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皆川夏樹

今年もやります、市民講習会「こんな家で死にたい」2024年11月3日(日)開催予定




 新型コロナの流行以来、どうにもホームページの更新が頭から抜け落ちてしまいます。自分が歳をとって、あまり掲載するような新鮮なことをしなくなっている?ということもあるにはあるのでしょうが、それでも毎日は珍しいことの連続ではあるのです。

 ひとまず、今年も市民講習会の季節になりました。ので、ホームページのことも思い出しました。


 今年のテーマは、「こんな家で死にたい」と、また、ド直球のようなタイトルで。というのは、私の本業は、今現在在宅訪問診療医、で、特に昨今、特にこの土地で開業して以来、自宅で亡くなる方の訪問診療、というのが、本当に増えたような気がしています。なので、自分の日々の仕事について、一番ド直球のようなテーマ、という意味ではあります。

 もっとも、新型コロナをはさんでのここ数年、というのは、松江の中学校の時の同級生と後輩を講師として招くことが多く、その二人が、島根県の病院院長、と、東京の訪問看護師、という、まあ同業者、であったこともあり、『延命は希望しません』、『孤独死はいやですか?』、というテーマで、いずれもやっぱり、ド直球と言えばそうだったわけですが。この辺も、歳をとって、新鮮なこと、がない、のかもしれませんが、で、今年もド直球、なわけです。


 一応、言い訳を試みますが。今年のテーマについてご説明を加えます。

 まあ、毎度のことなのですが、自分の古い友人を講師として呼んでいます。まあ、市民講習会、にかこつけて、酒を飲もう、という魂胆が大きいわけですが。いつも通り、格別の「有名人」というわけではないですが、それぞれの専門領域をもって、まっすぐに仕事をしてきた方々で、今回特筆すべきは、「医療」とはかなり離れている、友人だ、ということでしょうか。

 お二人は、建築・設計・内装、といった分野の専門家です。今回、タイトルこそ、「こんな家で死にたい」と、まあ、私の仕事としてド直球、でもあるのですが、素直な読み方として、「家」の方がテーマ、のつもりです。


 私は、30年来この訪問診療、という仕事をしており、昔から、自宅で亡くなる方を看取ってきました。昔は、「畳の上で死にたい」という言い回しがよくありましたね。テレビドラマなどでもよく使われていたのでしょうかね。実際、患者さんが、そう言って家に帰る、ということをよく経験しました。

 でも、昨今は、自宅で亡くなる方でも、「畳の上で死ぬ」、ということが、ほとんどなくなりました。そう言う方も少なくなったのかもしれませんが、介護保険サービスも充実して、自宅へ戻っても、病院と同じようなベッド、病院と同じようなマットレス、手すり、車いす、と、全部整っています。

 家に帰っても、環境的には、「病院と同じように」整えることも可能、なわけです。


 でも、翻って考えると、普通の病院、って、「死ぬ」ためのところ、というわけではないはずなんですよね。私は、本当は、自宅をあんまり病院と同じにはしたくないなあ、と思うところもあって、そうしたことを、昔馴染みの建築関係の友人に、ぽつぽつ、と話していたことが、今回のテーマに結実しました。


 家で死ぬ、ということが、もう一度、珍しくなくはなってきたようです。でも、死ぬ場所、として、家は、どんなところだったらいいのか。それまで住み慣れた我が家、であることはもちろんですが、段々歳をとって、自分がここで死ぬかもしれない場所、として、どんな風に、自分の家を見たら、考えたらいいのか。・・・そんなことを、皆さんと一緒に考える機会になれば、と思います。


 お招きした講師、いずれも、私と同い年、京都の学生時代を共に過ごした古い友人、お互いの下宿を行き来した酒飲み仲間です。自分の部屋にはない製図台が自室に置いてあって、いつも書きかけの設計の図面を眺めながら酒を飲んでいたことを思い出します。


 お一人目は、調恒治君。安藤建設、大手の会社に入り、病院や学校の設計に関わっていました。私が福島県いわき市にいた際には、郡山市の大きな病院の新築設計に関わって、しょっちゅう東京と行き来しており、私も郡山の病院の見学にも行かせてもらったりして、その当時から、病院のあり方、についてもよく話をしていました。今回は、まず、「死ぬ場所」として、病院はどのように作られているのか、あるいはいないのか、設計者の立場からお話を聞いて、「自宅」との違い、を掘り起こしていきたいと思います。


 お二人目は、立川真君。彼は、イトーキ(我々世代は、学習机、で有名、と思っていました)で、インテリアデザイナーとして仕事をしてきた方です。それこそ、私は彼と同じ下宿の1階2階で暮らしていましたので、数え切れぬほど彼の部屋で酒を飲みましたが、学生時代から、部屋がおしゃれ。かっこよかった。別にお金をかけている、というのではなく、照明のカバーなど、竹ひご?や和紙でひょいひょい、と作ってあったり、酒を飲む机は一枚板をどんと置いてあったり、本棚も、出来合いのものではなく、レンガと板を重ねてあったり、と、いつも惚れ惚れみておりました。今年の夏も、北海道に訪ねてきてくれ、1週間ほど泊まっていきました。お互い還暦となり、連日飲みながら、親の死に際、自分の死に際の話しをあれこれ。


 さてもうお一人。地元からは、伊達市のグループホーム「ねねむ」の施設長として働いておられる、加茂智美さんにご報告をお願いしました。ねねむは、西胆振地区ではまださほど多くない、積極的に施設での看取りを受け入れているグループホームです。施設内で亡くなる方が少しずつ増えてきている、その現状と、「死ぬ場所」として、施設側はどうあるべきか、何をしていったらいいか、お考えを話して頂きます。


 後半には、会場の方々からのご質問にお答えすることを中心に、シンポジウム形式で、それぞれの立場から、自宅で死ぬこと、について、のお考えや、それぞれの方のご自宅の状況など、を聞かせて頂けたらと思います。


 今回は、登別市内の会場がとれず、どうしようか、と思っていたところ、テーマとしても、講師としても、建築関係、ということから、室蘭工業大学の講義室をお借りすることにしました。

 学生さんも多数、来られるといいなあ、と思います。そんな集まりになるといいですね。

 学生さん以外の方々、地元の大学の、講義室に入れる機会もあまりないのではないかと思います。ぜひ、少し早めにお越しになって、キャンパス内をぶらぶら歩いてみてはいかがでしょうか。

 多数の方々のお越しを、お待ちしています。


 

「こんな家で死にたい」

みながわ往診クリニック 皆川夏樹


 私の父は、戦時中、満州で育ち、新潟に引き揚げ、その後は銀行員となり日本各地を転々とした。母はもともと神戸の生まれだったが、もちろん父の転勤について歩いた。私は山口県で生まれ、そのあと、福島、東京、島根、などなど、両親と一緒に引っ越しながら育った。


 私が大学に入るのを見届けてから、ということだったのか、父は35年程前に、定年を待たずに銀行を辞め、伊達市舟岡町に家を作り、そこを終の棲家と定めた。北にすぐ山が迫り、南はすぐに海で、神戸の風景に似ている、という母の意見も大きかったようだ。その頃、兄は神奈川県に居を構えていたし、私は京都で大学生。子供のそばに住む、など露ほども考えていない両親は、我々兄弟に、「あとは好きに生活しろ。自分らのことは気にするな。」と、まるで絶縁を言い渡すかのように告げたものだ。


 それから、広くとった庭に畑を作り、近くに別に農地を買ってブルーベリー栽培を始めた。父はバイクの免許を取り、全国のブルーベリー農園を「視察」に歩き、母はご近所の人たちとブルーベリーでケーキを焼いた。息子たちのことなど忘れた風に、楽しそうに暮らした。

 父には、そして母にも、故郷、と呼べるものはなかったのだろう。父は晩年に、満州の中学校の同窓会の連絡に尽力していたが、満州を訪ねることはなかった。母は早くに両親も亡くなり、神戸には何の所縁もなくなってしまっていた。引っ越し、社宅生活を繰り返し、どこの土地も数年、せいぜい長くても3‐4年。のちに連絡を取り合うような友人もほとんど残らず。だからこそ、初めて自分たちの持ち家となった伊達の家は、設計からだいぶ意見を入れてもらって、その後も少しずつ手を加えて、住み心地のよいようにしていた。それはやがて、認知症になった母の介護をしやすいような部屋の改修、となったり、歩けなくなった父自身のために、玄関前まで車が入れるように、と、なっていった。


 その父は、6年前、入院をしたまま、病院で息を引き取った。急に全身に黄疸が出て、動けなくなった。癌ではなかった。年末に入院し、正月をはさんで1月17日、その前夜に、何度目かの「処置」をされ、そのまま意識が戻ることなく亡くなった。


 私は、こんな仕事をしているのに、こんな仕事をしているにも拘らず、父を、大好きだった自宅へ連れて帰って看取ってやることができなかった。

 悔しくてならない。何のための、訪問診療医、か。

 最後の2週間ほどは、父も、私も、もう「だめ」なのだろう、と、わかっていた。もう、よくなることはないのだ。きっと。

 ・・・じゃあ、家へ帰るかい?・・・見舞いの度に、何度そう言いかけたことか。しかし、どうしても言えなかった。

 ・・・家へ帰りたいなあ・・・きっと父は、思っていたに違いない。何度もそう言いかけたに違いない。しかし、私と同じように、どうしても言えなかったのだ。


あなたの家が、いつでもあなたを迎え入れてくれる家でありますよう。



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