般的になってきたようです。「誤嚥性肺炎」の方がもしかしたら先行しているのかもしれません。

 誤嚥、は、読んで字の如く、ですが、「誤って嚥み込む」ことです。なにを「誤る」のか?というと、嚥み込む先、行き先を誤る。通常「のみこむ」と言えば、その先は、食道~胃につながる、消化管、なわけですが、それが誤って、気管、気管支、肺、といった「気道」の方に入っていってしまう、というわけです。

 ちなみに、よく似た言葉で「誤飲」というのもあります。こちらは、「誤る」ものが違う。のみこむ物を誤ってしまう。すなわち、本来飲むべきでないものを飲みこむわけで、問題になるのは、小さな子供がタバコや硬貨を食べちゃったり、お酒だと思って洗剤を飲んじゃったり、・・・と言った、通常食べ物・飲み物として認められていないものを飲んでしまうことを言います。

 さて、さらに「窒息」です。窒息は、下図のように、「誤嚥」に含まれる概念と考えられます。誤嚥を起こした際に、そののみこまれてしまったものが、ちょうど気管をぴったりとふさいでしまい、呼吸がまったくできない状態になった場合に、窒息、と呼ばれます。


★問題は、『大きさ』と、『崩れないこと』


 さて、ここまでで、なんとなく「窒息しやすい食べ物」についてイメージができたでしょうか。

 窒息、をするには、まず、誤嚥をしなければならないわけですが、その上で、気管をすっぽり蓋をするような形状が必要です。すなわち、①適切な「大きさ」と「形」。さらに、詰まってしまったあとにでも、容易に崩れたり溶けたりするものであれば、窒息には至りにくいと考えられます。②溶けたり崩れたりしにくいもの。

 こうした条件を備えた食材が、下図のように、気管にぴったりとはまり込んだときに、窒息が起きます。


 上の表にあげた食材を、一つずつ確認してみましょう。

 まず、米飯、は、比較的窒息しにくいもの、と考えてよいのではないでしょうか。主食として比較をすれば、パン、とは、窒息しやすさが一桁違います。これは思うに、ご飯粒一粒一粒が結構小さなもので、気管をぴったりと塞ぐには小さすぎるものだ、ということが考えられます。しかし、ご飯にはある程度の粘り気がありますから、おにぎりのように固まった状態で、適当な大きさになったものを丸々誤嚥した場合には、窒息が起きる可能性はやはりあるでしょう。しかしそれでも、詰まった状態からご飯粒がばらばらになることができれば、窒息にまでは至らないかもしれません。そう考えると、お粥というのは塊にはなりにくく、窒息は起こしにくい、と言えるかもしれません。

 それに比べると、パンは、ある程度の大きさにちぎって食べることが多いでしょうが、そのまま誤嚥した場合には、大きさが適当であれば気管をちょうど塞ぐ可能性はあります。ご飯のようにばらばらになることはありませんし、変形する程度に弾力はあるので逆に気管をぴったり塞ぐ可能性もあります。

 魚と肉、は、ほぼ同じくらいの危険度のようですが、突っ込んで考えてみると、調理法によってもかなり違いそうに思われます。

 肉に関しては、おそらく、窒息の原因として多いのは、噛み切るのが結構大変な、「ステーキ」状の肉片ではないでしょうか。これもまた適当な大きさであれば気管にはまり込んで、崩れることはありません。また、私自身は、先に挙げたように「肉団子」での窒息に立ち会ったことがあります。これはもう、大きさといい崩れにくさといい、すっぽりそのまま気管を塞いでいたのだろうと思われました。・・・もっとも、肉団子がこの表の中で、肉、に分類されているかどうかはわかりませんが、いずれにしても、ある程度の固まりで、崩れない肉片は、窒息のリスクは高いものと思われます。

 一方魚は、と言うと、例えば焼き魚や煮魚は、仮に大きさが適当であっても、崩れやすく、なかなか窒息はしにくそうには思われます。むしろ、生の刺身、特にイカやタコのような刺身はいかにも噛み切りにくく、ツルンとして誤嚥もしやすそうで、もちろん崩れることもなく、窒息の危険は高そうです。これもまたわたしの経験では、下図のような、かまぼこでの事故に立ち会ったことがあります。

 かまぼこが「魚」に分類されているのかどうかはわかりませんが。

 この場合には、幸い完全な「窒息」には至らなかったのですが、それはこのかまぼこがきれいな球形ではなかったため、すっぽりと気管を覆うことがなかったからだと思われます。隙間があいていたのでしょうね。


 さて、ミニカップゼリーは、というと、これは、こんにゃく入りであるかどうかに関わらず、大きさ・形状が、上のかまぼことよく似ており、しかも柔らかいので気管の形に合わせて変形して、いかにもすっぽり収まりそうに見えます。

 我々、嚥下障害対応を専門にやっているものからすれば、「ゼリー」というのは、もともと嚥下障害の方に対して、もっとも安全な食材(の一つ)とされ、開始食・試験食・訓練食としてよく用いられているものです。その理由の一つは、ゼリーが溶けるから、なのでした。つまり、仮に気管に入ったとしても、しばらく経つうちに体温で溶けていくので、窒息のリスクは少ない、と思われる。

 しかし、この「溶ける」という性質は、従来「ゼリー」という言葉が意味していた「魚の煮こごり」とか、「ゼラチンゼリー」のイメージに含まれているもので、実際にはどうやら今日的には、あまり溶けてくれないものも「ゼリー」として通用しています。今ゼリーとして売られているものは、様々な成分を含んで、かつ、主成分もゼラチンというわけではないものが多く、必ずしも体温で水にまでは溶けなかったり、溶けるとしても時間がかかったり、と、性質はひとくくりにはできなくなっています。

 こんにゃくゼリーはもともとそうした、「溶けないゼリー」の代表格だったわけで、もちろん、こんにゃくはいくら待っても溶けません。「ゼリーは安全」という先入観はもはや危険で、こうした「溶けないゼリー」はやはり、窒息に関してリスクは高いものと思われます。

(この、「ゼリー」の語義に関しては、以前このシリーズの「とろみについて」でも詳細に触れていますので、ご参照ください。)


 飴玉、については、これまた、微妙な大きさであり、形も球形のことが多く、詰まったあと崩れることもなく、窒息に関して言えばリスクは高いことは間違いなさそうです。通常の飴玉は2㎝弱程度のものが多く、最近は小粒で1㎝強のものも見かけますが、一般の成人の気管の太さは、(呼吸によってもちろんやや太さは変わりますが)大体16mm~程度、子供では10mm程度、と言われますので、少しなめて小さくなったくらいの飴玉は十分気管に侵入して、すっぽりはまり込む可能性があり、特に子供の場合には危険度が高くなります。


 さて、最後に残った「餅」ですが、あまり解説の余地はないかもしれませんが、他の食材との異なる最大の特徴は、その「粘っこさ」でしょう。同時に、自在に変形しますので、気管の入り口であっても途中であっても、貼り付いてしまえば完全に閉塞する可能性が高くなります。


 以上、少々細かく見すぎた感はありますが、もう一度強調してこの節を終えます。

 窒息するためには、①気管にすっぽりはまり込む適切な「大きさ」と「形」、②詰まったあとにも崩れたり溶けたりしにくいこと、さらに言えば、③容易には取り除けない「粘っこさ」が、窒息しやすい食材、ということになるでしょう。



2. 窒息を『防ぐ』には?

★誤嚥・窒息は、誰にでも起こりうる!!

 以上のようなことを、一応知識、として押さえておくことは大切です。「窒息・誤嚥しやすい食材について」。

 では、誤嚥や窒息を『防ぐ』ためにどうすればよいのか、ということになると、様々な考え方があります。

 例えば、「テレビを見ながら食べない」「お喋りをしない」といったような、環境に配慮する視点(食べながら笑ったりすると、嚥下の最中に呼吸をして気道が開くことになり、危険とされる)。あるいは、窒息しにくい姿勢や、食べ方の指導、といった視点。・・・これらは、まさに「摂食嚥下障害」に対する対策の全体像を語ることになってしまいます。

 おそらく、窒息に関して、一般に注意されている最も重要な視点は、これまで挙げてきたように、「危険な食材に手を出さない」ということではないか、と見えます。すなわち、「窒息したくなければ、どの程度食材を制限すればよいのか」という問題意識です。この視点が「正しい」か「正しくない」か、は、ここでは問いません。現実に、施設や病院など、ある程度多数の他者に対して食事を提供する場においては、どうしてもこの視点を優先せざるを得ない場合が多いのは明らかでしょう。


 この問題を、私なりに大づかみに分類をしてみると、次のようになるでしょうか。

 誤嚥・窒息を防ぐための、食事としての対策は、


① 一切口からは食べない。胃ろうや経鼻経管、点滴にする。(経口摂食の禁止)

② 餅は食べない~「嚥下食」や「ソフト食」、とろみ、といった窒息しにくい食形態に限る。(経口摂食の制限)

③ 好きなものを好きなように食べる。(制限をしない)


 要は、誤嚥・窒息の直接原因と考えられる、食べ物、を、どの程度制限するか、ということです。

 それぞれについて、もう少し詳しく見ていきます。


一切口からは食べない。胃ろうや経鼻経管、点滴にする。

 口から「もの」を食べるから、その「もの」が気管に入って誤嚥・窒息の危険があるのだから、口から食べなくすればそれらは防げるだろう、という考え方。

 今の日本では、高齢者が肺炎を起こすと、多くの場合「誤嚥性肺炎」と診断され、少なくとも「誤嚥」をしているのであれば、今後も肺炎を繰り返す危険は高いだろうし、窒息を起こす危険も高いだろう、という考えから、胃ろうを造る、という方向になることがよくみられます。

 もっとも、比較的「安易」に胃ろうを造る方向については、近年の、胃ろうに対する「ネガティブキャンペーン」のような動きもあり、また、厚生労働省の方向性の変化もあり、医師個人個人の考え方や、地域によっての差も大きいようです。

 胃ろうについては、別に、「第2回研修会報告:胃ろうについて」で述べましたので、ここでは深くは突っ込みません。あまりにも誤嚥・窒息のリスクが高い、と判断した場合に、口から食べない、という対策そのものは、否定できるものではありません。

 医療行為は、あるいは、すべての行為は、ベネフィット(利益)とリスクを天秤に掛けて決定されます。「誤嚥・窒息する、あるいは、それによって死ぬリスク」と、「口から食べる楽しみ・喜び・自由、あるいは栄養補給、という利益」を比較して、前者に天秤が傾くのであれば、胃ろう・経鼻経管、点滴、を選択することはやむを得ない場合もあるでしょう。

 ただし、胃ろうを造ったとしても、長期臥床が続き、自分の唾液であったり痰であったり、によって、誤嚥・窒息に至るケースは多々あり、100%の解決になるわけではありません。唾液は常に(少量であるにしても)嚥下されているわけですから、経口摂食をやめたとしても、誤嚥についてのリスクがどの程度減るのか、は疑問は残ります。しかし、少なくとも、窒息、については、よほど粘稠な痰が詰まってしまい、それを咳などによって排出できないほど、体力の低下が著しい、などの条件がそろわなければ、経口摂食をしない方が、大幅にリスクは減るものと思われます。


餅は食べない~「嚥下食」や「ソフト食」、とろみ、といった窒息しにくい食形態に限る。

 まったく口から食べない、というのも淋しいので、「せめて危ないものは食べない」ようにしよう、という、「食事の制限」の考え方です。分類しようとすると、①の「まったく食べない」と、③の「何でも食べる」、の間にあるすべての状態、ということになりますので、おそらくは、多かれ少なかれ、という意味では、誰でもやっていること、とも言えるでしょう。

 そもそも、それぞれの個人が、自分なりにベネフィットとリスクを比較して、自分の食べたいもの、食べられるもの、食べて安全なもの、を判断して食べる、という当たり前のことが達成されていれば、こうした分類は不要なものです。私は医者ですが、例えば、外来で診察しているある患者さんに、「お餅は危ないから食べないように」と言ったからといって、その方が自宅に帰って、「やっぱりお正月くらいはお餅を食べたいわよね」と判断して食べたからといって、何を責めることがあるでしょうか。そもそもが突き詰めれば、医者であれ誰であれ、他人様に対して「あれを食え、これを食うな」などと指示をする権利があるのか、というところまで問題は行き着いてしまう。医者の場合に限って言えば、あくまで、窒息や誤嚥のリスクが極端に高く、食べ物の制限について患者・家族等に強くアドバイスを求められるから答える、という立場であって、それでもなお、そのアドバイスに従うかどうかは、個人の判断に任されます。

 結局は、こうした分類は、施設や病院への入院のように、他者に対して食事を提供しなければならない場所で問題になるものです。

 例えば、いわゆる高齢者施設で、正月に餅を出している施設がどのくらいあるでしょうか?病院では?

 こうした施設ではいわゆる「行事食」といって、例えばひな祭りの時にはひなあられが少しついたり、節分には豆のパックがついたり、ということがよくありますが、日本人としておそらくはもっとも有名でもっとも皆が待ち望んでいる、正月のお餅は、行事食としては出されないのが一般的です。おそらく、ごく一部の、こうした問題に対して意識の高い施設でのみ、限定的に出されているのがせいぜいで、あるいは粘り気の少ない白玉団子で代用をする、というようなことも、好意的に勧められているようです。施設や病院などで「窒息」事故が起きれば、どんな食材を提供していたのか、大いにマスコミでも叩かれ、責任を追及されることが目に見えていますから、こうした風潮というのはやむを得ないのかもしれません。餅どころか、かまぼこも、こんにゃくも、食材そのものに罪はないとしても、施設の単位としては、「君子危うきに近寄らず」として、危なそうなものはすべて出さないようにしておいた方が、むしろ一般的には誉められる、というのが、日本の現状です。


好きなものを好きなように食べる。

 いくら好きなものを好きなように食べる、といっても、我々のひとりひとりが、すべてのものを満遍なく食べているわけでもありません。結局は「好きなもの」であったり、「危なくないもの(窒息しにくいもの)」であったり、を、自分なりに判断して食べている、というのが現実です。という意味では、すべての人が、「②窒息しにくい食形態に限る」に分類される、という言い方もできるわけで、如何に、ここに挙げた分類が無意味であるか、がわかるかと思います。

 要は、繰り返しますが、この分類は結局、「我々が自由意志で好きなものを食べられるか、あるいは、誰かに制限されて食べるか」、というところにかかっているわけです。

 私自身の問題意識は、常にこの点に帰着してしまいます。

 ①で挙げた、経管栄養・胃ろう、の方、というのは、「すべて」ではありませんが、少なくとも今の日本では多くの場合、本人の意思と無関係なところで始められ、後になっても、本人が口から食べたい、という意思表示ができない状態であるか、あるいは、口から食べたい、という意思表示があってもそれを無視して、食べさせない場合が大半なのです。

 ②で挙げた、食事の制限、というのも、施設の実情などを考えれば同情はせざるを得ないのかもしれませんが、本来、個々人が食べたいものを提供できるのであれば、それに越したことはない。施設の基準として、「餅は提供しない」という状況は、やっぱりどこかおかしい気がします。


 窒息、は、「事故」です。もちろん、個々人によって、危険度の高い低いはあるでしょうが、どんなに気をつけて、食材の制限をしたとしても、100%窒息を防ぐ、ということは難しい。だからこそ、危険度の少ない方策を探る、ということももちろん重要でしょうが、こと食事に関して言えば、「食べたいものを食べる」というあまりにも大きなベネフィットと、誰が、どう折り合いをつけるのか、ということを、十分に検討する必要があると思います。


 次に挙げるのは、やはり新聞記事からの引用です。


<窒息死>小6男児、給食パンのどに詰まり 千葉・船橋(2009年10月21日毎日新聞)

 千葉県船橋市立峰台小(末永啓二校長、児童数696人)で6年の男子児童(12)が給食のパンをのどに詰まらせて窒息死していたことが21日分かった。市教委は給食時の安全徹底を求める文書を各学校へ送付した。

 市教委などによると男児は17日午後0時45分ごろ、給食に出たはちみつパン(直径10センチ)を一口食べた後、二つに割って一度に口へ入れたところ、突然苦しみ出した。担任の女性教諭が気付き、洗面所で吐き出させたが、教室に戻った後、再び「苦しい」と訴えたため教諭らが背中をさすったりしたが収まらなかった。

 市消防局によると、学校側の通報で午後1時ごろに救急車が到着したが、既に心肺停止状態だった。同乗していた医師らが器具を使ってのどに詰まっていたパンを取り出し、心肺蘇生をして病院へ運んだが、同6時15分ごろに死亡した。

 末永校長は「信じられないことが起きて残念だ。今後はパンは細かくちぎって汁ものと食べるなど、安全面の指導を徹底したい」と話している。

 事故について塩谷立文部科学相は21日の閣議後会見で「誠に残念な事故が起こった。まだ(状況を)詳しく聞いていないが、普通では考えられないことが起こっているので、詳細を確認したうえで(対応を)検討する」と述べた。


 これは、小学生が給食のパンで窒息して死亡した、という事故です。記事だけではこれ以上の詳細はわかりませんが、おそらくこの亡くなった男の子は、特別な嚥下障害などの危険を抱えていたものとは書かれておらず、まったく予想のつかない、偶発的な「事故」だったのだろうと思います。

 私は決して、「事故だから仕方ない」というつもりはなく、ご両親など身内の方々などの心痛を思えば、心底切ないことであったろう、と、ご同情さしあげるばかりです。しかしその一方、こうした、食事摂取に関わる仕事をしている立場からは、この事故から我々は何を教訓とすればよいのか、を考えてしまいます。

 この事故を契機に、学校給食からパンを除去すればよいのでしょうか?校長先生の言うように、パンは細かくちぎって汁ものと食べることを徹底するのでしょうか?給食中には決してお喋りをしないで、笑うことなく食べるよう指導すべきでしょうか?おそらく、この事故の現場に立ち会った当事者の方々の中には、様々な意見や思いがあり、そのことに異を唱えることはできませんが、しかし、一般論として、他の施設や病院など、我々が立ち会う現場でどうすればよいのか、を考えるとき、私は、「食事を制限する」という方向に向かう、という解決には、今ひとつ賛同できない点が残ります。

 我々が、施設の単位で重視すべきことは、「事故はどんなに用心しても起こりうる」→それならば、→「起こりうる事故に対して、起こったときの対策を、施設としてきちんと講じておく」ということだと思うのです。

 これは、地震などの天災に対する態度と似通っています。地震予知などの研究も大切でしょうが、現場の我々としては、「地震が起きないように」という対策は不可能です。「地震が起きたときには、どう対応するのか」・・・「避難バッグを用意する」「避難する場所を確認する」等を考えておくことの方が、遥かに重要なのです。


 我々の研究会が主として対象として考えている、高齢者・障害者等、上手に食事が摂り難くなってきた方々、に対しては、食べることの楽しみ・喜びを極力損なうことなく、ご本人が食べたいと思うものをできるだけおいしく食べられるように、ということを最大限優先し、その介護者については、「もし窒息・誤嚥が起きたときには、どう対応するべきなのか」をしっかり学んでほしい・・・。

大変長くなりましたが、これが、今回の「窒息対応」の講習の意義付けです。



3. 窒息が起きたら

 ここからは、駆け足になります。

 施設や病院職員、あるいは、ヘルパーさん、もちろん、ご家族の方、等、高齢者・障害者の食事現場に携わる方々に強調したいことは、とにかく、

「目の前で窒息事故を見たら、あなたがどうにかしないと、その人は死ぬ」

ということです。医者・看護師を呼んだり、救急車を呼んだり、も、もちろん同時並行してもらうべきですが、本当に窒息であれば、到着まで間に合わない可能性が高いのです。先に挙げた小学生の事故が、その典型例です。

 覚えていただきたいことは、3つにおさえます。


① 窒息、と、誤嚥、を見分けること。

② ハイムリッヒ法

③ 掃除機につけるチューブ



窒息、と、誤嚥、を見分けること。

 窒息、と、誤嚥、の、概念としての区別については、既に述べました。窒息は、まあ言えば、誤嚥の一部に含まれ、「気道にすっぽりと収まってしまって、空気の出入り(呼吸)がまったくできない状態」ということになりますので、そのまま放置していれば、数分で死に至ります。

 ですから、窒息、と、(窒息でない)誤嚥、を見分けることは甚だ重要です。すなわち、その場に立ち会った際に、窒息にまで至っていなければ、様子を見て、救急車が来るまで待ってもよいが、窒息であれば、「あなたが何とかしないと死ぬ」のです。

 窒息のサインとして、以下のようなことが挙げられます。

★声が出ない / 空気の出入りがまったくできないので、当然、声が出ません。声や、ヒューヒュー、という空気の出入りの音が聞こえたり、咳をしたりしていれば、少なくとも、完全に「詰まって」いるわけではない、ということになります。しかし、最初は声が出ていても、詰まりかけたものが取り除かれなければ、やがて声が出ない状態に移行するかもしれないので、注意深く見守ることが必要です。

★チョークサイン / 完全に詰まっている場合、声も出せない、ということは、本人にとってはパニック状態です。そのため、何とかその状態を伝えようとする際、下図のように「のどをかきむしる」ような動作をする、と言われ、これを「チョークサイン」と呼んでいます。これには2つの意味がこめられています。「呼吸ができなくて苦しい場合には、言語が違っても万国共通で、人間はこうした仕種をする」という意味と、「知識として、もし自分が窒息状態になった場合にはこうした動作をして周囲に知らせるように」という意味と。



★チアノーゼ / 呼吸ができず、酸素が体内に取り込めないと、チアノーゼに陥ります。皮膚や粘膜が青紫色になることを指し、唇などで一番見分けられるとされますが、いよいよ重篤な酸素不足になれば、顔面が紫から真っ黒になっていきます。

 これらのサインを認めたら、ハイムリッヒ法を行ってください。

ハイムリッヒ法

 ハイムリッヒ法については、ここでは最低限のことのみ記載しておきます。とにかく重要項目だけ記憶してほしいからです。幼児の場合、乳幼児の場合、変法、等、色々なことが言われていますので、各自の方が検索していただきたいですが、もっとも基本的には以下のとおりです。


<詰まった直後、まだ意識がある時:ハイムリック法>

 後ろから回り上腹部を突き上げる。

  1. 立位または坐位の後ろから救助者が抱える。

  2. 一方の手で握りこぶしを作る。

  3. 握りこぶしの親指と人差し指の輪で作った面を、患者さんの上腹部(みずおち)にあてる。

  4. もう一方の手で、握りこぶしをにぎる。

  5. この両手を、一気に手前上方に引くようにして、患者さんのみずおちを上に突き上げる。

  6. 取れない場合は、数回繰り返す。

 ハイムリック法は、一方では、あまり「過激」に行ってしまえば、胃物除去に成功しても、胃破裂などを起こして死ぬこともある、と注意も喚起されています。そのため、

意識がない場合や妊婦、1才未満の乳児に行なってはならない

とされています。施行者と被施行者の対格差によっても成功率は左右されます。こればかりは、一度でも実際に他人を「抱えて」行ってみないと、実感はできません。

 私の講習会では、必ず全員に、隣同士の方など何度か実際にやってみてもらうようにしています。必ず試してみるようにしてください。


掃除機につけるチューブ

 テレビ番組で紹介されたこともあるそうで、なんとなく多くの人が、その存在は知っているのではないでしょうか。のどに詰まったものを吸引して取り除くために、市販の掃除機に取り付けて使用可能な、強力な吸引チューブが販売されています。もともと兵庫県の消防署の方の発案で制作されたもの、と聞いており、私自身購入して持っていますが、残念ながら(いえ、幸運ながら)まだ現場で使用したことはありません。


 病院の病棟などでは、看護師さんは、もっとずっと細い吸引チューブと吸引器を使って痰をとる、ということは当たり前に行われており、のどに詰まったものを取り除くのに、こうした「吸引」が有効であることは、疑いないところです。しかし、いかんせん、このチューブが実際に使われている数も不明で、医療系の雑誌などで報告が上がっているわけでもなく、きちんとしたデータとして、「どの程度有効なのか」、「危険性はどうか」などについて、細かい議論は不可能です。

 インターネットで探したところ、そうしたことを背景に、以下のような議論が見つかりましたので、参考までに。


★餅で窒息しかけた時に掃除機は有効?

【質問】先日あるテレビ番組で、お餅をのどに詰まらせて窒息しかけたお年寄りの 口の中へ掃除機のノズルを入れ、お餅を吸引して除去でき た例を紹介していました。ものをのどに詰まらせた場合の 処置法としては、掃除機を使用するのが1番よいのですか。 危険性などはないのでしょうか。

【回答A】掃除機による異物の除去は世界的に認められた方法ではなく、むやみにはお勧めできません。日本で採用されている救急処置の手順は、アメリカ心臓病協会(AHA)のテキストに沿って決められています。AHAのテキストに記載されている気道異物の除去方法は、ハイムリック法が中心となっています。実際の施行方法については、以下のように書かれています。   (中略) 掃除機で吸引して異物除去に成功した例が時々報道されますが、ハイムリック法を試みてうまくゆかず、掃除機を用いたのでしょうか。わが国ではハイムリック法が行える一般市民はかなり少なく、まずはハイムリック法の普及が先決ではないでしょうか。

【回答B】お餅はわが国では非常に多い窒息の原因なのですが、お餅の場合、どの家庭にでもある掃除機で吸引する方法は、わが国で提唱された有用な方法です。現に消防本部や医師による救急処置の指導においても、この方法が取り上げられています。また異物除去に用いる専用ノズルも市販されています。 (中略) この吸引ノズルは、市販されているすべての掃除機に接続できるのが 特徴。直径13㎜の細い管のため吸引力が強くなり、従来、一般的に病院などで使われている電動式吸引機では取りにくかった肉やお餅、パンなども簡単に吸い取ることができます。救急車が到着する前に、誰でも簡単に素早い対応ができるものということで、開発され製品化されたものです。

 この電気掃除機を使って吸い取る方法を開発した相生消防本部と兵庫県立姫路循環器病センターは「老人ホームや病院、老人、子供のいる家庭などで常備薬と同じように備えてもらえれば、万一の時の救命に なる」と力説しています。  (資料提供 坂出市消防署 笠井さん)


 私の立場から考察を加えれば、・・・回答Aの方は、同業者(医者)かな。救急蘇生法、として、窒息の場合に、国際的にも推奨されているのがハイムリッヒ法であることは間違いないことですし、その普及が優先事項であることも間違いありません。回答として、とても優等生の答えだと思います。

 それを踏まえた上でなお、回答Bには大いに説得力があると私は思います。掃除機のチューブ、というのは、「餅での窒息」という日本独特の事象に対する対策として、しかも、消防署が主体となって、日本で開発された方法だ、ということを、我々は考えるべきでしょう。

そもそもこのチューブは、日本にしかないのです。国際的に認められることなどを待っている余裕はないし、しかも、外国には「餅」のような粘り気の強いものを、縁起物として尊んで、高齢者が喜んで食べる、という文化は甚だ珍しいものなのです。

あらためて強調したいのですが、例えば施設の職員・ヘルパーさん、が、窒息に立ち会ったとして、何もしなければ目の前で人が死んでいくのです。掃除機チューブについては、のどの奥に突っ込みすぎて、裂傷を起こしたり、といった危険も報告されるなどしていますが、ハイムリッヒ法にしても、上記のように危険を伴うものであることは同様です。十分に練習・準備を整えることはいずれにしても必要でしょう。

ことは「緊急事態」ですから、救える可能性のある手段で、一般の方でも容易に使える可能性の高い手段は、そろえるべきである、というのが、私の意見です。


 私自身は、講習会では、

「病院や施設など、危険度の高い方の食事に携わる機会の多い場所では、『ハイムリッヒ法』の講習を受けると同時に、掃除機のチューブと掃除機を、誰でもわかりやすい場所に備えておくように」

とお話しすると同時に、できれば下の図を食堂などに貼り出すようにしてもらっています。

(今回は、誤嚥に対する対策については、項を改めることとして割愛します。)

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