新型コロナウイルスのおかげ、と言いますか、・・・全ての「集会」が開催しにくい状態が続いています。私が例年開いています、「市民講習会」も、2020年3月開催がつぶれ、2021年には開けるだろう、と思って準備をしていましたが、西胆振の陽性者も増えつつあって、ちょっと見通しが立ちません。・・・
「孤独死」、というテーマでの市民講習会を考えておりますが、なかなか大々的には開催の見通しが立たない中、ひとまず、というのも変ですが、「原発やめよう、登別の会」の方からご依頼を頂きまして、新年1月30日(土)13時半から、登別市民会館で、私の「基調講演」にあたる部分を中心に、お話しする機会を頂きました。
市民講習会を期待していた方(そんなにはおられないと思いますが・・・)、ぜひご参加下されば、と思います。
以下、昨年用意していた、ビラの文章を・・・。
孤独死はいやですか?
私は、医者になってこのかた、ずっと在宅医療に関わっている。ひとり暮らしの方がご自宅で亡くなる、ということも珍しいことではないが、そんなに多いわけでもない。
だいぶ昔のことだが、90歳を超えた女性。ひとり暮らしを長く続けていた方だったが、腰痛で動けなくなって、短期のつもりで入院を希望された。いったん入院すると、遠方の娘さんやらが集まって、「もう一人暮らしはこわいのでさせておけない」と、施設入所を勧め、退院に同意せず、入院は長期化した。
ご本人は、「夫の仏壇もある、家に早く帰りたい。あんたらの世話にはならんのだから構わんだろう。」 娘さんたちは、「私らも世話をすることはできんが、何かあったらどうするんだ、施設には入ってほしい。仏壇も置けるような部屋のある施設を探すから。」と。
どちらにも言い分はある。どちらが正しいとか間違っているとかの話ではない。「高齢者は認知症がかっているから、言うことを聞かなくていい」、などというのも暴論である。
喧々諤々の末、やはり母は強かったか、彼女は希望どおり自宅へ帰り、私は訪問診療を再開した。
そのあと約1年を自宅で過ごし、老衰で自宅でお亡くなりになった。ほぼ寝たきりになってしまい、仏壇の世話をすることも叶わなかっただろうが、それはそれ。
きっと懲りたのだろう、二度と入院も、もちろん施設に入ることも、決して口にはしなかった。
孤独死、という言葉は、学術用語でもなんでもない、おそらくはもともとマスコミが作り上げた造語だろう。孤立死、というのも、まあほぼ同じ。
「孤独」という言葉自体もともとネガティブな印象を人々に与えかねず、そしてさらに「死」だ。いかにも淋しい、あってはならないことのようだ。しかも、きちんとした定義もないので、ひとりで死ぬ、ということがまるですべて「孤独死」、すなわち「よからぬこと」のように受け止められかねない。
しかし、ひとりで死ぬことを望み、ひとりで死んでも「孤独」とは思わない、という方も、間違いなくおられる。それでよいのではないか、と私は思う。
独居の方は、どんどん増えています。高齢独居の方は、さらにどんどん増えています。統計では、65歳以上の方の20%近くがひとり暮らしだとか。
もし、本当に、ひとりで死ぬことを望む方があなたのそばにおられたら、あなたはどうしますか?
あらためて、あなたはどんな風に最期を迎えるのがお望みでしょう?
孤独死はいやですか?・・・そんなに悪いものでもないかもしれませんよ。
皆川夏樹
2013年登別にてみながわ往診クリニック開院。20年以上、在宅訪問診療に携わってます。
お問い合わせは、みながわ往診クリニック
(℡0143-83-5962 Fax0143-83-7083 メール minagawa@aroma.ocn.ne.jp)までお願いします。
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