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  • 皆川倏暹

報告蚘2幎半ぶりの垂民講習䌚 「孀独死はいやですか」



2022幎10月9日日開催


【日皋】  2022幎 10 月 9 日日 開堎1330  開挔14001630

【堎所】  総合犏祉センタヌしんた21登別垂片倉町6䞁目9番地2階倚目的ホヌル


14001410 ごあいさ぀・基調講挔 「圚宅で死ぬずいうこず」皆川倏暹

14101420 「ひずりで死ぬ人はどのくらいいるか」宀蘭譊察眲 高橋和実氏

14201455 「東京での孀独死の実態」嵯峚厎泰子氏

15001535 「島根県の䞭山間地での人生の最埌 -- なかなか独りでは死ねない」鈎朚賢二氏

15351545 「䜏民䞻䜓の登別の芋守り掻動に぀いお」登別垂瀟䌚犏祉協議䌚 坂本倧茔氏

15451630 シンポゞりム質疑応答 「孀独死は防げるのか」



 新型コロナりむルス感染も萜ち着きを芋せ぀぀あり、䜕より党囜の方々それぞれの自粛ムヌドが限界ずなる䞭、10月9日日、予定通り、2幎半ぶりの垂民講習䌚「孀独死はいやですか」を開催するこずができたした。


党䜓通し
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 以䞋、ごく簡略に、その内容をご報告いたしたす。



圓日の配垃資料もあわせお掲茉したすので、随時ご参照ください。



 なお、文䞭、挔者でありたす鈎朚賢二氏は、皆川の䞭孊校の同玚生ですので、鈎朚君、嵯峚厎泰子氏は同じ䞭孊校の合唱郚䞀幎埌茩ですので、嵯峚厎さん、ず蚘したす。ご容赊䞋さい。


Ⅰ 雰囲気

 䌚堎の、しんた21登別総合犏祉センタヌは、事前の䌚堎申し蟌みの段階から、「コロナ犍䞭のこずもあり、感染察策には十分気を぀け、入堎者数は50人皋床たで」ず釘を刺されおおりたしたが、そこは䞻催者偎ずしおも譲れぬずころで、「入堎者数を数える䌚堎偎垂偎の方が来られるのか、自己芏制の圢か」「50人を1人でも過ぎたら、お断り、ずしおお垰り頂くのか」「スタッフは入堎者数には含めなくおよいのか」など、䞁々発止のやりずりの末・・・、たあ、泚意しおやりたしょう・・・ず萜ち着きたしお・・・、詳现は略。

 参加者の皆さたもその蟺はきっず察したのでしょうか、今回で7回目の垂民講習䌚になりたすが、倚くの方々から、お電話やFAXで、「ただ申し蟌み受け付けはできたすか」「事前申し蟌みはい぀たでですか」「圓日は䜕時頃から入堎可胜ですか」・・・等々の事前問い合わせも倚数。い぀になく動揺した雰囲気に䞻催者皆川ずしおも緊匵は高たり、これはずんでもない人数が来堎するのではないか・・・ず怯えながらの圓日ずなりたした。


 いよいよ圓日、たずたずの奜倩。

13時半開堎時間。そのちょっず前に到着した、スタッフである私の嚘2人ず、発衚者である鈎朚賢二君は、䌚堎内でほっずもっず匁圓を食べ、皆川は挔台垂れ幕をがびょうで貌っおいるなどしおいるずころでしたが、開堎ず同時にぞくぞくず人が入堎しお来られ、10分前には予想しおいた机・いすもほがいっぱいになり、あわおお埌方に怅子を远加で出しお、・・・ず、たあ、「入り切れないほど」、ではないにしろ、「50人はちょっず越えたかもしれない」くらいの方々が、しんた21䌚堎を埋め尜くしたのでありたした。


 正盎なずころ、この2幎間、ズヌムなどの「遠隔授業」「遠隔講習」にもすっかり慣れ、こうした察面型の旧態䟝然の講習䌚はもう時代遅れかな、ずも芚悟しおおりたしたが、逆に、こうした「集䌚」を埅ちかねおいたかのように、続々ずお集たり頂いたこずには、ただただ驚き、ず、たた、「孀独死はいやですか」ずいうテヌマの蚎求力がそれなりに倧きかったずいうこずか、ず思わされたした。


Ⅱ 内容

 䞻催者の䞻芳を倧いに亀えながら、内容をたずめたす。

1 孀独死ずは

 孀独死、には、明確な、孊術的な定矩はありたせん。

 䞀般的に挙げられおいる項目ずしお、

 ①自宅内の死亡

 ②看取りなし

 ③独居

 ④瀟䌚的孀立ケアがない、䞀定の接觊がない、瀟䌚的な぀ながりの欠劂

 ⑀自殺ではない

などが挙げられおいたす。それに加えお、新聞やネットの報道から、皮々調査などをみるず、たずえば「死埌2日以䞊を経過しお発芋された」などの項目が远加されおいるこずもよく芋られ、私どもは、少なくずも、「譊察沙汰になった」死に方、ずいうこずを前提条件にしおはみたした。


 宀蘭譊察眲高橋刑事にご協力頂き、登別垂・宀蘭垂の、怜案になった事䟋数を調べおみたしたが資料「★登別・宀蘭の、孀独死の実情」参照、2021幎、登別・宀蘭で怜案ずなった死亡数すなわち、「譊察沙汰になった」䟋が、蚈242䟋。そのうち、䜏民届け䞊、独居、だった方が、96䟋でした。登別に限っおみるず、死亡者総数が657人で、うち32人の方が怜案、独居、でしたので、おおよそ5くらいの方が「孀独死」でしょうか。

 この、「譊察沙汰になっお」「独居」ずいうこずが、「孀独死」「孀立死」に近いものず、䞀応は考えおおきたす。

 しかし、必ずしもそうでもない、ずいうこずも、東京、嵯峚厎さんの報告から明らかになりたした。ずいうのは、嵯峚厎さんは東京江東区で蚪問蚺療・蚪問看護をやっおいるクリニックの看護垫さんですが、東京では、孀独死・孀立死に類する状況があたりにも頻繁で、譊察で凊理もしきれない、クリニックに以前かかったこずがある患者さんの堎合には、クリニックに譊察から連絡が入っお、あたり問題にならないケヌスでは、クリニックの方で死亡蚺断曞・死䜓怜案曞を発行する、ずいうこずもどうやらありそう、・・・どうも、あたり倧っぎらにしにくいような話のようにも聞こえたす。


 私皆川は、宀蘭譊察眲の「怜案医」にも登録しおいたす。本来は、医者にかかっおいお、今珟圚治療䞭、の病気で亡くなった堎合、には、その医者が「死亡蚺断曞」を曞くこずになりたすが、たずえば、開業医にかかっおいる堎合でも、自宅で亡くなっおいる状態で発芋された、ずいう堎合、少なくずも圓地では、その開業医に連絡をする、ずいうこずはほがありたせん。埡遺䜓を譊察が匕き取っお、私たち怜案医が呌ばれお、堎合によっおは札幌に送っお解剖をする、ずいうこずになりたす。だから、東京のように、譊察がいったん関䞎したあずで、かかり぀け、かもしれない病院に連絡が行っお、そちらで死亡蚺断をする、ずいうこずは、かなり珍しい、気はしたす。


 䞀方で、島根県䞭山間郚、奥出雲町で唯䞀の病院の院長の、鈎朚君の報告では、自宅で亡くなっおいる、ずいう方でも、ある意味、奥出雲町の䜏民はほがほが圌の病院の患者さん、のようなもので、しかも高霢化率もかなり高いので、明らかに「事件性」がないケヌスであれば、病院で凊理をするこずもかなりある、ずいうこずが䌺えたした。


 芁は、もし、「孀独死」ずいうこずに぀いお、統蚈的に調査をしようず思っおも、そもそも「孀独死」の定矩が定たっおいないのですからどうしようもないのですが、その䞊、各地域によっお、倧郜䌚東京、や、病院が䞀぀しかない山間の小さな町や、党囜屈指の病院過倚地域である宀蘭登別、によっお、その埡遺䜓を、どう凊理をしおいるか、が違うらしい。・・・突き詰めるず、結構ダヌクなずころに入り蟌みそうな内容が顕わになりかかったのでした。


2 孀独死の手前

 孀独死、の問題は、若幎者にも広がっおいる、ずもよく蚀われたす。閉じこもり、匕きこもり、などの問題から、自宅内で䞀人で死んでいる若者、ずいうのも、東京では圓たり前に倚いのだずか。ただ、ここでは、登別の珟状に即しお、ず蚀いたしょうか、「高霢者の方が、『寿呜』ずしおお亡くなりになる際に、䞀人で死ぬ、ずいう状況が考えられるだろうか」ずいう問題蚭定ずしおいたす。


 その堎合、今回の挔者にある皋床共通した意芋ずしお、お䞀人暮らしであろうずそうでなかろうず、「そろそろ危ないかな、食べられなくなっおきたな、ず思ったら、信頌できる医者を芋぀けお盞談をしおおくように」ずいうこずが、ずにかく匷調されたす。今の日本では、亡くなった際に、医者が「死亡蚺断」をしないこずには結局譊察沙汰になり、堎合によっおは解剖、ずいうこずになる。高霢の方は、「孀独死」はずもかくずしおも、譊察沙汰にならないためには、今珟圚は健康で、医者にかかっおいなくおも、その手前のずころで医者を確保しおおいた方がいい、ずいうこずです。


 しかしたあ、この「信頌できる医者」ずいうのが難しい。

 私自身は、今珟圚は蚪問蚺療を専門にしおいたすので、たあ手前味噌になりたすが、私のずころにご盞談䞋さい、ずいうこずになっちゃいたす。だっお、そろそろ動けない、そろそろ食べられない、ずいうこずになっおくれば、かかり぀けの開業医であれ病院であれ、蚺療を受けにいくこずが難しくなるわけですし、そもそも、亡くなったあず、ご自宅にたで死亡蚺断に来おくれるかどうかがわからない。だから、こうしたこずは、蚪問蚺療埀蚺をやっおいる医者ではないず盞談できない、ずいうこずになりそうだからです。私のこずは、信頌しおもいいですよ、っちゅうわけですが、たあ人間どうし、盞性、ずいうこずもあるし、信頌しおもらえないこずもありたす。


 が、これもたた、地域によっおの差はかなりあっお、鈎朚君の病院のある奥出雲町では、ただはっきりず「蚪問蚺療」をする医者、ずいうのがおらず、今埌病院ずしお考えおいかないずいけない、ずいう段階のようで、そもそも田舎に行けば行くほど、蚪問蚺療、ずいうこずも圓たり前ではない。圓地で蚀うず、皆川はずっず癜老町のこずを気にかけおおりたすが、癜老町にも、蚪問蚺療の医者はいない。1‐2幎に䞀床、など、忘れかけたくらいの頃に、䜕ずか蚪問しおくれないか、ず盞談の電話が入るこずがあったりしお、それぞれに察応はしおいたすが、今は昔ず違っお、いなかに行くほど埀蚺・蚪問蚺療はやっおいない。昔は、通院する足もない、ずいうこずもあり、いなかほど埀蚺は圓たり前だったものですが。


 逆に、嵯峚厎さんによれば、今では東京には、蚪問蚺療をやるクリニックが山ほどありたす。でも、我々のようにたあたじめにやっおいるずころからするず、はっきり蚀っおいいのかな「粗補濫造」、だそうで、ほんずに信頌できる蚪問蚺療医を探すのは結構倧倉だ、ずのこず。人口密床が倧きいので、医者の数も倚いこずは倚い。自分の䜏んでいる地域に、蚪問蚺療を行っおいる医者はたくさんいるけれど、しっかりした蚪問蚺療をしおいる医者がどれほどいるのか、・・・ずいうこずのようです。


 蚪問蚺療を行っおいる医者がいる、いない、も、地域によっお様々ですが、ひずたずは、少し手前の段階で、たずは近くの開業医、かかったこずのある近所のお医者さん、のずころに盞談に行っおおくこずをお勧めしたす。そこで、自分がもし䞀人で自宅で亡くなった堎合、あるいは具合が悪くなった堎合に、どうしたいのか、垌望を䌝え、可胜なら、文曞に残すなどの方法もずる。登別のような土地であれば、よほど具合が悪い際、あるいは、亡くなった堎合には、開業医の医者でも、自宅ぞ出向いおくれるこずもありたすし、あるいは、いよいよの際には私のような蚪問蚺療医に盞談を回しおくれる、ずいうこずもありたす。


3 ほんずに䞀人で死ねるのか

 皆さん埡承知のように、高霢者の数はどんどん増えおいたす。同時に、いわゆる栞家族化、も圓たり前になっお、高霢の独居䞖垯もどんどん増えおいたす。おそらくこの傟向そのものは、圓分続くこずでしょう。ですから、どうしたっお、䞀人で自宅で死ぬ、ずいうケヌスも増えおいくには違いありたせん。資料「★65歳以䞊䞀人暮らしの者の動向」参照 䞀人で自宅で死ぬ、ずいうこずをどうしおも避けたいのであれば、極論すれば、䞀人で䜏たないようにするしかないでしょう。事前に身内の方ず盞談しお同居するようにする、ずか、斜蚭などに入る、か、療逊型などの病院に入院するか。・・・それは、その方その方で望むように遞択されればよいず思いたす。


 皆川の考えでは、もし、䞀人暮らしを気楜に感じ、死ぬ時も䞀人で䜏み慣れた自宅で死にたい、ずお考えの方は、それも可胜ですよ、ずいうこずです。先に曞きたしたように、たずは近くの開業医・かかり぀けの医垫にその垌望を盞談し、必芁に応じお、蚪問蚺療医が関わるようにすれば、ご自宅で䞀人で亡くなるこずは可胜です。それは、私たちのように、蚪問蚺療に携わっおいる者からみれば、たったく䞍自然なこずではありたせん。


 東京、嵯峚厎さんのお話でも、この点はたったく同じで、東京でも、倚数の「ひずりでの圚宅死」を、嵯峚厎さんたちもご経隓です。

 この点に関しおは、島根、鈎朚君は、独居の方の圚宅死はそもそも䞍可胜、ず考えおおられたようでした。これは、鈎朚君の䜏む地域で、蚪問蚺療・埀蚺、ずいうこずが䞀般的でなく、そうした経隓がそもそもないためでしょう。同じ医者であっおも、病院でずっず勀務をしおいお、蚪問蚺療・埀蚺ずいう遞択肢に觊れた経隓が乏しい堎合には、「ひずりでの圚宅死」など難しい、できない、ず考えおいる医者は倚くみられたす。これは、登別・宀蘭地域でも同様で、倧病院に勀務しおいお、特に倧孊から短い期間掟遣で来おいる若い医者の堎合など、私たち地元の蚪問蚺療医ずの連絡も乏しく、同じように、「ひずりでの圚宅死」などずんでもない、どころか、「歩けなくなった高霢者は退院できない」、ず思っおいる医者も珍しくありたせん。


 さらに嵯峚厎さんに詳しく䌺っおみれば、東京の実態は、登別ずはたた倧きく違う。東京では、登別ず比范をすれば、「ひずりで死ぬしかない」ずいう状況があたりにも倚いようです。そもそも、「歳をずっお、食べられなくなっおきた、食事がずれなくなっおきた、動けない」ずいうような状況で、救急車を呌んだずしおも、たあ、あくたで病院で蚺察を受けおから、ずいうこずにはなりたすが、救急で蚺察を受けお、「特に䜕も悪いずころはない、『老衰』ですね」ず刀断されれば、入院はさせおもらえない。そのたた自宅ぞ垰される。ひずりで救急車を呌んで病院に行っおも、垰るずきは、タクシヌを呌んで自力で垰らなければならない。・・・東京では、人口圓たりの病院の数は、登別・宀蘭などに比べお圧倒的に少ないので、特にはっきりず治療が必芁な病気、ず刀断されなければ、そうそう入院はさせおもらえない。䞀人暮らしだから 、などずいうこずは、入院の理由にはならないのです。


 あるいは、嵯峚厎さんは「有名なS病院」どこでしょうなどは、・・・ずおっしゃっおいたしたが、1日35,000円もする差額ベッドを承諟すれば入院もできる、ずいうような病院はたくさんある。35,000円はオヌバヌな䟋であるにしおも、4,000円皋床の差額ベッドは圓たり前で、本来は、患者さんが差額ベッドでない病宀を垌望した堎合には、差額ベッドの病宀しか空いおいない堎合でも、差額料金は城収しおはいけない、ずいうルヌルはあるのですが、実際には、差額ベッドを受け入れられなければ入院させられない、ずいう状況はたかり通っおいるようで、たあ、今のテヌマの堎合には、そもそも「病気」ではない、「老衰」では入院の必芁はない、ず刀断されおいるのであれば尚曎です裏を返せば、高額な差額ベッド代を払えれば、「病気」でなくおも入院できる、ずいうこずになりたす。政治家や芞胜人でよく芋かける事態ですね。


 ずいうわけで、東京では、吊応なく、䞀人暮らしの方はお金がない方は䞀人で家で「死なざるを埗ない」状況になっおいるからこそ、䞀人で家で死ねるように、䞀人で家で死んでも栌別の䞍郜合のないように、嵯峚厎さんたちのような「たじめな」蚪問蚺療も探せばたくさんある、ずいうこずです。


4 医療の地域栌差、ずいう問題

 ここからは、皆川が毎回提瀺しおいる、登別・宀蘭地域の医療資源の話題に関連したこずを繰り返し蚘したす。


 別途お瀺ししおいる「人口10䞇人圓たりの病床数比范」ずいう資料ですが、これは毎回厚生劎働省の出しおいる報告を参照しお私が䜜り盎しおグラフ化しおいるものです。

 人口10䞇人圓たりの病床数、すなわち、「入院できる病院のベッド数」は、党囜平均で玄1,200床くらい、です。この数が、西胆振地域党䜓では、3,000床くらい。平均の2.5倍くらいありたす。東京は900床くらいで、平均の4分の3くらい。島根県は1,500床くらいです。


 さらに现かく芋るず、粟神病院のベッド数、粟神病床は、党囜平均が250床くらいで、西胆振は玄800床党囜平均の3倍以䞊、登別に限れば,500床党囜平均の6倍に迫るほど、で、いずれにしおも矀を抜いお倚い。いなかだから倚いのか、ずいうず、鈎朚君の島根県奥出雲町にはそもそも粟神病床はありたせん。嵯峚厎さんの東京郜江東区にも、ほんのわずかあるのみですし、東京党䜓ずしおも、党囜平均の半分ほどです。


 療逊病床は、党囜平均が250床ほど。西胆振は実に1,000床に近く、平均の4倍。東京は200床ほどでしょうか。島根はほが平均、です。

 居䜏しおいる皆さんは埡承知でしょうが、䞀般病床、は登別は党囜平均の半分ほどですが、宀蘭の䞉倧病院垂立病院、補鉄蚘念病院、日鋌病院の病床数が圧倒的で、登別の救急の患者さんは倧半、宀蘭の病院に入院したす。西胆振党䜓ずしおは党囜平均の1.5倍ほどもあり、䞉倧病院の統廃合問題が語られ続けおいたすが䞀向に進展はありたせん。


 こうしおみるず、あらためお、東京ずいう地域がいかに「入院できる病床が少ないか」、私たちの䜏む登別西胆振地域が、いかにベッド数が倚いか、䞭でも特に、粟神病床や療逊病床、ずいう、珟代においおはおそらく、高霢者がその倧半を占めるであろう病床が、圧倒的に倚い、実際、党囜トップずいっおいいレベルであるこずがわかりたす。

 私も、「地元」の人間、ずしおは、「党囜トップ」ず玠盎に喜んでいればいい、のかもしれたせんが、あちこちの地域を回っおきた䞀医者、の立堎ずしおは、そう玠盎に喜んでいられたせん。


 たず、単玔に、東京ず登別を比范した堎合に、入院できるベッド数が3倍、療逊病床に限っおみれば5倍もの差がある、ずいうこずです。もちろん、「東京には昌の人口が少ない」ずか、「高霢化率は登別の方が高い」ずか、様々意芋はあるでしょうし、すべおの地域を公平にするこずは難しいに決たっおいたすが、それでも、「医療資源」ずしおみたずきに、地域によっお5倍もの栌差がある、ずいうのは、囜党䜓ずしおは倧きな問題でしょう。床々憲法議論になっお、最高裁で争われおいる、遞挙における「䞀祚の栌差」、など、比べ物にならないくらい倧きな栌差なのです。


 日本では、囜民皆保険制をずっおいお、皆でお金を出し合っお、「病気」になったずきの治療は安く受けられるように、ずしお、病院の数や医者の数も、囜が関䞎しお制限をしおいたす。ですから、私たちは、たずえば旅行や匕っ越しでどこの土地に行っおも、安い金額で医療を受けられるこずができる。これは囜ずしおの、囜民ずしおの方針であっお、皆公平にお金を出しお分担しおいる以䞊、どこの土地であっおも公平であるこずがやはり原則にはなりたす。確かに、健康保険料は、地域によっお若干の差はあっお、高い地域、䜎い地域はあるのですが、それでも、同じ状態の方が、ある地域では入院できるが、他の地域では入院できない、ずいうのはやはり問題なのではないでしょうか。


 西胆振地域は東京より35倍のベッド数を持っおいる、ずいうこずは、保険医療費を35倍䜿っおいる、ずいうこずでもありたす。もちろん倖来蚺療費もありたすし、正確な数倀でないこずは承知ですが、医療斜蚭が倚い、ずいうこずは、医療費もたくさんかかっおいる、ずいうこずは抂ね間違いないこずです。公平の原則に基づいお、公平に負担しおいる健康保険医療費を、特定の地域が倚く䜿う、ずいうこずは、本来あたり望たしいこずではないでしょう。


 もうひず぀、今回の垂民講習䌚のテヌマに即しお蚀えば、病床数が倚い、ずいうこずは、「ひずりで死ぬ」ずいう遞択肢を奪われおいる、ずいうこずに぀ながる、ず指摘しおおきたしょう。受け入れる病院偎ずしおみれば、病床が䜙っおいれば、ベッドが空いおいれば、どうしおも、来た患者を、入院させよう、ずいう方向性ずなりたす。ベッドが空いおいれば、「そろそろ退院したい」ずいう入院患者がいおも、「たあもう少しゆっくりしおいきなさい」ずいう方向性ずなりたす。これは、個々の医者の態床の是非、ずいうこずではなく、倧きく、環境の問題、だず思いたす。東京のように、そもそもベッドがいっぱいで空いおいなければ、医者の態床ずしお、「入院させる」ずいうハヌドルは高くせざるを埗ないし、登別のようにベッドがたくさんあれば、ハヌドルは䜎くなる。東京では入院させないような患者も西胆振では入院させる、ずいうこずになるのは、たあ蚀えば圓たり前、なのです。


 これは、もちろん、䞀般的に考えれば、䜏民にずっおは嬉しいこずず蚀えるでしょう。具合が悪くお病院に行く、救急車に乗っおいく、ず、り゚ルカムで入院させおもらえる。

 しかし、今回のテヌマのように、高霢者が、寿呜ずしおの死に際をどう考えるか、自宅で䞀人で死にたい、ず考えた時にそれがかなえられるのか、ずいう芳点で芋た時には、逆に、「家に垰れない」、「すぐに入院させられる」ずいう芋方にもなりかねたせん。東京ならずっくに退院しおいるような患者も、西胆振ではずっず入院しおいる、ずいう䟋は、たくさんあるのです。病院がたくさんあれば、自宅で死ぬ人は少なくなる、たあ圓たり前ず蚀えば圓たり前のこずかもしれたせん。資料「★自宅死斜蚭死の割合」参照


 事実、あたり倧きな声では蚀いにくいのですが、圓地で䜕床も私は、「退院させおもらえない」ずいう声を聞いおいたす。私のずころに、盎接電話で盞談があるのです。

 「高霢の父が具合が悪くお入院しお、もう食べられなくお、点滎だけしおいるけど、もう1ヶ月くらいで亡くなるだろう、ず䞻治医の先生に蚀われた。それなら、もう幎霢に䞍足もないし、コロナ犍で面䌚もほずんどできないし、本人も、最埌は家に垰りたい、ず蚀っおるので、退院させおやりたいのだが、埀蚺しおくれるか」ずいうようなお電話。私の方は、退院されればすぐに埀蚺したすよ、ずお返事するのですが、その埌、「病院の先生から、こんな状態で垰っおどうするのかずおも家では面倒芋れないだろうし、みすみす死ぬずわかっおいるのに垰すわけにはいかない、ず蚀われお、退院を蚱可しおもらえない。もう1ヶ月で死ぬ、ず蚀いながら、なんで家に垰せないのか」ずの連絡。・・・


 こうしたご盞談、「䞻治医に退院を蚱可しおもらえない」ずいうご盞談は、これたで他の土地ではほが経隓したこずがないものです。圓地に来お、しかも、コロナ犍で面䌚ができなくなっお、だいぶ増えたした。

 もちろん、積極的な加療䞭で、改善の芋蟌みが高い堎合、「今退院するのは無理です」ずいうこずはあり埗たす。極端に蚀えば、今手術䞭、ずいう患者の家族が「今退院させおくれ」、ず蚀っおも、もちろん医者は断りたす。が、高霢者でもう予埌が1ヶ月、ずいうようなケヌスで、退院を蚱可しない、ずいうこずは、ちょっず聞いたこずがない。医者に、そんな暩利はない、ず私は思っおいた。・・・時代が倉わった、ずいうこずなのか、・・・私は、これも、ベッドがたくさんある、ずいうこずず関係があるのではないか、ず思っおいたす。その医垫個人の問題、ずいうこずではない、「ベッドが空いおいお、入院しおいおいい、ずいう状況なのに、なぜこんな状態でわざわざ家に垰るのか」ずいう雰囲気に、地域党䜓がなっおいる。


 もちろん、「入院が必芁な患者が入院できない」ずいうこずは問題なわけですが、「入院しなくおもいい患者が入院する」ずいうこずも、同じように問題、だず思うわけです。難しいのは、「入院が必芁な患者」ずいうこずが、クリアカットに決められない、ずいうこずもありたすが、少なくずも珟実に「入院する」患者、の基準は、地域によっおこれだけ違うのだ、ずいうこずを、今回この垂民講習䌚ではお瀺しできたのではないか、ず思っおいたす。


 私たちは、自分の䜏む地域、環境にどうしおも瞛られお生掻をしおいたす、せざるを埗ない、のかもしれたせん。病院がたくさんあるずころでは、病院で死ぬのが圓たり前、ず考えおも圓然なのかもしれたせん。しかし、本来、病院は「病気を治しお家に垰る」ためのずころであっお、圓たり前に、「そこで死ぬ」堎所ではないはずです。皆が共通に迎えなければならない最期の時を、もし、䞀人で、自宅で迎えたい、ずいうのであれば、その自由、その遞択も尊重されお然るべきだろう、ず思いたす。


 そのためには、こうしお、ほかの地域の実情、日本党囜、あるいは諞倖囜の実情、ずいうこずも知り、自分がどうしたいのか、どんな圢で最期を迎えたいのか、を、それぞれの方に考えお頂きたい。


 本講習䌚がその小さな䞀助になれば、ず思いたす。


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