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  • 皆川夏樹

報告記:市民講習会 「『延命』は希望しません」



2023年10月8日(日)開催


【日程】  2023年 10 月 8日(日) 14:00~16:30

【場所】  総合福祉センターしんた21(登別市片倉町6丁目9番地)


  • 14:00~14:10  ごあいさつ・基調講演 「延命を拒否した方の一例」(皆川夏樹)

  • 14:10~14:20  「グループホームでの『延命』」(グループホーム白鳥台看護師:岡瑞恵氏)

  • 14:20~15:00  「病院で『延命しない』ことはできるのか?」(鈴木賢二氏)

  • 15:00~15:40  「在宅医療で『延命』はできるのか?」(嵯峨崎泰子氏)

  • 15:45~16:30  シンポジウム/質疑応答 「延命するのかしないのか」






























 昨年、新型コロナウイルスの流行のため2年半延期を続けていた市民講習会をようやく再開でき、さて今年も、と思っていたところ、登別はまたまたコロナに加えて、鳴りを潜めていたインフルエンザの流行も始まりつつある模様。・・・

 昨年がご好評だった、という実感があったことと同時に、昨年来て下さった、皆川の中学の同窓生であるお二人、鈴木賢二君と嵯峨崎泰子さんが、「今年も登別温泉に入りに来るから呼べ!」とのご希望もあり、同じメンバーでの講習会開催となりました。

 以下、ごく簡略に、その内容をご報告いたします。

 当日の配布資料もあわせて掲載しますので、随時ご参照ください。




Ⅰ 主題

 今年のテーマは、毎回皆川の「独断」でありますが、「延命」ということとしました。

これは、上にも書きましたが、二人の同窓生との昨年の市民講習会「孤独死はいやですか?」が、主催者皆川にとってもとても印象深く、また、それぞれの噛み合いがとてもバランスが良いと感じられたので、昨年のテーマの延長線上として、また、三人の意見・考えの違いがはっきりするテーマがよいのではないか、と考えたからです。

 鈴木賢二君は、生まれも島根、大学も島根で、卒業後程なくして島根の山間部の奥出雲病院に勤務して、そのまま院長になっておられる。地方の、病院主体の医療従事者です。

 嵯峨崎さんは、島根で高校までを過ごしていますが、その後はほぼ東京に出て、医療専門商社、など、いわゆる「医療現場」から離れた仕事もしながら、現在は訪問看護という、在宅医療の現場におられる。都会の、病院外の医療従事者です。

 皆川は、講習会としては後景にひいておりますが、高校までは、福島、島根、東京、と渡って、大学は京都、医者になってからは長野、千葉、福島、北海道、と、日本各地を渡り、病院医療と並行して在宅医療に携わってきています。

 それに加えて、今回は「地元代表」という形で、室蘭のグループホーム白鳥台の看護師、岡瑞恵さんにもご参加頂きました。

 同じ「医療従事者」ではありますが、四人の立ち位置はかなり違います。その違いを、際立たせることができないか、そして、登別市民の方々に、そうした各地の立場の異なる医療現場のお話を聞いてもらって、登別地域の医療もまた、地域の特殊性をもっていること、変えるべきところは変えていくことも必要だということも考えて頂く機会にならないか、というのが、本講習会の大きな目論見でした。

 さて、講習会のテーマ、「延命」について、ですが、皆川がこのテーマを選んだ理由として、もともと抱えていた問題意識は、箇条書きにすると以下の通りです。


 ①皆川が、(主に在宅医療の現場で)患者さんやそのご家族とお話ししていると、「延命は希望しません」という方が多いようには思われる。でも、実際には、まだまだ病院で最期を迎える方は多く、病院医療では「延命」は行われているように思われる。・・・そもそも、「延命」という言葉が、正しく理解されていないのではないか? 医療従事者と、一般の方々の間でも誤解がありそうだし、病院医療と在宅医療の間でも同じ意味で使っていないようにも思われる。この機会に、それぞれの考える「延命」という言葉を、なるべく刷り合わせて、共通認識をもつようにできないだろうか。

 ②皆川の経験として、病院勤務をしていた際に、「延命」を希望しない患者さんがおられたが、この際に、ベテランの看護師長に、退院させることを勧められたことがある。「医療処置を希望しない方は、病院にいる必要がない」ということであった。病院、という場所は、そもそも、「死ぬ場所」として、必ずしも適切な場所ではないのではないか?

 ③延命を希望しない、という患者さんに対して、医療従事者は何を提供できるのか?



Ⅱ 内容

 前記、①~③の疑問に沿って、 主催者の主観を交えながら、講習会の内容をまとめます。


延命という言葉の意味は?

 昨年のテーマ、「孤独死」、もそうでしたが、「延命」という言葉には、明確な、学術的な定義はありません。そもそも、医学用語ではないですし、どういう経緯でできてきた言葉なのか、よくわかりません。

 言葉をそのまま解釈すると、「命を延ばすこと」なわけですので、極論すれば、医療行為は全て、「延命」だ、ということもできます。しかし、現実にこの言葉が使われているのを見聞きするところでは、どうも「延命」という言葉は、一般の方々にとって、否定的に使われることが多いように思われます。「無理やり」命を引き延ばす、といったような。

 この辺りの事情を、鈴木君は図にしてくれました。

 延命を、広義、狭義、などとわけて説明をしてくれています。要は、延命、という言葉がいかに、定義困難であるか、を示してくれている、と思います。

 この図では、鈴木君は、「狭義」のラインに、「一般的に考える延命はこのライン?」と注釈を加えていますが、私自身の経験からは、多くの一般の方々は、この図の「ごく狭義」とされている、気管内挿管・人工呼吸・心臓マッサージ、などを、「延命」ととらえているのではないか、と感じています。これは、一つには、患者さんが病院に入院をするときに、昨今(私が病院に勤務しているときから、ですから、もう20年以上になるかと思いますが)では、「高齢の患者さんですので、苦しい治療をしてもご本人は辛いばかりで助からない可能性も高く、挿管・人工呼吸・心臓マッサージまでは行いませんが、よろしいですか」といった「お断り」をすることが、ある種、慣例のようになっている。これを受け取って、これらの医療処置を一般の方々は、延命、と考えているのではないか、と感じます。

 しかし、医療者としては、これらの処置はむしろ、「救急蘇生」と呼ぶもので、あまり「延命処置」という言葉とは結びつけていない。むしろ、鈴木君が図に示したように、「栄養や水分の補給」を、医療従事者は「延命」と解釈していると思います。ここは、一般の方々と医療従事者の大きなずれではないか、と感じます。

 この点に関しては、嵯峨崎さんは、おそらくは、在宅医療で多く遭遇する、「老衰」に近い状態を考えていると思いますが、以下のようなスライドを提示しています。


 「自分で口から食べられない」状態になったら、「生き物」としては、そろそろ限界、ということで、死を意識します。ですから逆に、食べられなくなった状態に対して、胃ろうや、点滴等で、栄養や水分を補給する、ということは、「延命」となる、という考え方です。

 誤解のないように補足しますが、「自分で口から食べられない」と言っても、例えば、利き手を骨折した、とか、顎の骨を骨折した、など、一時的に食べられないけれども、回復が見込めるような状態は含みません。あくまで、上に述べたように、十分年をとって、段々弱っていった末に、「自分で口から食べられない」、老衰、のような状態を想定している、と思って下さい。

 鈴木君は、この点についてもまとめて、下のようなスライドを提示しています。

 少なくとも、病院での「延命」については、(1)の「蘇生」にあたるものと、(2)の「栄養補給」に当たるもの、がある、というわけです。一般の方は、延命、というと、(1)を考える方が多く、医療従事者は(2)を考えることが多い、ということになります。

 皆川の方からさらに補足を加えますと、そもそも、「延命」という言葉は、「点滴」とか、「人工呼吸」とか、「昇圧剤」とか、「胃ろう」とか、といった、具体的な「処置」の名前と結びついたものではない、と考えられます。

だって、例えば「点滴」は、当たり前に病院で行われていることです。上に挙げた例のように、例えば、40歳の方が顎の骨折をして食べられない、というときに、一時的に点滴をするということはもちろんありますし、胃の手術をするときに点滴をすることも当然必要なことです。「点滴は延命だからしないでください」というわけにはいきません。「点滴」=延命、というわけではないのです。

同じように、心臓マッサージや、気管内挿管・人工呼吸器の使用、などは、救急蘇生の現場では当然行われているものです。

あくまで、「十分高齢の方、や、十分重態の方、で、そのまま何もしなければ死期がごく近いと判断される状態の方」、という、その方の状態の判断が先にある。そうした状態の方に行う医療処置は、「延命」とみなされる、ということです。「延命」という言葉で重要なのは、処置の内容、ではなく、その方の状態、なのです。


 で、実は問題なのは、「十分高齢の方、や、十分重態の方、で、そのまま何もしなければ死期がごく近いと判断される状態の方」、という判断をするのは、私は、医者の仕事、だと思うわけですが、ご家族やご本人が、それを納得しない場合が多い、ということです。



病院で延命しない、ということは可能なのか?病院は、死ぬ場所として適切なのか?

 皆川の若いころ、市立病院に勤務をしていた時の経験として、延命を希望しない、「点滴をはずす」ことを希望する患者さんに対して、看護師長から、「点滴もしないのであれば病院にいる必要はないので、退院させてください」と言われたことがあります。

 病院では、「延命をしない」ことはできないのでしょうか?

 これに対して、鈴木君は、次のように説明してくれました。

 先にも述べたように、「高齢者の老衰」に関して、という但し書きはありますが、蘇生や、水分・栄養補給を行うかどうか、「病院では必ず確認します」とのこと、でしたが、これはちょっとびっくりしました。「噓だろお!」と。

 ここ最近のこととしても、皆川自身の経験では、老衰と考えられる入院患者さんは、最期まで、少なくとも点滴を受けていることが多いです。私自身の父親も、最期の最期、もうだめですから来てください、と病院に呼ばれた最期まで点滴はしていました。入院する時点から「老衰」で、治療の方法がない、という患者さんがもしいたとしたら、最初から点滴もしない、という可能性はあるかと思いますが、それまで入院して様々に治療を行ってきた過程で点滴をしているとすると、それをあえて終了する、ということは、通常あまりないだろう、と思います。

 それにしても、入院する時点から「老衰」で、治療の方法がない、という患者さんがいたとすると、これは推測ですが、鈴木君のいる、山間部の病院では、入院をさせて最期まで看取りをする、ということが行われ得るのだろう、と思いますが、必ずしもこれは一般的なことではないでしょう。当地では、そうした患者さんが例えば救急車で救急病院に行ったとすると、いったんは受け入れてはくれるでしょうが、入院と同時に「療養型」の病院への転院を勧められます。救急病院での治療の対象ではそもそもない、ということです。すなわち、事実上は、救急病院、一般病院では、「老衰」の患者さんは、受け入れはしない、と言ってもいい。

 嵯峨崎さんによれば、東京ははっきりとシビアで、救急車でそうした老衰の患者さんが行っても、救急病院はきっぱり断る、あるいは、救急車からの電話の段階で断る。延命をしない、点滴もしない、医療処置をしない、ということは、病院にとっては、「収入がほとんどない」ということです。はっきり言えば、「(病院として)儲からない」患者に、ただでさえいっぱいのベッドを割くことはできない、ということです。

 鈴木君のいる、島根の山間部では、療養型の病院、というのは特になく、彼の病院が地域の中で、ある意味「すべて」を期待される病院なのです。かように、患者さんの受け入れ、や、延命についての対応、なども、地域の事情、ということを加味しないと、なかなか理解が難しい点が多い。


 この点について補足をすると、当地のグループホームの実情を、岡瑞恵さんが報告してくれましたが、基本的には、室蘭・登別地域の高齢者施設では、そもそも「看取り」を施設ではしていない、ということです(一部例外はあるようですが)。

 ですから、入所している高齢者が、食事量が減ってきた、と思われた段階で、1-2日施設内で点滴はするとしても、それでも食事量が改善しなければ病院に入院をお願いする。さらに言えば、そのバックアップの病院では、点滴→中心静脈栄養→経管栄養・胃ろう、を行うところまでがほぼセットで、拒否したとしても、24時間点滴は行う、ということになっており、すなわち、高齢者施設としては、「延命しない」という選択肢はない、ということです。

 全国的な話題、としては、国としても、高齢者施設でも看取りをするように、という方向を勧めており、そういう風潮にはなっているようですが、少なくとも当地ではそうした状況ではなく、だから病院が「老衰」の方を受け入れざるを得ない、のか、病院が「老衰」の方を受け入れるから高齢者施設が看取りをしないのか、どちらが先か、はわかりません。・・・

 この点については、鈴木君も講習中に言っていましたが、「確かに、点滴もしない、としたら、病院は全然儲からない」。院長の立場としては、本音としては、「はなから何も医療処置を希望しない、ということであれば、そもそも病院に来なくてもいい」ということでしょうし、これは私としても同感です。しかし、じゃあ、自宅で最期まで、ということになると、それをバックアップする在宅医療の存在も必要だ、ということにもなります。

 というわけで、病院、としては、鈴木君によれば、点滴を含めて、「延命」をしない、ということは、可能、ということでした。現状はともかく、少なくとも、そうした体制にしていくことが望ましい、と考えられている、ということに捕らえておきたいと思います。

 再度繰り返しになりますが、私は、(末梢からの)点滴、というのは、なかなか病院でも「行わない」ことは難しいんだろうな、と思います。鈴木君の提示した下のスライドでも、一般の方の意識調査として、「いよいよ」の状態であっても、末梢からの点滴や、肺炎時の抗生剤の使用、は希望が高く、逆に言えば、これらは一般の方々にとっては「延命」とはとらえられていないことを示しているようです。

 肺炎の際の抗生剤の使用、というのも、ここで初めて出てきましたが、医療従事者としては、「延命」ととらえられるものなのです。

 一方で、嵯峨崎さんからは、在宅医療でもできる延命処置、として、以下のようなスライドを提示されました。処置、の具体的な事柄を挙げるなら、在宅でも、病院と、「ほぼ同じ処置」を行うことは可能ではあります。

 例えば、「苦しそうだから酸素投与」と考えれば、今では、電話一本で業者さんから在宅酸素の器械を持ってきてくれます。点滴ももちろん、在宅で行うことは可能です。しかし、スライドにあるように、在宅酸素は、「苦痛の緩和を目的に」、と、治すため、ではない、という目的を明確にしていますし、点滴は「自己処理できない量は溢れ出る」要はむくみがひどくなったり、ということにつながるので、積極的に勧めることはありません。

全体として、在宅では、「儲け」を考えなくてよい、ということもあるかもしれませんが(不思議なことに、訪問看護師が在宅で点滴をしたとしても、ほとんど利益にはなりません)、終末期の状態の方にとっては、ご本人の苦痛がないように、ということを最優先にする、という意識が、失礼ながら入院中よりも明確で、そうすると、ほとんどの医療処置は行わない方向になることが多いです。できるけれど、ほとんどしない、というのが現実なのです。

皆川も、在宅医療に加担するように補足しますが、在宅医療では、ある程度決まった医者と看護師が、患者さんの家に上がり込んで、必要とあれば何時間もかけて、何回も何回も、お話しをすることになります。皆川の経験としても、単純に、かける時間は入院よりも多いだろうと思います。「延命」について、どんな処置はした方がいいのか、したいのか、したくないのか、患者さんの状態の変化によってそれも変わってきます。延々とお付き合いをして、今日は点滴をしたけれど、翌日はもうやめましょう、となったり、3日後にはやっぱりもう一回だけ、となったり、様々なご希望が出てきます。でも、医療者として、言うべきことは言います。「点滴をしていても、苦しさが増すばかりになりかねないので、しない方がいいと思います。」と言うようなこともありますが、それでも、ご家族のたっての希望、であったり、で点滴をすることもやはりあります。

患者さん本人を苦しめることになっても、家族の希望を優先するべきなのか、・・・等々、我々の方も、解決がつくことではないのです。


延命を希望しない、という患者さんに対して、医療従事者は何を提供できるのか?

 さて、最後の設問、ですが、既にここまでである程度議論は尽くされたかと思います。

 「延命を希望しない」、ということは、医療従事者側からすれば、「医療処置は希望しない」ということと、ほぼ同義です。既に挙げたように、死期が近い、となっても、心臓マッサージをしない、酸素投与をしない、胃ろうからの栄養を入れない、点滴をしない、抗生剤を投与しない、・・・といったこと。とすれば、医療者の関与は必要ない、入院の必要はない、ということにもつながります。

 言ってみれば確かに、「病院ではもう治療のしようがない」終末期の状態、というのは、誰にでも訪れることですので、「死に際」をどうするか、というのは、等しく全員に共通の問題でもあります。自分は、自分の家族は、どうしたい、という希望は出てきても当然なのです。従来のように、入院させてしまえば、あとはお医者さんのいいようにお任せ・・・というのでも、それでよければ構わないのですが。

 ◎終末期、をどこで過ごすか、については、在宅、施設、一般病院、療養型病院、ホスピス・緩和ケア病棟、などの選択肢があります。それぞれ、バックアップする医療体制がついて回りますが、現状では、残念ながら、地域によって、環境によって、まったく同じ医療体制になっているわけではありませんし、どこでも等しい医療が受けられる、というわけではありません。

 医療はもう受けなくてもよいから、家にいる、という場合でも、亡くなったあとには、医師の死亡診断を受けなければならないので、最低限、なくなる少し前から往診を受けている必要がありますが、そうした体制が整っていない地域もまだたくさんあります。

 あるいは、施設で最期まで、と思っても、施設での看取りを行っていない地域もたくさんあり、そもそも各施設の単位で、看取りをするかしないか、に差があります。

 病院についても、既に書いたように、東京のように一般病院がそもそも受け入れをしてくれないところもあります。

 まずは、それぞれの地域で、今かかっている医療機関なり、包括支援センターのような公的機関などで、現状を聞いておく必要があります。我々医療従事者が、その事情には最も詳しいはずで、適切な選択肢について、ご相談に乗れれば、と思いますし、わたし自身の場合は、在宅医療でできること、できないこと、を含めて、少なくとも室蘭・登別の状況について、お話しできると思います。

 ◎国、厚生労働省の方からも、「人生の最終段階で受ける医療やケアについて、あらかじめ考えておきましょう」という趣旨で、リビングウィル、人生会議、など、の提案がなされています。今、それぞれの地域で、そうした方向に関する講習などが様々に行われています。

 今回の市民講習会も、皆さんに、「自分の死に際」「家族の死に際」について、思いを巡らす一つの機会になれば、と思います。今から考えておいて、それが絶対、ということではありません。その時になって、その状況になってまた考えればよいのです。


以下に、当日お配りした配布資料を掲載しますので、ご参照ください

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基調講演   /   資料


延命を拒否した方の一例


みながわ往診クリニック 皆川夏樹


★皆川の経験  福島県の市立病院、回復期リハビリ病棟で。

【T.K氏、57歳男性】

・某年10月4日、脳梗塞発症。左前~側~後~頭頂葉に至る、広範な梗塞巣。急性期、肺炎、DIC、腎機能増悪等あり、急性期加療長期化。右上下肢完全麻痺、失語。コミュニケーション不能。

・急性期、救急医によりM-tube(経鼻経管)挿入されていたが、10月14日に自己抜去。

・10月16日、妻同席の上、ゼリー食トライする。強いむせ、呼吸困難。少なくとも、早期に十分量摂食することは困難、経管栄養についてお話し、する。

・10月20日、妻・義姉と面談。家族で相談したところでは、経管栄養・胃瘻のような「延命」は、間違っても望むような人ではなかった、このまま食べさせる努力を続けて、十分でなければ仕方ない、という方向。→点滴1500ml/日継続しつつ、間接・直接訓練を続ける。

・10月20日以降、嚥下状態は徐々に改善、水分はむせあるも、とろみ・ゼリーの嚥下は可能。しかし、咀嚼はほとんど得られず、数口で口を開けなくなる状態で、量的には微々たるものであった。

 

・10月27日、遠方在の娘2人来る。同じ話を繰り返すが、「自分たちはそばにいてやれないので、基本的には親たちの決めたことに同意する。確かに本人は、病院へ行くことも嫌いだったし、そこまでして生き続けることには執着はしなかっただろうと思う」と、涙ながらに話す。


・妻は、連日病院に訪れ、機会のあるごとにお話ししていたが、方針にぶれはなく、次第に本人は衰弱。点滴1500ml継続。

・点滴の施行も困難になってきており、妻は点滴の抜去も希望、11月9日、ご自宅へ退院し、訪問診療・訪問看護でフォロー。退院に際し、自宅で点滴抜去。

 この時点で、病棟看護師長は、「点滴もしないのであれば入院している必要はないので、家に帰ってください」と言っていた。

・11月13日、ご自宅でお亡くなりになる。

★延命としての『輸液』  輸液を『過剰に』行うことになっている背景

1 入院

「病院というのは、治療をするところ」→「病院というのは、点滴をするところ」である、と多くの医者・看護師が考えている。

入院しているけれども、点滴(その他の治療)をしない、ということになると、保険点数上、病院の利益は乏しい。

 → 緩和ケア病棟・ホスピス・在宅、といった、「特殊」な病棟でなければ、「点滴をしない」という発想にならない。


2 予後

生命予後が1か月、とか、1~2か月、ということを、通常病院では判断できない。

「癌」については、あたかも、「治療しなければ死ぬ」ということが、一般通念になっているようだが、実際には、一般の医師は、「治療しない癌」がどのくらいの予後であるのか、についての経験は(あまり)ない。

(経験的には、病院の医師は、予後を短く言うことが多い)

本来、「老衰」→「死」というのも、誰にも等しく起こる問題だが、病院では老衰に関しては判断は不能である。通常見ないからである。


  • おそらく、一番難しいのはこの点である。

  • 医師は、本人・家族、と、『予後』を共有し、了解してもらう必要がある。これが、プロフェッショナルとしての仕事である。

  • その上で、その残された時間をどう過ごすか、を考えるのである。


★今日のテーマ

Ⅰ 「延命」という言葉はよく使われているが、そもそも「延命」とは何か?

   どんな「行為」を指すのか。

(人工呼吸器(挿管)、心臓マッサージ、透析、経管栄養、胃ろう、

   末梢静脈点滴、中心静脈点滴、IVHポート、(在宅)酸素、・・・・・・)

Ⅱ 病院に入院していると、延命は「せざるを得ない」のか? 「延命しない」ということは不可能なのか?

Ⅲ 逆に、在宅診療で、「延命」/「延命しない」とは、どういうことなのか?

Ⅳ 施設入所では、延命は、延命しないことは、可能なのか?

Ⅴ 「延命」はした方がいいのか、しない方がいいのか。それをだれが決めるのか。


★参考

延命治療は愛情? 家族のエゴ? 残酷な最期を強いる「長生き地獄」の現場

松原惇子(ノンフィクション作家) 週刊女性PRIME


 日本人の寿命が延び続けている。2016年9月、厚生労働省は「100歳以上の高齢者が全国に6万5692人に。46年連続の増加」と発表した。医療の発展や栄養・衛生・環境状態などの向上から、わたしたちの寿命は延び続けている。しかし、心から喜べないのはなぜか。


 最近、よく聞かれる「長生きなんかしたくない」という声。高齢者のみならず、20代の若い人まで長生きを恐れている。仕事の不安、結婚して生活できるかの不安、年金の不安などで、長生きが幸せにつながらないという背景があるようだ。


 いま、実際に長生きの現場では何が起きているのか? 


 ノンフィクション作家・松原惇子さんは、著書『長生き地獄』(SB新書)で、延命治療、在宅医療、有料老人ホーム、孤独死など、さまざまな長生きの現場を徹底取材し、その実態を書いた。松原さんは現場取材から、日本には“死にたくても死なせてもらえない高齢者”が大勢いることを知り、愕然(がくぜん)としたと言う。そんな松原さんが見た“死ねない現場”とはーー。


  ◇   ◇   ◇  


「死なせてくれ!」の声なき叫び 

 和男さん(仮名)の父親は80歳のとき、脳出血に見舞われ、救急搬送された。ICUに運ばれ、すぐに手術が行われたが、父親が一般病室に戻ってきたときは、意識のない状態だった。


 現在は、日本尊厳死協会にも加入し延命治療の知識もある和男さんだが、当時は延命に関する知識もなく、自分の無知さに腹が立つと話す。


「親父が倒れたことだけで、わたしたち兄弟は動転してしまい、すべての判断は医師任せでした」


「先生! 親父を助けて! 助けてください!!」。兄弟そろって、医師にそう懇願した。まさか、父親が植物状態のまま生かされ続けることになるとは……。


 父親の鼻から入れられたチューブは、2年後の死ぬときまで外されることはなかった。鼻からの栄養注入だけでなく、腕には点滴も行われ、和男さんはそのときの様子を思い出し顔を伏せた。点滴は延命治療と捉えにくいが、実は点滴も延命治療の一つなのだ。父親の手は2年間に及ぶ点滴の針のせいで、真っ黒でまるで炭のようになり、針を刺す1点の場所もなく、ついには最も神経過敏で痛い場所、手の甲や足の甲にまで刺したと言う。



 皮膚は真っ黒、日に日にやせていく父親の残酷な姿に、息子の彼は、ただそばにいて声をかけるしかなかった。父親の反応はまったくなかったが、「早く死なせてくれ!」と言っていたに違いないと振り返る。


 さらに、恐ろしいことがある。和男さんの家は資産家で病院に顔が利いたため、3か月しかいられない病院に2年置かせてもらったのはいいが、病院側としては、点滴するだけでは長く置くことができないため、3か月に一度、なんらかの手術を試みたというのだから驚く。ちなみに2年間で病院に支払った金額は、約2500万円である。


 声も発せず、ただ生きているだけのようだった父親。家族の延命に対する無知と病院にお任せしたとことによる、父親の悲惨な最期と言わざるをえない。もし、自分が逆の立場だったら? こんな最期を望むだろうか。良かれと思って頼んだ延命治療が、父親を苦しめた。生きていてほしいと家族が望んだこととはいえ、残酷な最期を父に強いてしまった。愛情のつもりだったか、家族のエゴだったのか……。


 この話を聞いたとき、元気なうちに、自分の意思を家族にきちんと伝えておくことと、家族にも尊厳死について勉強してもらうことが必要だと、わたしは強く思った。


 つまり、たとえ尊厳死協会に入っていたとしても、病院に運ばれてからでは遅いのだ。延命治療をなされないためには、日頃からの家族とのコミュニケーションが不可欠なようだ。


オランダには「延命」という言葉さえない

 現場取材から、日本の延命治療に疑問を感じ、2015年春、わたしは福祉の先進国であるオランダへ飛んだ。高齢者住宅の視察に行き、そこで得た言葉に度肝を抜かれた。


「延命治療についてお聞きしたいのですが、どのようにされているのですか」と聞くと、対応してくれた方は笑いながらこう言った。


「延命ですか? オランダには延命という言葉さえありません」


 つまり、延命をしないのが当たり前。オランダでは延命措置は患者が選ぶものでも、医者が選択するものでもなく、存在しないものなのだ。回復の見込みのある患者に、一時的な措置として胃ろう(腹部に小さな穴を開け、直接、胃に栄養を入れる方法)をすることはあるが、延命のために、胃ろうをすることはないと言い切る。延命をしない、これは、オランダだけではなく、欧米でのスタンダードな考え方になっている。欧米には寝たきり老人はいないのだ。年を取ると寝たきりになるのは、日本だけの現象なのかもしれない。


 終末期医療に詳しい、宮本顕二医師と宮本礼子医師は、スウェーデンを視察した際に、日本との終末期医療の差に愕然としたと、その著書のなかで語っている。欧米には寝たきり老人がいないと言われているが、その理由について、医師らはこう示している。


 その理由は、高齢者が終末期を迎えると食べられなくなるのは当たり前で、(中略)延命を図ることは非論理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。


 日本のように、高齢で食べられなくなったからといって経管栄養や点滴はしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。


(『欧米に寝たきり老人はいない』より引用)


 日本と欧米の医療現場の差と患者側の知識の差に、わたしは腹立たしくなった。


 日本人は欧米人とは真逆だ。自分の命なのに、医師にお任せ、家族にお任せ。「先生にこんなこと言ったら失礼だ」と、自分の希望を言わない。先生の言いなり。自分の命を守るのは自分でしかないはずなのに。つまり、生死の勉強をしていないから自分の意見がなく、言えないのだ。延命治療の知識は、医師のものではなく、私たちが学ばなくてはならない大事なこと。勉強して自分の意見を持たないと、自分も家族も苦しむことになるのだ。



皆さんのお考えは?

グループホームでの『延命』

グループホーム白鳥台 看護師兼ケアマネージャー 岡瑞恵


【当施設の特徴】

①医療法人室蘭太平洋病院に隣接。協力医療機関として室蘭太平洋病院、太平洋歯科

②1階と2階にわかれ、9名ずつ計18名入居

③入居者様-最少年齢74歳、最高年齢101歳、平均88.4歳。

④平均在籍期間 4年

⑤平均要介護度2.89

⑥介護福祉士16名、調理師2名、非常勤事務員1名、非常勤看護師2名

 介護士6名で日勤、早出、遅出、夜勤をし、各階日勤2~3名、夜勤1名


【体調管理について】

・月2回太平洋病院の医師、皆川先生が往診(令和5年1月~)

・皆川先生の太平洋病院外来勤務は火曜日、往診日は水曜日

 →・軽症の時は火もしくは水まで様子見

  ・平日日中は太平洋病院外来の医師に受診

  ・夜間、休日は救急病院に受診

★入居者様を受診に行くという事は、数時間待たせなければならず、かなり苦痛の伴うことなので、なるべく体調不良の兆しが少しでも見られたら早めに皆川先生に相談しています。


【看取りについて】

当施設では、設立時から看取りを行っていない。

・経口摂取不良→ホームで点滴→経口摂取不良→協力医療機関に入院を依頼

 →入院後

★『入院後、数日末梢点滴や嚥下訓練等をして回復が見られない様であれば、中心静脈栄養へ移行して様子見る。その後、経管栄養や胃ろう造設。経管栄養や胃ろう造設を拒否する方はいる。その際は、24時間点滴となり身体拘束の時間が長くなる。』


・認知症の方の家族は。。。

本人がしっかり意思表示できたとき延命を拒否することを望むと訴えていても、このような鬼気迫った状況下で判断をゆだねられると家族は『お任せします。』と答える。




【ご本人・ご家族の希望】

1.身体状態が悪化する利用者様を目の当たりにして、「すぐに病院に連れてって、入院させて欲しい」というご家族


2.少しでも長くホームで過ごさせて欲しい。


【今後の展望】

・これまで、看取りについてしっかりと見つめ直す事無く日々の業務に追われていました。皆川先生より多くの話しを聞かせていただき、住み慣れた環境でゆっくりと最後を迎えさせてあげたい、と思うようになりました。皆川先生のお力もお借りし、一つ一つの出来ない理由を解決し、看取りを希望する利用者さんやご家族に対して十分な環境を提供してあげるために取り組んでいこうと考えています。



延命治療とは  その意味と功罪

                 島根県 町立奥出雲病院 鈴木賢二

【第0部  自己紹介】

島根生まれ、島根育ち / 1989年 医師国家試験合格

2016年 町立奥出雲院長 / 消化器外科専門医 がん薬物療法専門医

趣味  テニス ランニング 読書

【第一部 延命とは】

★「死」を伸ばす

  ・治療/医療自体が延命の一種であると言える(かなり広義)

   ・子供の頃の風邪や喘息の医療

   ・虫垂炎の手術ーこれも手術がない頃には死の危険あり

★ 狭義での延命は「死が間近に迫った時に死を延長する」?

   ・治癒不能のがんの抗がん剤治療は?

   ・積極的な水分・栄養補給の導入

   ・死が差し迫っている場合  


◎医学のない時代 例えば縄文時代

・・・死は黙って受け入れるしかなかった / ここには「延命」の概念はない

◎時代はとんで1950年・・現在と比べると

・・・日本人の平均寿命は50歳代

医療の対象は40-50歳代が中心 / 働き盛りの人を救うことが主目的

◎平均寿命が80歳代になった今、

  生存期間を伸ばすことの医学的・倫理的意味は?


★医療により寿命は確実に長くなった

・どこからが延命?

・医療で確実に治せる病を治療するのは延命か?

・治るかどうかわからない病気を治療するのは?

・治せないが治療により死までの時間が延長するものは?


がんの場合は?  抗がん剤治療

 

がんでない場合は?  積極的な水分・栄養補給など


・死が目前に迫っていて行う行為は? / 心肺蘇生や人工呼吸など



★がんの化学療法(抗がん剤治療)の目的

目的1  根治を目指す

     薬だけで根治を得られるもの

     手術の前や後に行うことで根治の可能性をあげるもの

目的2  延命・生活の質の改善

     治癒は望めないが延命効果が証明されているもの

     症状の出現を抑えて生活の質の改善が期待できるもの


抗がん剤治療は確実に 治癒不能のがんの患者さんに 延命効果がある。


【第二部  病院での延命】

(1) 病院での延命処置

   気管内挿管・人工呼吸、心臓マッサージ

   胃ろう、中心静脈ポート

(2) 病院では延命はしなければいけないのか?

  ・各種ガイドライン

  ・診療報酬(介護医療院、療養病棟など)

    →看取りに対する指針を定めること(2018)

  DNAR、ACP、人生会議

  病院での点滴について

  死は敗北か?(誰にとって?本人/家族? 医師/病院?)

★狭い意味での延命にも2つの段階

(1) 死期が差し迫った場合(数分ー数時間単位)

  昇圧剤、人工呼吸、心肺蘇生

  DN(A)R Do not (attempt) resuscitation

 蘇生しない/試みない

   リビングウィルの一種

(2) 少し時間に余裕がある場合(数日ー数週間単位)

  積極的な水分・栄養補給の導入

  胃ろう、中心静脈栄養など


★蘇生を試みないでください―――

DNAR (Do not attempt resuscitation) という考えがあります


・多くの医療施設が、遠くない時期に死が予想される方やその家族に、最後の時の蘇生処置をどうするかを聞いている。

 ・心臓マッサージ

  ・気管内挿管、人工呼吸

  ・昇圧剤の投与など






★高齢者の老衰に際して

・蘇生 / 水分・栄養補給 ・・・  今では病院では必ず確認します。

  文書で確認することが多い。









後述のガイドラインや診療報酬とも関連しています



【第三部 延命に対する考え方】

(1) 世間の対応

 ・学会や政府のガイドライン

 ・診療報酬(医療行為に対して病院に支払われる代金)

(2) 本人や家族の考え

  自分の人生の最後を考えること

  それを表明する方法

    本人の意思表明


★延命に対する考えはどこから来るか

(1) 時代の変化 

 ・1950年代;壮年期の死亡が多かった

   働き盛りの死に対しては、「とにかく救う」が第一目的になりがち

   医学の進歩と相まって、「医学万能主義」

 ・2020年代;高齢者が多く死亡

   高齢者の死亡にあたっては、もっと人間らしい対応があるのでは

   リビングウィル、ACP、人生会議

(2) 制度の対応

  ・ガイドライン 日本老年医学会ガイドライン(2014)

          厚生労働省ガイドライン(2018)

  ・診療報酬

    胃瘻の診療報酬の引き下げ(2014)

    ガイドラインを踏まえた対応が一部診療報酬の要件に(2018)

    

① 世間の対応

★ガイドラインや制度


・日本老年医学会(2012年)「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン――    人工的水分・栄養補給の導入を中心として」

 ◉医療・介護・福祉従事者は本人・家族とコミュニケーションして合意形成と選択・決定を目指す

 ◉いのちは本人の人生をより豊かにする限り長く続いた方が良い、という価値観に基づいて介入する・しないを決定する

 ◉人工的水分栄養補給導入に関する意思決定は以下に配慮する

  ・経口摂取の可能性を評価

  ・本人の人生にとっての益と害から導入を評価

  ・家族の事情、生活環境に配慮


・厚生労働省(2018年)「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」

 ◉ 本人による意思決定が基本

 ◉ 多専門職種の医療・介護従事者からなるチームと話し合う

  医療・ケアの開始・不開始、変更、中止などはチームにより慎重に判断

 ◉ 苦痛の緩和に努める


★診療報酬

・胃ろう造設の診療報酬引き下げなど(2014)

    10万700円→6万700円に

    嚥下機能評価加算新設 2万5000円

      ※適正な胃ろう造設を否定するものではない

・ACPを行うことに対する一部診療報酬化(2018)

    一部の病棟において看取りの指針を定めていること

    ガイドライン等にのっとった対応をすること


② 本人・家族の考え

 ・本人の意思表明  / リビングウィル

   本人の意思の尊重  話し合われていないことが多い

             本人の意思がはっきりしないことも多い

 ・家族・大切な人・医療従事者との話し合い / ACP、人生会議

   本人と家族の間の意思の食い違い  本人と家族

                    家族間

★リビングウィルの一例


リビング・ウィル –Living Will- -人生の最終段階における事前指示書-

この指示書は私が最後まで尊厳を保って生きるために私の希望を表明したものです。

私自身が撤回しない限り有効です。

私に死が迫っている場合や、意識のない状態が長く続いた場合は、

死期を引き延ばすだけの医療措置は希望しません。

ただし私の心や体の苦痛を和らげるための緩和ケアは、

医療用麻薬などの使用を含めて十分に行なってください。

以上の2点を私の代諾者や医療・ケアに関わる関係者は繰り返し

話し合い、私の希望を叶えてください。

私の最後を支えてくださる方々に深く感謝し、

その方々の行為一切の責任は私自身にあることを明記します。

公益財団法人 日本尊厳死協会


★人生会議(ACP)アドバンス・ケア・プランニング

・人生の最終段階で受ける医療やケアについて、本人と家族、医療従事者などがあらかじめ話し合う取り組みのこと。

・厚生労働省から「人生会議」の愛称がつけられた。

※リビングウィルが本人の意思の表明であるのに対し、人生会議は家族、医療従事者とよく話し合うという点が違い、基本的には本人の意思が優先

・もしも手帳(人生会議)の3つの質問

(1)“もしも”治らない病気などになり、自分の気持ちを伝えられなくなったら、どんな治療やケアを受けて過ごしたいですか?

□できるだけ長く生きるための治療を受けたい

□痛みやつらさを軽減する治療やケアのみしてほしい

□全ての治療やケアを受けたくない

□わからない

□その他[ ]

(2)“もしも”治療やケアについて、自分で決められなくなったら、代わりに誰に話し合ってほしいですか?

□配偶者 [         ]

□子ども・孫 [       ]

□きょうだい [       ]

□親戚(姪・甥など) [   ]

□知人・友人 [       ]

□かかりつけ医 [      ]

□その他 [         ]

□頼める人はいない

(3)“もしも”治らない病気などになったら、どこで過ごしたいですか?

□自宅

□病院

□施設

□今はわからない

□その他・自由に [     ]

【第四部  私は延命をどう考えるか】

・死に対する考え方は千差万別

 「死」は誰のものか

   ・本人だけのものか 家族も持分があるか

   ・医師や病院のものではないことは確かだろうと思える

   ・やはり本人の気持ちを尊重することが重要ではないだろうか

・死期が迫っていれば人間らしくない延命は不自然と思う

  では「人間らしい」とは何か

   ・口から食事が取れることか。

   ・会話ができることか。


★遠くの娘さんが帰ってきて・・・

  死期が近い親

  同居の息子さんは自然に看取りたいと。

  一緒に暮らしていない娘さんは人はできるだけのことをやってほしい。。。。

     別居の娘さんには娘さんの思いあり

     一緒に暮らせなくて残念

     少しでも長生きしてほしい。。。

  家族間での意見の違い

  同居していない家族は延命を希望する傾向あり


★84歳女性・根治切除可能な胃がんの例

・自立した生活を送る女性が

  延命はしたくない、手術を受けたくない

  娘さんも母の意思を尊重したいと

・根治が十分可能であること、

 手術後も今までと同じ生活が送れる可能性が高いことを説明

・手術を受けられ、7年後の現在も元気で自立して在宅生活

結果的に喜んでもらえた


★90代女性、直腸がん女性

・本人は認知症のため意思疎通や判断が困難

 がんによる症状が出るまでにはまだ時間がありそうだった

 娘さんは手術せずに様子を見たいと

 私は了承したが。。。

・他院を受診した際、「手術しないとダメだ」と言われ、

 断れず手術

→合併症で数ヶ月後死亡

どうすればよかったのか。。。


★私の両親の場合

・父は脳出血・肺癌を患った

 以前から「リビングウィル」を記していた

 本人、母、私で話し合った上で本人が自らの手で記載

・肺癌は克服したが、徐々に衰弱

 いよいよ食事が取れなくなった時

 母は「本当に点滴もしなくていいんだろうか」

一旦は納得してもそれでもいざという時は悩む



【終わりに】

医療の発達と高齢化によって、人生の最後の迎え方は多様になりました。

◉ 参考になる色々な制度やガイドラインがあります。

◉ 唯一正しいという答えはありません。

  自分の、大切な人の人生の最後について考え、話し合いましょう。



~在宅医療で「延命」はできるのか?~

医療法人社団HUMANE/一般社団法人日本医療コーディネーター協会

嵯峨崎泰子


【自己紹介】

嵯峨﨑泰子(勝蓮) といいます。

3つの役割を行っています。

日本医療コーディネーター協会 共同代表理事、医療法人社団HUMANEの常務理事、寺の責任役員。 

看護師・公認心理士・特殊無線免許2つ他(還暦手前のチャレンジ)

1965年島根県松江市の寺で生育

1973年2月15日祖母路上死。私8歳,人生初「看取り」

1995年1回目がん罹患を機に商社退職

1996年から医療コーディネーターの活動開始

2002年から現在のクリニック設立・現在に至る

2003年日本医療コーディネーター協会設立

2007年実家の寺の責任役員兼務現在に至る

2017年出家得度

2018年2回目がん罹患

様々な場面で相談・橋渡し役として日々活動しています。


★江東区人口 約54万人(29万世帯)1世帯当たり1.86人

 江東区の南西部:深川地区(運河と橋がとても多い)

 江戸城の東/伊能忠敬出発地点/松尾芭蕉の庵/赤穂浪士が討ち入りで渡った永代橋/時代劇の舞台になる場所……

 お寺と神社と商人の町/都心の田舎、人間関係も古い地域

 門前仲町町名内居住人口約2270人/1,529世帯

 当院のカルテ数約50,000人(21年)

 交通の要所(日本1,2位の電車過密駅)




【在宅医療現場の看取りと延命の考え方】

★「早くお迎えが来て欲しい」=本人の意志(一時的)

 ・日々することがない

 ・家で最後まですごしたくない

 ・絶対に入院したくない!

 ・救急車が足りない

  ・・・ある日、東京消防庁に119番「救急車が無いので、民間救急探してください」

  ・・・またある日、「受け入れ病院が無いので、先生のクリニックに運んで良いですか?(=在宅でお願いします)」

 ・「何もするな!」と在宅患者に言われる

 ・死亡確認しても「延命処置を」と、稀に家族に言われたのは過去21年で1回

 ・「お任せします」とは言われない


★人の意思は揺れます

 ・延命するのか?しないのか?

 ・簡単には決められないので、お付き合い。


★桜のライフステージ (ターミナル期)


<医療費(樹木医への支払等) = 延命費用>

年間約100万円

<効果>

維持管理をしても、全盛期を維持し続けることできない

<桜の寿命>

300年と言われているようです





★人が生まれ、生き、歳を重ねるということ

・桜と同様 高額になっていく 維持費(延命費)

      全盛期を維持し続けることもできない

      300年も生きた人を聞いたこともない

・老化(生物全ての経年劣化)・病気ストレス(個別化) は避けようもない

・認知症はいけないのか

・がんは、撲滅すべきことなのか

・愛別離苦を受け止めるのも人間らしさ(避けられない現実を受け止める知恵)


【在宅医療現場の延命の実態】

在宅医療で延命はできます  /  病院と同等レベル


★延命処置は何のために行うか?

・身辺整理

・やり残しをしない

・悔いのない看取り

・生への真摯な取り組み


★「延命」のための在宅処置=病院と同等

・人工呼吸器(吸引が伴う)

・在宅酸素 苦痛の緩和を目的に

・胃ろう(胃カメラを使うので、一旦クリニックへ)

・点滴(末梢/中心静脈)自己処理/代謝できない量は溢れ出る

・がんの化学療法 苦痛の緩和を目的に

・疼痛緩和(医療用麻薬)

・何も食べなくても排泄はあるので、尿路カテーテル




★死生観を考える

自分の死生観   /   他者の死生観

二つを混同しないこと(常に)意識し、支配していないか?自問自答

★死期における意思決定の内容


★どのような状態になったら看取りか? 延命を考える最終判断期(実は遅い)

• 自然の摂理(迷走神経反射・弛緩便)

• 安らかな死を迎える明快な判断基準

自力で口から食べられない=早晩訪れる死


★静かな看取りを妨げるもの

 なにもしなかったという自責

 なにもしないことの心理的負担

 最後まで手を尽くさなかったという自責

 一日でも長くという強迫観念

 できる限りという義務感

 見殺し、非人道的という社会評価

 刑事的処罰への恐怖

 自分が最後の引導を渡したくないという責任逃れ的思考

 延命至上主義の社会からの自己防衛に過ぎない?


★何もしなかった?

・長い時間、ずっと考えていた。

・共に葛藤し、答えを出したのは本人

・寄り添い、見守り、「共に在るを知る」



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